文 生島淳(Jun Ikushima)
写真 杉山 拓也(Takuya Sugiyama/Number)
2021年6月に行われた陸上日本選手権。
世界の大舞台の代表権がかかった男子100mには、大きな注目が集まった。
わずか10秒間の戦い、2位に入ったのはデーデー ブルーノだった。
これが彼にとって、大きなブレイクの瞬間となった。
日本選手権では200mでも2位に入り、世界の大舞台のリレーメンバーにも選ばれ飛躍の年となったが、この舞台にたどり着くまでには試行錯誤を重ねていたという。
「去年の前半戦はどうも歯車が噛み合わず、苦戦していました。自分の持ち味はトップスピードの維持にありますが、肝心のトップスピードに到達するまでの流れをうまく表現できず、自分の中でモヤモヤしていました」
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2021年は大舞台でも実力者たちに競り勝つ強さを発揮した
写真 MATSUO.K/AFLO SPORT
ポイントとなるのは「重心の高さ」だった。「僕の場合、走る時は腹筋の下のあたりの部位が肝心ですが、5月から6月にかけて、『あ、重心が落ちてるな』とか、『今のはいい感じだった』という感触を把握できるようになってきたんです。ちょうど日本選手権の時には、自分なりの感覚がつかめて、トップスピードから後半のスピードの維持へと、うまく力がリンクするようになってきました」
「正直、決勝の前は怖いですよ」
日本選手権の100mでは、9秒台のランナーが4人顔をそろえた。そのなかで、デーデーは挑戦者だった。
「予選前日はなんだかフワフワしていて、いい意味での重さがなかったんです。緊張していたのかもしれませんね。自分は体に刺激を入れるためにウェイトトレーニングをやるのですが、そこで自己ベストが出たんです。その意味で体は仕上がっていたと思いますが、予選を1本走ってみると、『意外に悪くないな』という感触でした」
準決勝を通過し、いよいよ決勝。
「世界の大舞台の出場権がかかっていただけに、空気が重たかったことを覚えてます。正直、決勝の前は怖いですよ。僕はピリピリした空気が苦手なのでサブトラックでアップしたかったんですけど、雨が降ってきたので室内練習場に移動しました。決勝は選手が1人1人紹介されて入場していくのが最高でした。本当に気持ち良かったですよ」
そしてレース本番。100mは、たった10秒の中に様々なドラマ、要素が隠されている技術の種目でもある。
50m過ぎ、瞬間的に手ごたえを感じたが……
「これまでの自分の経験では、スタートから置いていかれることが多かったんです。みんな、スタートがうまいですからね。ところが、あのレースでは先頭に立った多田(修平)さんにもそれほど離されず、いい形で中間疾走に移行し、それからトップスピードに乗れました」
50mを過ぎ、瞬間的に手ごたえを感じた。最終フェイズは、得意のトップスピードの維持である。
「多田さんが近づいてきているのが分かりました。気持ちの部分の力みが少し出てしまったのかなと思います」
100mの世界では、力むと失速幅が大きくなる。勝てそうだ……という予感が終盤のスピードに影響した。
100mを走るスプリンターは、フィニッシュ地点で0秒01の差であっても、「勝った」「負けた」が分かるという。デーデーは多田には届かなかったことには気づいていた。
「ああ、届かなかったか……とは思いました。でも、その後に電光掲示板に2番で僕の名前が出た瞬間、スタンドが沸いたんです。それがうれしかったですね。もともと、自分の走りでスタンドが沸くのが好きなので」
デーデーにとっての“陸上の面白さ”とは
デーデーは、高校1年まではサッカー部に所属していた。しかし限界を感じ、2年生から陸上競技に転向。最初の地区大会を走ったときから、スタンドを沸かせていた。
「最初の大会、今でも覚えてます。レース前にあまりにも緊張しすぎて、ごはんが喉を通らなかった(笑)」

リレーで長野県大会に出場した創造学園高校時代
写真 Bruno Dede
地区大会予選で、11秒02のタイムでいきなり予選を通過、決勝は2位。それでも彼はこの結果、タイムを淡々と受け止めていたという。
「高校レベルだと、10秒台に突入するところにひとつの壁があると言われてるんですが、当時の自分の感覚として、『10秒台、行けるな』と思っていたので、冷静でした。それよりも、自分が勝った時にスタンドが沸いた感覚の方をよく覚えています。でも、その後の県大会、北信越大会と勝てませんでした。本当に悔しかった。そこで勝てなかったのが、自分にとっては良かったと思っています。もしあそこで勝っていたら陸上を続けなかったかもしれない。陸上は自分が取り組んだことが、そのままタイムに直結するのが面白いところです」
高校卒業後は東海大に進学し、大学2年の時の2019年の日本選手権では挫折も味わった。
「準決勝に進みましたが、そこでトップ選手との差をまざまざと見せつけられ、『どうやったら追いつけるんだろう? 自分には無理かな』と自問自答することになり、1カ月ほど休みをもらったこともありました」

東海大学での練習中にリラックスした表情を見せる
写真 杉山 拓也(Takuya Sugiyama/Number)
しかし、また走ることに対する意欲が湧いてきた。
「結局、走るのが楽しくて(笑)。自分なりに試行錯誤しながら走ることを続けていたら、2021年、自分がいきなり高いレベルのところに入ってしまっていた……という感じです。そのレベルで競技が出来るのはそれなりにプレッシャーもありますけど、楽しいですよ」
「Team Seiko」で山縣亮太とチームメイトに
そして今季から、デーデーは「Team Seiko」の一員としてトラックに挑む。
「お話を頂戴した時、正直、自分でいいのかと思ってしまいました(笑)。福島千里さんは引退されましたが、山縣亮太さんはずっと日本のトップランナーとして活躍されてきて、一緒のチームで走るのはとても光栄なことです。セイコーは時計の会社というイメージがありますが、タイムを追う陸上競技ともマッチしていると感じています」
タイム、時間についてはこれまでもいろいろな感覚を味わってきた。
「100mって、時間の感覚が不思議な種目なんです。調子がいいと、スタートしてから意識が飛んでいるというか、もう4秒くらい経っていて、アッという間に終わってしまいます。反対に、調子が悪い時は長くて、『早く終わらないかな』と思ってしまうくらいです」
「現実にしたい」デーデーの目標と夢
大学を卒業し、社会人1年目となる2022年の目標は、7月にアメリカのオレゴン州で開催される世界選手権だ。
「個人種目では100mの出場権を獲得したいですね。ただ、参加標準記録の10秒05は簡単に出せるタイムではないので、しっかりと練習を重ねていきたいと思います。自分としては、2年後の世界の大舞台の100m決勝の舞台に立つことが夢です。世界の大舞台で、世界でたった8人だけが決勝を走れる。紹介されて入場していくイメージを現実にしたいです」

鋭い視線の先に世界選手権への出場を見据える
写真 杉山 拓也(Takuya Sugiyama/Number)
100mを主戦場と考えてはいるが、200mの結果も追い求めていくという。
「200mの走り方とか、まだ分からなくて(笑)。コーナーを抜けてから直線に向かうところで、力まかせに押していっているので、より効率的な走りも追求していきたいです」
陸上競技を始めて、まだ6年しか経っていない。これから先の時間は、より充実したものになるはずだ。
「注目されること自体はそれほど好きではありませんが、注目されることで力が発揮できることもあるし、可能になることもあると思っています」
デーデー ブルーノの世界への挑戦は始まったばかりである。
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