写真 落合直哉
抗生物質やインスリンなどの医薬品、バイオプラスチックや合成繊維などの素材。私たちの生活に欠かせないものの中には、微生物の働きによって生み出されているものがあります。生き物の力を借りてものをつくる「バイオものづくり」です。石油由来の原料などの資源に頼らずにつくれることから、環境負荷の小さい生産方法として、各国が力を入れています。
そのバイオものづくりの可能性に、時計づくりで培った精密技術で挑んでいるのが、理化学研究所とセイコーフューチャークリエーション(以後、SFC)が設立した「理研-セイコー連携センター」です。
目次
研究者の経験や技術に支えられてきた実験を、もっと速く、より再現性高く進められないか。同じ実験でも人によって結果が変わることさえある現場で、その問いに向き合っています。
創業以来「時」の正確さを追い続けてきたセイコーが、なぜバイオ研究の現場に入るのか。研究開発を進めているSFC山田さん、鈴木さん、理化学研究所の渡邉さん、木下さんに伺いました。
理研-セイコー連携センターの立ち上げは、どこから始まったのでしょうか。
― (SFC)山田さん:セイコーフューチャークリエーションのFAシステム部で、新しい事業を探そうというところがスタートでした。時計の製造で培った技術をもとに、工場の自動化や省人化を提案している部署です。ロボットを軸に何ができるかを幅広く当たっていた中で、研究室の実験、特にバイオ系の実験がこれから活況になるのではないかと考えました。
「ロボットの使い道を探していたら、バイオに行き着いた」ということですね。その時点で、時計づくりの技術がバイオでこう使える、という構想はあったのでしょうか?
― (SFC)山田さん:いえ、何も構想はありませんでした。
それまで時計や電子部品の組み立て装置、検査装置は手がけてきましたが、バイオに関しては全くの素人です。まず現場を見せていただき、そこで何ができるのかを探ろうという段階でした。
セイコーフューチャークリエーション 山田さん。「FAシステム部で新規事業を探すなかで、バイオの領域に行き着いた」と語る
全くの素人の状態から始まったのですね。迎える側の渡邉さんは、この話をどう受け止められたのでしょうか。
― (理研)渡邉さん:ちょうど私たちもバイオ実験の自動化を始めていたので、いい機会だと受け止めました。
公益財団法人セイコーインスツル新世代研究財団を通じてセイコーフューチャークリエーションの方と知り合いました。私たちの取り組みに関心を持ってくださり、そこから声をかけていただいたんです。バイオと精密なモノづくりでは分野が違いますが、私自身が機械工学と生物の両方をやってきたので会話が成り立ちました。
時計づくりとバイオ研究は、一見すると遠い分野です。なぜセイコーの技術が使えると考えたのでしょうか?
― (SFC)山田さん:まず自分たちの得意なことは何かを振り返りました。その中で行き着いたのが、時計の組み立てで培った、非常に小さな部品を精密に扱う技術です。
細胞や微生物も、同じように小さい。小さいものを精密に扱うのは得意としていたので、何か可能性がないかと考えました。
理化学研究所 渡邉さん。機械工学と生物の両方を学んだ経歴が、共同研究の橋渡しとなった
小さいものを扱うという点で、時計とバイオがつながるわけですね。渡邉さんは、セイコーの技術のどこに可能性を感じたのでしょうか。
― (理研)渡邉さん:小さいものを、正確に、速く扱えるところですね。私たちがやっているのは、液体を混ぜることです。実験の大半が、実はそれなんです。わずかな量の液体を、いかに丁寧に混ぜるか。そこがバイオ実験の肝になります。
どのくらいの量を扱うことになるのでしょうか?
― (理研)渡邉さん:1マイクロリットルほどの、極めて微量の液体を正確に取り分けて混ぜていきます。特殊な技術を使いますが、私たちがハンドリングする一番小さなものは、マイクロメートル(1ミリの1000分の1)ほどの世界です。
1円玉の直径は20ミリ。バイオ実験が扱う微生物は約3マイクロメートルで、その6,667分の1にあたる
そんなに小さいのですね!時計の部品と、ほとんど同じスケールなんでしょうか?
― (理研)渡邉さん:扱うものの大きさ自体は違います。ただ、マイクロメートル単位で位置を決めるという意味では、非常に近い精度帯なんです。だからこそ、セイコーさんの技術がそのまま活きると考えました。
しかも、自動化するのであれば人より優れていてほしい。微量を正確に、かつ速く扱えること。これが揃って初めて、自動化ならではの価値を持ったバイオ実験が可能になります。
実際にセイコーの装置をご覧になったとき、どう感じられましたか?
― (理研)渡邉さん:共同研究の前にセイコーさんの研究所に伺い、山田さんが作られた装置を見せていただいたのですが、非常に速く動くことに驚きました。
私たちも実験科学者として、微量の液体を素早く正確に扱う腕には自信があります。ただ、あの機械の動きを見てしまうと、これは負けるなと(笑)
セイコーフューチャークリエーション 山田さん(左)と理化学研究所 渡邉さん(右)。専門は違っても、小さなものを正確に扱うという一点で話が通じた
先ほど実験室を拝見しましたが、ショールームのようにとても綺麗で、想像していた実験室とはずいぶん違う印象を受けました。
― (SFC)鈴木さん:「ショールーム」という言葉には、少し語弊があります!(笑)
綺麗であることも大事にしていますが、それ以上にこだわったのは、中で研究開発をする人が、いかに使いやすいかという部分です。
たとえば、壁が全面ホワイトボードになっています。技術者は、何か思いついたことをすぐに書きたいんです。その瞬間に書きなぐれるように、という工夫をしています。
セイコーフューチャークリエーション 鈴木さん。「ショールームではなく、見せられる実験室を目指した」と話す
外から人が訪れることも念頭にあったのでしょうか。
― (SFC)鈴木さん:私たちが目指しているのは、「見せられる実験室」です。
見学用のスペースを別につくるのではなく、日々使っている実験室に、そのまま人を招ける状態にしておく。そういう部屋にしたいと考えています。
理研-セイコー連携センターの実験室。日々の研究開発の場でありながら、そのまま人を招ける空間を目指した
実際に訪れた方には、どんなことをしていただくのでしょうか。
― (理研)木下さん:このセンターには大学や研究機関、企業の研究者の方が見学にいらっしゃいます。理研の中に拠点があって、セイコーさんと一緒にやっていることで、アカデミアの方にも企業の方にも来ていただきやすい。さまざまなところにアプローチできる場所だと考えています。
たとえばご自身のところの微生物を持ち込んで、培養から分注まで一通り試していただく。決して安い装置ではありませんので、そこまでやっていただいて初めて、判断できるのではないでしょうか。
理化学研究所 木下さん。見学に訪れた研究者に、実際に装置を使ってもらうことの意義を語る
そもそも、理研とセイコーフューチャークリエーションが同じ部屋で研究することには、どんな意味があるのでしょうか。
― (理研)木下さん:私たち理研は、民間企業の方々と触れ合う機会があまりありません。こうしていろいろと意見交換させていただくことは、研究活動そのものに役立ちます。バイオの専門知識と、精密なモノづくりの技術。本来は交わりにくい二つが、同じ部屋にあるわけです。
非常にいい機会だと思っているので、そこに拠点を設ける意味があると考えています。
― (SFC)山田さん:バイオの実験には、微生物を取り扱うための施設が必要になります。セイコーグループの中には、そうした施設を持っているところがありません。理研の中であれば、それができる。
連携センターを構えたことで、今まで以上にいろいろなことができる体制になりました。ここが一番のメリットだと思っています。
最後に、ここが研究者にとってどんな場所であってほしいとお考えですか。
― (理研)渡邉さん:私たちが一番に考えているのは、研究者がアイデアを実現していくプロセスを、自動化装置によっていかに支援し、加速・拡張できるかということです。
実際に装置を体験して、こんなことができるのかと感じ、その可能性を自身の研究に持ち帰っていただければ、これまで難しかった実験や新しい研究にも挑戦できるようになります。
そうやって少しずつ、研究者の可能性を広げていきたいと思っています。この部屋が、その入り口の一つになればいいですね。
分野の異なる4人が、同じテーブルを囲む。ここから、バイオものづくりの研究開発が動き出す
この実験室では、バイオ実験を自動化する装置の研究開発が進んでいます。
目指しているのは、研究者一人ひとりの経験や勘の差に左右されない研究環境です。誰がやっても同じ結果にたどり着けるようになれば、これまで手が届かなかった研究にも挑めるようになります。
後編では、その実現に向けて理研とセイコーが開発する装置について、具体的にお聞きしました
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