

文 折山淑美
写真 落合直哉
身長195cmという体格と長いストライドを活かして、男子400mハードルと110mハードルの二刀流に挑戦する豊田兼。400mも含めた短距離種目において、日本はもちろん、世界を席巻する可能性を秘めた将来有望なマルチスプリンターだ。
そんな豊田だが、父親の祖国フランスでの開催となった2024年のパリでの世界の大舞台では400mハードルに出場するものの、左太ももの負傷を再発させて予選落ち。シニアレベル初の国際大会で悔し涙を飲んだ。その雪辱を晴らす舞台は、自身が生まれ育った地で開催の東京2025世界陸上しかない。「決勝まではすべて過程と捉える。」と語気を強める豊田が胸に秘める決意とは。そして、今後の陸上競技選手としての目指す姿についても聞いた。
パリで学んだのは「国際大会でパフォーマンスを発揮する重要性」

パリの舞台ではケガで左太ももが痛む状況ながら、400mハードルを最後まで走り抜いた
写真 落合直哉
2023年秋から急成長を果たし、シニア初の代表入りを果たした豊田兼。そんな豊田にとって父の祖国フランスの首都パリで開催された国際大会は特別な舞台だった。「気持ちとしては、東京2025世界陸上と同じくらい大事な大会でした。」と話す豊田。だがレース本番直前のケガもあり、400mハードルの予選第5組6位でフィニッシュし、敗者復活戦棄権という悔しい結果に終わった。「試合の5日ほど前の練習でケガが再発し、『出場することはできるけど……』という状況で判断に迷いました。出すべき力をまったく発揮できなかったので、非常に悔しい結果でした。」と振り返る。
その遠因は2024年6月末に開催された日本陸上競技選手権大会だった。400mハードルを自己ベスト更新かつ日本歴代3位となる47秒99で制して代表内定を決めたが、110mハードルの予選に出場した際にゴール後に左足を痛めた。

日本選手権大会では400mハードルで自己ベストを更新し、自身の未来への期待が膨らんでいた
写真 フォート・キシモト
「その後はリハビリも含めてずっと極限の状態で……。ケガを再発させてしまうのか、パフォーマンスを最大限高めるかのギリギリのせめぎ合いを1ヶ月間ずっと続けていました。結果としてケガを再発させてしまいましたが、自分がやってきたことは間違っていなかったと思っています。」と語る。豊田には、パリの大舞台でチャレンジするという選択肢しかなかったからだ。
初の代表参加で「国際大会での価値は出場ではなく、自身のパフォーマンスを最大限発揮すること。」を痛感したという。「これまでの経験が東京2025世界陸上の決勝までの過程だと捉え直して、今季の練習に取り組んでいます。」とパリの大舞台での教訓を胸に、自身の真価を発揮することに並々ならぬ決意を覗かせた。
東京2025世界陸上の開催が決定したのは、豊田が大学2年生だった2022年7月。当時開催されていたオレゴン2022世界陸上に知り合いの選手が多数出場していたこともあり、「『3年後の東京を目指すしかない』という使命感に駆られた。」と振り返る。「オレゴン2022世界陸上をテレビで観戦したからこそ、非常に悔しくなった記憶があります。そこから練習の量も質も高めていったので、400mを含む3種目すべてで自己ベストを出すことができ、競技者としての意識も世界に近づきました。」
東京2025世界陸上が自国開催となる点については、「パリでの世界の大舞台では人一倍プレッシャーを感じた中でケガをしてしまい、最後まで走り切ることしか叶いませんでした。そんなレースを体験したからこそ今があると思っています。パリでの経験のおかげで世界を相手にしても怯むことはないですし、自国開催で応援していただける方々に自分のパフォーマンスを間近で見てもらえるのはパワーになります。旧国立競技場は小学生の頃から慣れ親しんだ場所なので、とても楽しみな大会です。」と期待に胸を膨らませた。
二刀流ハードラーの原点は、自ら道を切り開く力

未開拓の領域に挑む好奇心と自身の恵まれた体格の両立があってこそ二刀流ハードラーが成立した
写真 落合直哉
「旧国立競技場で初めて走った時に買った国立競技場のTシャツをずっと着ていました。」という豊田が陸上競技を始めたのは小学生時代。小学5年生で全国大会に出場した際に、陸上競技の楽しさを感じたと振り返る。桐朋中学に入学してからは、400mと110mユースハードル、走り高跳び、砲丸投げの得点合計で競う四種競技を選択したが、中学3年生で挑んだ関東大会では11点差で全国大会出場を逃し、その悔しさが現在まで陸上競技を続けるきっかけにもなった。「四種競技に挑戦したことで400mと110mハードルの適性があると分かりました。その後は、2種目を合わせた400mハードルでインターハイを目指そうと奮起しました。」という。
さらに、豊田は110mハードルも並行して取り組み、高校2年時には400mハードルでインターハイ出場を果たした。だが、二刀流ハードラーとしての出場を目指した高校3年時の2020年は新型コロナウイルス感染症の拡大によりインターハイは中止に。試練の時が続いたが、むしろその壁もまた豊田の競技姿勢に影響を与えた。
「2020年の東京都総体の結果を踏まえてその後の進路を決めようと考えていましたが、目指す大会がなくなり、自分はどう陸上競技と向き合えばいいのかと悩んだ記憶があります。当時、同期が全員引退して練習も一人で行うしかなく、400mハードルの強度が高い練習よりスピード練習が増えた結果110mハードルの記録が伸びました。当時は学校も行けなかったので、家の近くの公園にある器具などで自分なりにトレーニングを組み立てるのが楽しかったことも覚えています。それまでは同期と一緒に盛り上がりながら練習していましたが、練習環境が変わった高校3年生から、トレーニングプランも自分で立てるようになりました。」
当初は顧問の勧めもあり、卒業後の進路にアメリカ留学を考えていた。「しっかり勉強もしないと陸上競技をやらせてもらえない厳しい環境が自分に合うと思い、その中で刺激を受ければ高いレベルも狙っていけると考えた。」という。しかし、海外にも渡航できない状況の中で国内の大学への進学を決断。選んだのは慶応義塾大学だった。

自主性を重んじる慶應競走部で二刀流の才能はさらに開花した
写真 フォート・キシモト
進学後も進化を続ける豊田のさらなる飛躍の年となったのは,大学3年時の2023年。8月下旬に開催されたブダペスト2023世界陸上で400mハードル出場を目指していたが、その選考会となる日本選手権は膝の痛みや高熱などの体調不良が重なり予選敗退と絶望感を味わった。しかし、挫折を味わってからまた成長への推進力を見せるのが豊田の真骨頂だ。
「4月の日本学生個人選手権の110mハードルで優勝して、ワールドユニバーシティゲームズの出場権を獲得していました。なので、まずは学生世界一を取って自信をつけてから、400mハードルに挑戦してパリの世界の大舞台の参加標準記録を切ろうというプランを組み立てていたのです。そんな中、ユニバの予選での速報記録ではパリの標準記録の13秒27が表示され、日本記録にも間近だったことから、その瞬間は110mハードルで勝負する気持ちでした(笑)。ただ、その後正式タイムは13秒29となりました。それでも自己ベストでしたけど。」
東京2025世界陸上、そしてマルチスプリンターへの挑戦

記録への挑戦とその先のメダル獲得を目指して、レースの組み立てを模索している
写真 落合直哉
400mハードルの参加標準記録48秒70を狙った2024年10月に48秒47を記録し、47秒台も視野に入れてパリの世界の大舞台への目標を定めた。47秒台の再現を狙う点は東京2025世界陸上においても変わらない。2024年の日本選手権でマークした47秒99は、東京2025世界陸上の参加標準記録対象期間外のため、確実な出場権の獲得は7月4日からの日本選手権3位以内と、参加標準記録48秒50の突破が必要だ。だが、豊田の視線の先はさらなる高みに向けられていた。
「今は8台目までのハードル間を13歩で走り、残りの2台を15歩に変えています。ただ、終盤の走りのリズムに不安があるので、ペースを安定させ自分のレースを確立する必要があります。ひとつの武器として、最後の2台を14歩に変えられれば47秒を安定して出せる状態により近づけると思います。元々逆足で踏み切るのが苦手で15歩にしていましたが、その克服のために逆足の踏み切りにも取り組んでいるのが現状です。」
その先、47秒台中盤から前半の記録に突入するためには、10台すべてを効き足で踏み切る、つまりハードル間のすべてを13歩で走りきる走力を身につけるのが急務だという。その走法が実現すれば、世界の大型ハードラーがこなす、ハードル間12歩への挑戦も見えてくる。現在取り組んでいる逆足踏み切りの克服は、そこまで視野に入れているものでもある。
東京2025世界陸上の決勝進出を最初のステップとし、その先は2028年のロサンゼルスでのメダル獲得を視野に入れたプランを組み立てている豊田。そして、400mハードルはもちろん、110mハードルへの取り組みも継続したいという意欲を持ち続けている。世界でもこの2種目を兼ねる選手はほとんどいないが、「ロールモデルとなるやり方や選手がいない中で模索するのは楽しいですね。練習の組み立て方も他の選手と違うアプローチを行っていたので、(メダル獲得への)可能性はあると思います。」と好奇心を顕わにする。また、豊田の野心は二刀流に留まらない。
「400mも走っているのでマイルリレーにも関わりたいですね。世界の400mハードルのトップ選手は、400mの記録を44秒台で出すのが当たり前です。自分は45秒57が自己ベストですが、44秒台に更新して、フラットレースでも日本で優勝を争える選手になりたいと考えています。オレゴン2022世界陸上からマイルの代表を務める選手のひとりとは、小学校からの知り合いなので、『自分もマイルに関わり一緒に走れたら』と。」
400mハードルには十種競技から転向してきた選手もいる。体力も限界の中で、正確に体を操る高い運動能力も必要な種目だ。だからこそ豊田兼の、マルチスプリンターへの夢は広がり続ける。

陸上短距離選手
豊田兼
身長195cmの恵まれた体格を活かし、400m/110mH/400mHの3種目をこなすマルチハードラー。2023年8月に中国で行われた第31回FISUワールドユニバーシティゲームズの男子110mHで学生世界一に輝き、同年10月のアスレチックスチャレンジカップでは日本歴代6位となる48秒47を記録し、世界の大舞台の標準記録を突破した。陸上競技界の未来を担うホープ。