取材・文 やなぎさわまどか
写真 落合直哉
セイコーの品質と信頼を支えるのは、卓越した修理スキルを有する技術者の存在です。1/100ミリを突き詰める技能とは一体、どんな世界なのか。セイコータイムラボ株式会社で機械式時計の修理を行うチームリーダー・田中宏治さんに教えていただきました。
時計修理技能士として、田中さんの普段の業務を教えてください。
― 田中さん:技能士として入社してから11年目になります。現在は、グランドセイコーやクレドールなど高級機械式時計の修理を担当しています。基本的には朝から終業時間まで、日々修理品に向き合っています。
同社に寄せられた修理依頼の時計は、診断から内装修理まで一人の技能者が責任を持ってメンテナンスを行う
― 田中さん:手元に届いた時計にどんな不具合があるのかは、見てみないとわかりません。時計を開けてみて、お客様のご依頼内容からきっとこの辺に原因があるのでは、と考えながら、まずは外観チェック。次に外装を洗浄し、ムーブメント(中身)を取り出して分解。古い油を落として新しい油を注し、組み立てながら修理して、最後に針や文字板などをケーシング(最終組み立て)するまでが私の担当です。修理品によっても違いますが、オーバーホールであれば1日数本くらいのペースです。
最近は、1960〜1970年代につくられたヴィンテージ品を担当していました。古い時計の修理は比較的得意な領域でもあります。現行品であれば、売っている部品と交換することで対応できるケースが多いですが、ヴィンテージではそれが叶いません。経年による錆びが強いことも多く、一つひとつのパーツに時間をかけて磨き入れ、修復していく作業を繰り返します。それだけに、最後にしっかり動き出した瞬間は、技能士として一番の達成感を味わえます。
一言で「油を注す」と言っても、個々のパーツの特性に合わせて、数種類の潤滑油を0.1mg単位でコントロールする緻密な作業
確かな技術と先進の設備によって、購入時と同等の品質に戻すことを目指すというセイコータイムラボ。メーカーの専門修理として譲れないこだわりポイントを5つ、ご紹介いただきました。
5気圧防水以上の時計は全て、実際に水圧をかけ、JIS規格に準じた試験を実施する
― 田中さん:防水試験をする際は、必ず「お客様にお戻しする時計の状態」で検査を行っています。ケース(外装)単体だけで検査を済ませるようなことはせず、ムーブメントを装填し、お客様にお渡しする状態で検査しています。
グランドセイコーのバンド部分を研磨する際、オレンジ色のマスキングテープで部分ごとに保護をする
― 田中さん:時計を磨くことにおいても、下準備が重要です。例えば、グランドセイコーのバンド部分は、艶消しのコマと、鏡面(艶あり)のコマの繊細なコンビネーションでデザインされています。
まず鏡面のコマを磨くためには、艶消しのコマだけにマスキングテープを貼って保護します。磨き終わったら、今度は逆に、鏡面のコマにマスキングをし、艶消しのコマを磨きます。さらに、それぞれのコマの両サイドには、0.2ミリほど斜めに光る面取りのカットが施されているため、3回目はその0.2ミリのラインを狙って、マスキングを貼り分けてから研磨します。こうすることで、表面から見たデザインを復元しています。
この細かいマスキング自体が、大切な技術です。バンドの形状に合わせて、テープのテンション(張り具合)を絶妙に逃がしながら貼る必要があり、非常に高い熟練度が求められます。
― 田中さん:外装の傷や凹みを取る場合、これまでは傷の深さまで周囲を研磨する、というやり方が主流でした。しかしそれではケース本来のデザインが失われてしまうこともあるため、現在では、凹み部分にレーザーで同質素材を埋め込む技術を採用しています。
素材はステンレスやチタンなどを0.1〜0.2ミリという、髪の毛ほどの細さに加工したワイヤーです。レーザーで埋め込んだ直後は表面に凹凸がありますが、ザラツという研磨で美しく仕上げることで、肉眼では全くわからないレベルまで復元することができます。グランドセイコーでは、全ての素材に対応しています。
技能士の作業デスクにはそれぞれモニターが設置されている。この時は「ひげぜんまい」の形状を整える、1/100ミリずつ調整する作業
― 田中さん:各デスクのモニターによって、書類のペーパーレスと、作業の可視化にも大きく貢献しています。顕微鏡に高性能カメラを搭載した「MVS(Microscope Visualizing System)」という装置を使うことで、若手から技術的な相談を受けた際にも、自分の手元の動きをリアルタイムで見てもらうことができます。また、手元の緻密な作業を記録できるため、若手技能士の教材として、今後の育成にも活かされていくと思います。
精密機械の大敵となるホコリの付着を防ぐため、静電気除去システム(イオナイザー)も導入されている
後輩技能士の育成にかける思いや、伝えていきたいことを教えてください。
― 田中さん:セイコータイムラボに入社すると、3年、5年、10年と、段階的にステップアップしていける確かな社内教育プログラムが用意されています。また、定期的に開催される「時計技能競技大会」などへの参加を促すことで、他の技能士からの刺激を受けながら自身の成長を実感できる良い機会を作っています。
私が後輩たちを指導する際にいつも伝えているのは、「自分自身が100%自信を持てる状態にして、お客様にお戻ししよう」ということです。ほんの少しでも気になる箇所や違和感があれば妥協せず、自分の技術に誇りを持って「完璧にできた」と言える修理をしてほしい。そのために、分からないことがあればどんどん先輩たちを頼って質問するように指導しています。
「私たちの元に届いた時よりも、より良い状態にしてお客様の元へお返しする」。この共通の意識を技能士たちで共有し、これからもセイコーの信頼を守り続けていきたいです。
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