文 村上アンリ
写真 近藤 篤
男子短距離の山縣亮太が、9秒台突入目前と注目される中、肺気胸と診断され、世界選手権の代表選考がかかった日本選手権を欠場。その後、リレーメンバー候補として名を連ね、セイコーゴールデングランプリ大阪以降の大会出場を目指していたが、予選に備えたウォーミングアップ中に、右太もも裏に違和感を覚えたため再び欠場。アクシデントが続き、不本意なシーズンに終わった2019年を振り返り、どのようにモチベーションを保ち、ベストを尽くすのか? 2020年の大舞台へ向けた心境と目標を聞いた。
怪我や病…トラブルが続いた山縣亮太の2019年
体調の方はいかがですか?
まだまだベストには遠いですが、一時期に比べればずいぶん良くなってきました。一番ひどかった時期は体重も5キロほど落ちていましたし、200mのトレーニングタイムも1秒近く遅くなっていましたから。
2019年は残念ながらトラブルの多い一年でしたね。
そうですね。3月のフロリダ合宿でウェイトトレーニングをかなりやったのですが、月の半ば頃から背中に違和感を感じ始めたんです。その違和感をずっと抱えたまま、4月のアジア選手権、5月のセイコーゴールデングランプリまでは参加しました。痛みはなかったのですが、ずっと調子が上がらないな、と感じながらやっていました。
肉体に違和感が出ている状態というのは、ある種の危険信号が出ているわけですよね。
日本選手権前にはしっかり休みも取ったのですが、大会が近づいてくるとさすがにもう練習をやらないわけにはいかないな、と。追い込んだ練習を急にやり始めたら、今度は肺気胸になってしまったんです。
それは本当に大変な状態でしたね。来年に大事な大会を控えて、しっかりと休みを取る心の余裕がなかった、そんな背景もあったのですか?
普通のシーズンなら確かに休んでいましたね。怪我というのは僕の経験上、休んで良くなるものと身体を動かしていた方が良くなるものの2種類があるんです。3月の背中の違和感はどちらに分類されるものなのか、その時点ではわからないわけです。目の前にレースが迫っていたので、とりあえず練習をして動かしてみるという選択をしましたが、それで良くなる兆候がなかったので、結局は休むことにしたんです。
トップアスリートとしての自分の肉体は、ずいぶんデリケートなものだなあと感じることはありますか?
あります。自分でもまだ完全には把握できていませんね。走り方そのものは昨年から変えていないのですが、ウェイトトレーニングの量ややり方、あるいは年齢、さまざまな要素で身体の動きが大きく変わってくるんです。
そういう繊細な肉体と日々向き合いながら進んでゆくのが、アスリートの定めでもありますよね。
そうですね。今の自分を見つめて、ウォーミングアップの姿勢、ウェイトトレーニングの方法、コンディショニング、治療方法をその時々で決めてゆく。昔はこういう風にやっていたからといって、それが今でもベストな選択というわけでもない。むしろ以前の感覚に囚われていると、うまくいかないことが多いですね。その時々で最適の解を導き出さないといけませんね。
休止期間で取り戻せた「挑戦する心」
積み上げていける経験がある一方で、どんなに経験値を高めても今回の背中の違和感のように初めて起こるアクシデントもありますよね。
僕は同じ部位での怪我というのをほとんど繰り返したことがないんです。ハムストリング(下肢後面を作る筋肉)、腰、足首、今回は背中。次はどこにくるのかな、って大体は予想できたりもする。次はアキレス腱、あるいは膝なのかなって。今は痛くないから何も考えない、ではなく、起こるかもしれない故障に対して先に予防してゆく、そんな意識は持っています。
走りたい、トレーニングしたい時にできない、精神的にもきつかったのではないですか?
はい、たぶん今までで一番きつかったです。日本選手権という大きな大会が近づいてくる中で練習ができない状況は、とてももどかしかった。
どんなにケアしていても、怪我あるいは病気というものが起こってしまう時があると思うのですが、山縣選手はそういう状況の時、どのようにして心の積極性を維持しているのですか?
正直言って、僕自身がモチベーションを常に高く保てていたかどうかはわからないですが、難しい現状をどうやって乗り越えるかを、日々自分で考えるわけじゃないですか。昨日よりは今日の方がほんの少しにしてもよくはなっているな、と。それは自分の中で大きな成長だと思うんです。結果は出ていないけれど、自分は決して立ち止まっているわけではない、と。
とてもいい言葉ですね。
そんなことを怪我の間は自分に言い聞かせていましたね。この時間も決して無駄ではないんだぞ、って。
その休んでいる間、アスリート、ランナーとしての気づきのようなものはありましたか?
ありました。怪我に対する予防の考え方も含めて、とんでもなくうまくいかない時期を経ることで、自分の内面的な部分でも成長はあったと思います。考え方が変わってきましたね。別に意識して守りに入ろうとしていたわけではないのですけど、以前の自分は結果的には恐怖を感じて動けなくなっていた時もあったのかなと思います。それが今回、すごく深い底を経験できたことによって、もう一回初心に戻り、挑戦する心を取り戻せたような気もします。
確かに山縣選手の立ち位置は、いつのまにか挑戦する者ではなく挑戦される者に変わっていましたよね。
結果的にドーハで開催された世界陸上には参加できなかったですし、あそこで走りたかったな、という思いは常にあるんですけど、それを気にしていても自分の足が速くなるわけではないですからね。とにかく自分の課題に向き合って、まずは肉体を戦える状態に戻す、そのことしか頭にないです。
ピアノに自炊、山縣亮太の切り替え方法
厄介な競技を選んでしまったなあ、なんて思ったりしますか?(笑)
やって初めてその厄介さを知るというか。(笑)例えば200mを走るトレーニングは、時間にすればほんの21秒くらい。練習時間はそう長くはないんですが、スタート位置についた瞬間、なんで俺は200mも走らなきゃいけないんだ、なんて思うこともありますよ。かといって、長距離をやりたいなんて全く思わないですけど。(笑)
で、その練習でいいタイムが出ればまだしも、悪かったりしたらまたさらに気持ちが沈んでしまいますね。
ですね。今日はいい練習ができた、そう思えることが次への練習のモチベーションになるんです。調子の悪い時は、この練習に意味があったのかな、っていう思いが常に自分の意識から離れない。そうなると、全然練習をやる気が起きないんです。
そんな時はどうやって気持ちを切り替えるのですか?
僕は自炊をしているので、料理はいい気分転換になりますかね。あとは8月にピアノを始めました。
ピアノですか!?
はい、全くの初心者なのですが、ピアノが上手に弾けたらいいなってある日思い立って。(笑)いつか久石譲の曲でも弾いてみたいなと。10秒00を切るよりも難しいかもしれませんけど。もし弾けるようになったらその時はお聞かせしますよ。(笑)
自己ベスト"9秒台"へ挑む2020年
それは楽しみにしています。山縣選手にとっては本当に色々な出来事があった2019年だったと思いますが、最後に2020年に向けての抱負があれば聞かせていただけますか。
そうですね。やはり東京での大舞台に立って、準決勝で自己ベストを更新したいです。9秒台はもちろんですが、春までにその9秒台を出せていれば、さらにその記録を更新したいなと思います。もちろんその前には何段階ものステップを踏まなければいけないので、この冬から計画的に進めていきたいです。
東京での大舞台に立っている自分はイメージできているんですか?
そうですね。もう少し強いイメージが欲しいかなとは思います。ずっと調子が良くなかった分、どうしてもまだ足りない感覚は残っています。ただ、自分自身の走りの延長線上に自己ベストがあるのはわかっているんです。東京の大舞台で自己ベストを出すことは十分可能なんだ、と。そこにさらなる確信を持つためには、やはり練習量が説得力を持つのかな。
自分もその一人なんですが、山縣選手に期待する声はとても多いです。
誰もがそうだと思うんですが、走るってことは究極的には自分自身のためにやっていることですよね。でも、自分一人の力だけでは当然ここまでは来れませんでした。僕の活動を支えてくれるセイコー、声援を送ってくれるファンの皆さん、怪我や故障を治してくれる先生方、お互いに競い合うライバルの存在、そして一番身近でいつも気にかけてくれているスタッフや家族。自分が走ることで喜んでくれる人がいる、だから僕ももっともっと走る気持ちになれるんですよね。
2020年は夏に自国での大きな大会も開催されるということで自分にとっても重要な年になるので、苦しかった2019年も含めたこれまでの経験を結果に還元していけるように、しっかり準備して試合に臨んでいきたいと思います。
RYOTA YAMAGATA
山縣亮太 選手の記事
陸上短距離選手
山縣亮太
長年にわたり日本男子陸上界を牽引してきたトップスプリンター。2021年6月に自己ベスト9秒95で日本新記録を樹立。国内・世界の大舞台で活躍を続けている。幾多の困難から復活してきたその姿から、”ミスター逆境”の異名を持つ。