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次世代にも笑顔でつなぐ、3月11日のこと。“わ”で奏でる東日本応援コンサート2023 in東京開催

取材・文 やなぎさわまどか
写真 テレビ岩手

次世代にも笑顔でつなぐ、3月11日のこと。“わ”で奏でる東日本応援コンサート2023 in東京開催

2023.03.28

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多くの人の価値観や生き方を変えた、2011年3月11日の東日本大震災。セイコーでは、震災後ほどなくして被災地に出向き、音楽家の故・前田憲男さんと共に音楽を届ける活動を続けてきました。

みんなで手を取り合う「輪」や、思いを一つにする「和」など、心の絆を広げたいというセイコーの願いを込めた「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」は、被災地である岩手、宮城、福島と東京を繋ぎながら、震災後12年が経過した今も継続しています。当初は被災された方々を応援する場だったコンサートも、今では東北で開催する際の運営に被災者が自ら関わるなど、時の経過とともに変化を重ねながら被災地に寄り添うことに努めています。

2023年3月、通算42回目となった「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」が東京渋谷・オーチャードホールで開催となりました。今年も素晴らしいプロフェッショナルたちが集い、満員の客席と東北に思いを飛ばしたコンサートについてご紹介します。

銀座・和光のショーウインドウでの特別ディスプレイ

今年のコンサートテーマである「笑顔でつなぐ」この言葉には、世代を超えて東北と東京をつなぐ、という思いが込められています。

写真 落合直哉

どんなときも、願いを込めた笑顔の“わ”を

セイコーは創業140周年を迎えた際、グループ全体での存在意義を明文化したグループパーパスとして「革新へのあくなき挑戦で、人々と社会に信頼と感動をもたらし、世界中が笑顔であふれる未来を創ります。」を定めました。正確な「時」を伝え続けてきたセイコーの社会的価値をもって、喜びを届ける企業でありたいと考えたものです。

「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」もこのグループパーパスを背景にして、たくさんの笑顔が生まれる場所でありたいと考えてきました。コンサートテーマも、2022年の「笑顔の向こうに」に続き、2023年は「笑顔でつなぐ」です。各地に、そして次世代に、笑顔を通して語り継いでいきたいと思っています。

ステージと客席をつないだ「生きる」思い

2023年は、ピアニストで作曲家の宮川彬良さんを音楽監修に迎えしました。宮川さんが「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」でタクトを振るのは、2021年の東京開催から2年ぶりです。

演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。素晴らしいステージを魅せてくれた出演者は、ウクライナ出身のオペラ歌手、オクサーナ・ステパニュックさん、東北開催の同コンサートにも出演してくれているボーカルグループのサーカス、渡辺真知子さん、八代亜紀さん、そして歌と朗読で初参加してくれたのは、岩手県久慈市が舞台のドラマで人気を確固たるものとした女優ののんさんでした。

2023年「“わ”で奏でる東日本応援コンサートin東京」に出演者の皆さん、ステージ裏のオフショット

2023年「“わ”で奏でる東日本応援コンサートin東京」に出演者の皆さん、ステージ裏のオフショットです。

アナウンサー・松本志のぶさんのInstagramより

熱いファンと東北への思いを胸に、松本志のぶさんの司会でお届けした2023年の「“わ”で奏でる東日本応援コンサートin東京」。圧巻のステージで魅せてくれた、出演者の皆さんにお話を聞きました。

東北と祖国・ウクライナに思いを馳せて。オクサーナ・ステパニュックさん

「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」初参加でしたね。今日の選曲に込めた思いを教えてください。

オペラ歌手として素晴らしい機会をいただけて心より感謝しています。今日歌った「アヴェ・マリア」は、以前ローマ法王の前でも歌ったことがありますが、この曲はいつも、世界の平和を祈りながら歌っています。もう1曲は「見上げてごらん夜の星を」、わたくし自身も大好きな曲です。『手をつなごう僕と、追いかけよう夢を。二人なら苦しくなんかないさ』という歌詞には、人生の大切なことが込められていると感じています。

東北にはどんな思い出がありますか。

2011年から東日本大震災へのチャリティーコンサートを続けています。仮設住宅へうかがって歌った時は涙が止まりませんでした。今日のコンサートも、東北を応援するセイコーグループの思いに賛同し出演させていただきました。全ての人が幸せであるようにと願って、これからもわたくしのポテンシャルを使って、元気や勇気を与えられるように歌っていきたいです。

祖国ウクライナの平和についてお聞かせください。

昨年9月にウクライナに帰りましたが、胸が苦しくなる風景が広がっていました。美しい世界を作り、子どもたちに繋げられるように、オペラ歌手として芸術活動と慈善活動を続ける気持ちを強くしました。どうか応援してくださいませ。

オクサーナ・ステパニュックさん 写真

ウクライナカラーのリボンをつけたオクサーナさん。ステージではウクライナの弦楽器バンドゥーラの演奏も。

写真 樋口勇一郎

笑顔と思いやりの連鎖を続けていきたい。ボーカルグループ・サーカス

今年の“わ”で奏でる東日本応援コンサートはいかがでしたか。

高さん:東日本大震災から12年が経ち、今もがんばっている東北のこと、それから世界中で起きている悲しい出来事の中にいる子どもたちの未来を祈りながら歌いました。彼らの無垢な笑顔を守れるよう、みんなで手を携えていきたいですね。

ありささん:「笑顔でつなぐ」という今年のコンサートテーマの通り、悲しい出来事の上に楽しい思い出を積み重ねていって、前に進み続けていく力になれたらいいな、と思いました。

正子さん:東日本大震災から12年、阪神・淡路大震災から28年、と月日が経つのはあっという間ですが、忘れずにいることの大切さを思いました。忘れなければ何かできるし、ずっと繋がっていられますもんね。

吉村さん:“わ”で繋がることを改めて考えていました。ぼくたちは「繋がろうよ」と歌いかけていますが、元気や笑顔をくれるのはお客さまの方なんです。今日もたくさんいただいた笑顔を、また違う場所に行ってお届けしたいと思いました。

昨年は3年ぶりに開催された三陸・山田町での「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」にも出演くださいましたね。

ありささん:どの街に行ってもそうですが、山田町も子どもたちがとっても元気なのが印象的です。小さい頃に震災を経験した子どもたちの中には、防災士の資格を取ったり、お医者さんを目指していたりと、辛い経験を前向きな力に向けている子も少なくありません。その笑顔に大人は励まされますよね。
昨年の山田町では友人家族とも再会しましたし、私たちも親子で活動しているので、これからも子どもたちのためになるような、家族で来てもらえるコンサートやイベントを作っていきたいと思います。

サーカス(左から)叶高さん、叶ありささん、叶正子さん、吉村勇一さん 写真

今年は代表曲「Mr.サマータイム」と、公民権運動をきっかけに生まれた往年の名曲「Hymn To Freedom(自由への讃歌)」で会場を魅了したサーカス(左から)叶高さん、叶ありささん、叶正子さん、吉村勇一さん。

写真 樋口勇一郎

この曲を届けたい!東北の皆さんを思い浮かべた瞬間。渡辺真知子さん

今年歌ってくださった「二雙の舟」は、人生の厳しさも出会いの尊さも物語る、力強い曲ですね。

中島みゆきさんが作られた曲で、私はこの曲に出会った時、「これを聞いていただきたい人たちがいる!」と東北で出会った皆さんの顔を強く思い出したんです。大災に向かってまっすぐ、逃げずに堂々と、でも同時に、悲しみも何もかもそのままの感情で立ち向かうストレートな曲だからです。すっかりこの曲に恋をしてしまい、まずは東北の皆さんに届けなくちゃ、という気持ちになりました。
今日はこの曲をフルオーケストラで歌わせてもらったことも感慨深かったです。初めて被災地で歌った時は、前田憲男先生との本当に小さくてシンプルなステージだったことを思い出しました。

昨年は宮城県の七ヶ浜町で開催した「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」にも出演くださいましたね。

コロナ禍になり2年以上行けずにいましたので、皆さんにまた会えて嬉しかったです。七ヶ浜町の会場は後ろがガラス張りで、海でパラセーリングしている方なんかも見えたりする素敵な会場でした。海はわたしの背後ですが、「かもめが翔んだ日」のイントロでカーテンが開いたとき、客席の皆さんの表情がパァーッと一斉に明るく笑顔になって、それを見られただけで嬉しかったですね。東北の皆さんが作ったあたたかな場所で、行くたびに「ただいま」という気持ちになります。

渡辺真知子さん 写真

七ヶ浜の会場では「かもめが翔んだ日」のサビの部分で、手作りのカモメを上から降らすという演出も。「両手を広げて笑顔のお客様たちを見たとき、こうした場所を作ってくださった東北の皆さんに感謝しました」と渡辺真知子さん。

写真 樋口勇一郎

山あり谷ありでも、みんなの気持ちの強さを受け取った。八代亜紀さん

今年もご出演ありがとうございました。選曲は「舟唄」と、人生を応援する歌詞の「明日に生きる愛の歌」でしたね。

今年もたくさんの方が観客席に見えて、がんばらなくっちゃ、と気合が入りました。苦しいことや辛い思いがまだ続いている方もいて、簡単に和らぐことじゃないかもしれないんだけど、できるだけこういう活動には参加したいと思っています。

「明日に生きる愛の歌」は50周年記念のとき発売した私の恩師である作詞家・悠木圭子先生と作曲家・鈴木淳先生が作ってくれた曲で、山も谷もあるけど人生捨てたもんじゃないからがんばっていこう、という思いが詰まっています。デコボコ道でも誰かは見ててくれるはずだし、手を差し伸べてくれる人もいるよ、という大きな愛を伝えたくて選びました。

八代さんは昨年、福島・新地町で開催した「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」にも出演してくださいました。

久しぶりにうかがったので、元気を伝えたいとか励ましたい、なんて思って行きましたが、逆に笑顔やありがとうと言っていただき、私の方が励まされました。皆さんの「負けないぞ」という気持ちが伝わってきて、すごいなと思いましたね。幸せについて考える機会にもなるし、これからもできるだけ皆さんのところに行きたいな、と毎回思いながら帰ってきます。

八代亜紀さん 写真

負けないぞの気持ち、とかわいらしいガッツポーズを見せてくれた八代さん。今年は服部CEOと一緒にフランク・シナトラの名曲「Fly Me To The Moon」も聞かせてくれました。

写真 樋口勇一郎

東北は「おかえり」と迎えてくれる場所。のんさん

初めての「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」はいかがでしたか。

すごく胸がいっぱいになりました。オーチャードホールに立つのも初めてでしたし、東北のためのコンサートに参加できたことが本当に嬉しかったです。皆さんに思いが届いてほしいと願いながら歌いました。

歌の前には、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を朗読させてもらったんですが、宮川さんにピアノの伴奏をお願いしたんです。詩を読みながら、かすかに聞こえる童謡「故郷(ふるさと)」がピッタリで、私もとても気持ちが良かったです。みんなが知ってるメロディーで、詩の中にふっと自分の故郷を思い出すこともあるし、とても感動的でした。

今日歌ってくださった「この街は」は、東北を思って書かれたと聞きました。東北への思いなど教えてください。

東北って本当に良いところがたくさんあるんですよね。もちろんまだ復興に尽力されていたり、これからもっと良くなるところもあると思うんですが、山とか空とか自然のものがすごく素敵な場所がたくさんあります。私は地元の皆さんにも、「東北は素晴らしい」って強く思ってもらえたら良いなと思って、この曲を書きました。
自然の力ですごくショックなことが起きたんですけど、でもそこにある風景や住んでるみんなはとてもあたたかくて素敵なので、それを言葉にして歌っていると、力強い自信になっていくと思うんです。

のんとして活動し始めたばかりの頃、久慈に行ったら「のんちゃん、おかえり」と言ってくれたんです。まだ全然「のん」の名前が浸透する前に「のんちゃん」と呼んでくれたのは、久慈の皆さんでした。それが本当に嬉しくて、とても元気になって、これからがんばっていこう、と思えました。私にとって東北は、家族みたいに受け入れてくれる場所です。

のんさん 写真

主演映画「さかなのこ」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞し、コンサート当日は授賞式と掛け持ちだったのんさん。透明感のある声で会場をひとつにしてくれた朗読には、涙を拭う人も多く見られました。

写真 樋口勇一郎

みんなが笑顔になるための準備が仕事です。宮川彬良さん

2年越しでの「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」、音楽監修をありがとうございました。

無事に終わってホッとしています。リハーサルからすごく和やかで、何も問題が起きないまま、楽しいばかりの時間でしたね。僕の立場は「用意すること」が仕事なんです。この数時間、お客様はもちろん、歌う人も演奏する人も、機材などのスタッフさんもみんなが気持ちよくいられるように準備する係なんですね。なので、蒔いたタネがうまく咲いてくれるかな、という程よい緊張感がありました。

今年のテーマは「笑顔でつなぐ」でしたが、僕が譜面を書く時はいつも演奏家たちの笑顔を考えてるんですよ。演奏家は音符ひとつで楽しくも不機嫌にもなるものなので、この演奏ができて良かった、と笑顔になって欲しいんです。だからどんなに頭に入ってる曲でも毎回、音符を一つひとつ、誰かの笑顔を思いながら手で書いています。1ページ書くのに最低でも1時間は掛かりますね。でもその笑顔が音に表れるし、聞いてくださる方が心地よく感じてもらえるかどうかに影響してくるんです。そういう意味ではいつも、笑顔でつなぐことを意識しています。

のんさんも、朗読の時の宮川さんのピアノが気持ちよかった、とおっしゃっていました。

それはよかった。谷川さんの詩は、もうそれ自体が曲であるような100%完成している作品ですし、のんさんの声だけで十分、なにも音は要らないと思ったのですが、のんさんが是非と言ってくれたので演出家と考えました。イメージしたのは、小学校の校庭で遊んでいる時、誰かが学校のピアノを弾いた音が遠くから聞こえている風景です。そう思ったら「故郷(ふるさと)」がぴったりでした。

宮川さんご自身は東北についてどんな思い入れがありますか。

何か特別なご縁というよりは、ずっと気になっている存在、というイメージです。なぜなら東北って、僕にとっては文学の聖地という感じがするんです。寺山修司が青森で生まれて、岩手が宮沢賢治を育んで、と他にもたくさんの作家たちの思いがあの沿岸沿いにあったような気がするんですよね。そのせいか、東北で見る月は東京で見る月とはちょっと違うように感じるというか、太平洋の向こうに創作の原点があるんじゃないかと思ってしまう。「深遠」という言葉が合うような、僕にとっての東北はそういう特別感があります。

宮川彬良さん 写真

お母様が福島ご出身ということもあり「東北には故郷とか原点みたいなイメージがある」と宮川さん。コンサート翌日からは、東北ミニツアーを控えていました。

写真 樋口勇一郎

皆さんの笑顔をつくることが、私たちのミッション。服部真二CEO

今年で13年目、そして通算42回目の「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」も無事に終了しましたね。

ご来場の皆さんが弾けるような笑顔でよかったです。今年私はスティービー・ワンダーの「A Place In The Sun~太陽のあたる場所~」を歌ったのですが、震災から12年が経ち、新たなステージの中にあるからこそ、復興地にも太陽がいっぱい当たり始めて欲しいという願いを込めました。震災を知らない世代も増えていくわけですし、子どもたちに笑顔で楽しいことを繋いでいきたいと思っています。
また今年は、ウクライナ出身のオクサーナさんがご参加くださり、東北だけでなく、ウクライナへの思いもみんなで共有できたと思います。

コンサートテーマは昨年の「笑顔の向こうに」から、今年は「笑顔でつなぐ」になりました。来年のこともお考えですか。

次もやはり笑顔でしょうね。というのも我々セイコーの存在意義を示すパーパスに「世界中が笑顔であふれる未来を創る」という理念を込めていますから。以前、この活動は私が元気でいる限りずっと続けていく、と宣言したことがありました。来年もまた、笑顔をキーワードにして、東北にとってどういう形が良いかを模索していきます。

服部真二CEO 写真

実行委員長として無事の閉幕に安堵する服部CEO。そして来年の開催も最後に発表されました。2024年の「“わ”で奏でる東日本応援コンサートin東京」は3月10日(日)、場所は東京国際フォーラムです。

写真 樋口勇一郎

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