初対談が実現した山縣亮太と大橋悠依はTeam Seiko特別仕様のスーツとプロスペックスを着用
文 矢内由美子(Yumiko Yanai)
写真 杉山拓也(Takuya Sugiyama/Number)
時を刻むという、ごまかしの利かない領域で勝負するアスリート2人が、初対談を通じて“共鳴”した。
陸上男子100mの日本記録保持者で、リオデジャネイロ大会男子4×100mリレーの銀メダリストでもある山縣亮太と、昨夏、東京大会で競泳女子個人メドレー2冠に輝いた大橋悠依。「Team Seiko」のトップアスリート同士の対談が実現。
お二人はこれまで直接の面識はあまりなかったとお聞きしますが、お互いの印象はどんな感じでしたか?
山縣:一方的ですけど大橋さんのことはすごく知っていましたよ。(男子100mの)桐生(祥秀)くんが滋賀県出身で、確か同郷で大学も同じですよね。気さくな人なんだろうなという印象を持っていました。
大橋:私も一方的に知っていました。桐生くんのライバルであり、一緒にリレーを走っている、走るのがすごく速い人という印象です。
山縣さんは陸上男子100mの日本記録「9秒95」をお持ちで、ロンドン大会とリオデジャネイロ大会で自己ベストを記録する勝負強さもあります。勝負強さの理由はどんなところにあるのでしょう。
山縣:運もありますが、スタートラインに立った時に吹っ切れているかどうかという精神面の部分は大きかったと思います。ロンドンでは本番の前日までレースパターンをどうするかを悩んで、でも最終的には「このパターンで自分はやるんだ」ということを決めて臨みました。大橋さんはどうでしたか?
大橋:私も山縣さんと似ていますね。タイムは自己ベストではなかったですが、「最後は全部の力を出し切ったと言えるように、終わろう」と思えたのが良かったですし、運も良かったなと思っています。
山縣:運というのはどういうところ?
大橋:コースです。私はプールを正面にして右側が好きなのですが、水泳では奇数の順位で残ると右側のコースになるんです。私は400mの予選が3着、200mは準決勝が5着で、決勝では2種目とも右側に入れました。ラッキーだな、なんか行けそうだなと思いましたね。
山縣:確かに右のコースに行くのは運だよね。自分でコントロールできないから。
大橋:他の選手の順位も関係しますからね。陸上ではコースの好き嫌いなどはありますか。
山縣:1レーンや8レーンは視界のバランスが悪いので嫌ですが、それ以外はあまり気にならないですね。それと、9秒95の日本新を出した時は、追い風2.0mという運がありました。陸上はトラックの質もあるし風向きもあるし、タイムに関して言うと運は本当に大きいです。ただ、追い風2mという公認ギリギリの風が吹いた時に9秒95で走れる身体ではありました。
大橋「(東京では)自分をすごく信じていました」
大橋さんは東京大会の時、直前の不調から劇的に調子を回復して2冠を達成しました。本番直前に気持ちが吹っ切れる前はどのような心理状況だったのですか。
大橋:大会前の合宿ではずっと調子が悪かったのですが、考えていたのは、とにかく残り1カ月間は自分がどのように泳ぎたいかというプランを守り続けようということでした。開会式の5日前ぐらいに選手村に入った時に、信頼するトレーナーの方に診てもらえて、そこから一気に感覚が変わったのを覚えています。その時初めて「あれ、もしかしたら行けるのでは?」と思いましたね。
山縣:本番直前に「行けるかも」と思えることはなかなかないから羨ましいな。僕は明確な自信を持ってスタートラインに立ったことは正直一度もなくて、もう一つハマり切ってないような感覚で最後まで悩み続けてスタートラインに立ってきましたね。

2023年に怪我からの完全復活を期す山縣亮太
ロンドン大会では直前までレースプランをどうするか迷ったとおっしゃっていましたが、最終的に決めたのはいつですか?
山縣:試合前日ですね。僕はスタートが得意なので、一つはスタートから全力で行って相手を引き離し、その貯金を最後まで保たせるというレースプラン。もう一つは、9割くらいの力でスタートを切って60mでトップスピードが来るように徐々に加速をしていくというプランで、僕としては後者の方をやりたかった。でも、海外の選手は後半が伸びてくるので、前半にリードしていないと怖い。だからスタートから行くパターンで走りたくなってしまうのですが、「でもな、自分がしたいレースはそれじゃないんだよな」とずっと悩んでいました。
前日にやっと決心がついたのは大橋さんと同じで、トレーナーから「山縣くんの思うようなレースをしたらいいよ」と背中を押されたからなんです。そこで「もうどうなってもいいから自分の思うレースをしよう」と気持ちを切り替えることができて、自己ベストが出たんです。
大橋:レースプランについては、私の場合は400m個人メドレーも200m個人メドレーも、平井先生(伯昌コーチ)と話し合って決めていたプランがあったので、それをやるだけでしたね。あと、東京大会は準決勝と決勝レースが午前だったので、前夜の予選が終わった瞬間から身体をどうやって回復させるかは決めていました。
山縣:僕が東京大会ですごく難しいなと思ったのは、直前の6月に9秒95を出していたり、過去2大会で自己ベストを出していたりしたので、自分に対する期待が大きくて、本番が近づいてくるにつれてプレッシャーが膨らんだんです。大橋さんはどうでしたか?
大橋:私は東京大会の代表選考会の泳ぎやタイムがあまり良くなくて、だから自分もコーチもメディアの方々や周りの選手も多分「こいつが金メダルを取ることはまあないだろう」という感じだったと思うんですよ。私は案外そういう状況の方が好きで、「どうせ私にはできないと思ってるんだろうな。誰にも見られていないからその隙にやってやりますか」というような感覚はありましたね。
それと、調子が悪い時期は絶望的な気持ちでありながら、心の中では「私には力がある」「私は外せないところで力を出すことのできるタイプだ」と自分をすごく信じていました。
山縣:見返してやろう、という気持ちですよね。僕なんかもう、小さい頃からずっとそういう感じでしたよ。
大橋:「絶対やってやるぞ」と思いますよね。
山縣「レースに向かう時に考えることは3つまで」
山縣さんは28歳で日本新記録を樹立し、大橋さんは25歳で目標の舞台に初出場して2冠を達成しました。重ねてきた経験を結果に反映させるためには、何が必要だと思いますか。
大橋:やっぱり、経験値というのは大事な場面ですごく力になると思っています。私が気をつけていたことは、同じ失敗を2回しないように努力すること。失敗してもいいんですけど、なぜダメだったのかを省みることは必ずやっていました。それが東京大会に活きたと感じたところはありました。
山縣:僕も一緒ですね。陸上選手でよく起きるのは怪我ですが、怪我をしたというのは失敗だと思うんです。やってしまったときになぜそこを怪我してしまったのかを検証して、深いレベルまで落とし込んで、変えられるかどうか。何がいけなかったのか、自分の身体の動きの癖は何だろうか。そういうことをきっちり整理する。そうすると大橋さんが言ってくれたように、失敗を繰り返さなくなると思います。自分はこんなことができないのか、と思うようなことを受け入れるのも大事です。
大橋:失敗を繰り返さないためには、自分の良くないことを受け入れられるメンタリティーが必要ですね。向き合うのがきついと思うところはありますけど、もう1歩上に行こうと思うと、自分の良くないことに向き合わなきゃいけない時が来ますから。

昨夏に達成した2冠の裏側を振り返る大橋悠依
10秒に満たない一瞬の間に100%を注ぎ込む山縣さん。4泳法すべてをレベルアップさせる大橋さん。競技の特性としては対極にいるようにも見えますが、お互いの目にはどのように映っていますか?
大橋:競泳では男子の50m自由形でも約21秒かかります。100m走はその半分の時間で決着がつく種目なので、どういう感じでレースに向かっているのかが気になります。意識することも大事だけど、意識しないことも大事なのではないかと思うのですが、10秒間に全部を出さなくてはいけない中で、考えている時間はありますか?
山縣:ありますけど、でもやっぱり短い時間だから、レース中に考えることをできるだけ少なくするのは大事です。実際は言い出せば切りがなくて、スタートでどう出るとか、中間をどう走るとか、腕をどう振りたいとか、考えることは無限にあるんですけど、僕はレースに向かう時に考えることは3つまでと決めています。
それと、10秒で決着をすると思っちゃうとすごく身体が固くなるので、多分、みんなも同じような不安を抱えてるから、ちょっとくらい失敗しても別に致命傷にはならない、という程度のゆとりは持っています。8レーンの中で100点のレースをできる人なんていない。みんな何かしらミスしているので、自分だけじゃないと考えています。
大橋:「3つ」とは何かが気になりますね。
山縣:シーズンごとに違うのですが、よくやっているのは目線と腰の位置です。
大橋:そうなんですね。実は私も山縣さんと同じで、気をつけるところは1種目につき1つと決めています。そうすると、泳いでいる時に周りを見る余裕が生まれます。あとはその時の自分の身体の感覚を見て、今日は前半から行こうかなとか、前半から行くともたないから抑えようかな、とかを決めていますね。
山縣&大橋「パリでは自己ベストを出せるように」
今後の目標を教えていただけますか。
山縣:僕はパリ大会を目指して、そのために今年1年間をかけて休んだので、来年から復帰して、パリでまた自己ベストを出せるように頑張りたいなと思っています。
大橋:私もパリ大会に向けて泳いでいますから、どうしてもメダル獲得の期待はされると思うんですけど、今考えているのは自己ベストを出すことです。400mは今後続けていくかどうかわからないのですが、200mは2017年に出した自分のベストを更新したいと思っています。
山縣:あの舞台で金メダルとった選手がまた金メダルを取りたいという思いは生まれてくるものですか。
大橋:それが今、悩みなんですよね。泳ぐのは好きだし、試合にも出て自己ベストを出したいと思っているんですけど、心の底から絶対金メダル取りたいという気持ちが今あるかと言われると、すごく難しいところですよ。
山縣:興味深い話ですよね。今回、対談する前は、大橋さんがやっている個人メドレーは多種目だし、距離が長いから、短距離の僕とは競技者としてのメンタリティーは違うのかなと思っていたのですが、話してみると似たようなことを考えていらっしゃるんだなというのを感じました。お聞きして、勇気を持ちました。
大橋:私もやっぱり共通点があるんだなと感じました。山縣さんのお話に近いと思ったのは、東京大会の200m個人メドレーの時です。私も「みんなメダルを取りたいから、緊張しているんだろうな」と思っていましたね。

セイコーハウス銀座屋上にある時計塔の下で
最後に、「Team Seiko」のメンバーとして今後一緒に挑戦してみたいことを教えてください。
山縣:それぞれ水泳教室や陸上教室をやっていくでしょうから、スポーツの良さ、スポーツの価値を広く知ってもらえるように、一緒になってやれたらいいなと思います。
大橋:せっかく競技の垣根を越えた仲間が集まっているので、それぞれの競技を体験してみるのは良いかなと思います。走り方を教えてもらったり、私は泳ぎ方を教えたり。多分、アスリートって運動神経が良いと思われているでしょうけど、私は全然走れないし。
山縣:僕は泳げないよ(笑)。
大橋:そういう部分が見られれば面白いんじゃないかなと思いますね。
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