取材・文 やなぎさわまどか
写真 落合直哉
グランドセイコーの機械式時計を製造する「グランドセイコースタジオ 雫石」の存在など、セイコーグループにとって大切な繋がりのある地域のひとつが、岩手県です。これまでに、地域の発展や環境保全、人材育成といった幅広い分野での取り組みを一緒に進める機会を作ってきました。
今回は、岩手県久慈市で続く白樺林の保全活動と、久慈市を含む東日本大震災の被災地域から学んだ2日間の様子をお送りします。
悠々と構える岩手山や、広大で豊かな南部の大地。グランドセイコーのフィロソフィーである「THE NATURE OF TIME」を体現したような大自然に見守られながら、グループ各社の参加者たちは何を感じ得たのでしょうか。
初日は、東日本大震災の被災地へ。当時の様子や、震災からの13年間における復興への歩みをうかがいました。
最初に到着したのは岩手県宮古市、田老(たろう)地区。1986年に建設された6階建ての「たろう観光ホテル」は、2011年3月11日、大津波によって2階部分までの全てを失いました。骨組みだけを残した建物は現在、津波の影響を後世に伝える津波遺構として保存され、訪れる人を受け入れています。
漁港からはほんの数百メートル。地震発生後、同ホテルの松本勇毅社長は従業員を避難させた後でホテルに残り、一人で翌日まで耐えながら、目前に迫る巨大津波をビデオに記録していました。あの日に撮影された同じ場所で見てもらえるようにと、津波遺構の6階が動画の視聴会場になっています。
明治(1896年)と昭和(1933年)にも大きな津波被害によって多大な人命を失った歴史がある田老地区には、もともと約10mの防潮堤がありました。防災ガイドの方いわく「防潮堤があることで、(最初の津波警報の)3mなら大丈夫だろうと思った人、海が見えずに津波の様子がわからなかった人もいた一方、第二防潮堤のおかげで、人々が避難する時間が約40分間できたことも事実です。最も伝えたいことは防潮堤の是非ではなく、先人から言い伝えられている、地震の後の津波には率先して身を守り逃げることを意味する『つなみてんでんこ』※の防災意識です」とのこと。
参加されたお二人に、感想を聞いてみました。
二松 ありささん(セイコーグループ) 「実際に津波が襲った場所でのお話だからこそ、怖さを実感して、身が引き締まる気持ちがしました。自分でも防災バッグなどの準備はしていますが、これまで以上に防災意識が自分ごとになったと感じています。特に、田老では停電で防災無線が切れ津波の情報が把握できなかった方もいたので、ラジオが大事、というお話を聞き、ラジオを買って入れておかなきゃ、と思っています」
坂倉 悠太さん(セイコーグループ) 「テレビなどでしか見たことがなかった津波遺構や防潮堤に実際に行けたことは、とても貴重な機会でした。防潮堤は近づくと本当に大きくて、すぐ下では、海の様子はもう全く見えなかったです。13年前の地震の時、ここにいた方々はどれほど怖かっただろうか、と想像しました。津波遺構で拝見した映像はショッキングでしたが、貴重な映像を見せていただき、大変良い体験になりました」
田老地区を後にし、三陸鉄道リアス線・田野畑駅へ。三陸鉄道では2012年から、津波被害のあった海岸沿いを走りながら、車内で震災当時のことを学ぶ「震災学習列車」を運行しています。久慈駅までの約70分間、当時の被災経験をお聞きしました。
久慈駅に到着するまでガイドしてくださった駅員さんが、東日本大震災を経験した子どもの頃の記憶を話してくれました。同級生を失ったこと、何が起きているのかわからずに戸惑った記憶、家が流されてしまった友達の多くが引越してしまった寂しさなど、つらくて悲しい、しかしとても大切な思い出。自然災害はいつ、どこで発生するか分からないからこそ、平時からの問題意識と備えが重要なのだと再認識させられました。
二松さん 「私は東日本大震災のとき、小学4年生でした。悲しくて大変な映像をニュースで見て知ってはいたものの、今回被災地で聞く当時のお話に、ニュースとは違う感覚を覚えました。私のように身内に被災者がいなかったり、被災地から離れた地域に住んでいる場合、当事者意識を持つことは難しいので、こうした震災学習にはとても大切な意義があると実感しています」
坂倉さん「私の住んでいる地域の海沿いにも松の木の防潮林があるので、先ほど見た1本だけ残されてしまった防潮林がすごく印象に残りました」
翌日は、久慈市が誇る白樺林「平庭高原」での環境整備活動に参加しました。
同市のキャッチコピーは「白樺ゆれる、琥珀の大地、海女の国」。その言葉通り、平庭高原は約369ヘクタール(東京ドーム約78個分)という広さに31万本もの白樺が群生しています。白い樹皮と爽やかな枝葉が清々しい情景を作り出す、まさに白樺美林。
しかし白樺の寿命は70〜80年と比較的短く、残念ながら平庭高原の白樺も、一部は寿命を迎えています。明るく陽当たりがいいところを好むため、日頃から下草刈や森林の手入れが欠かせません。タネからの栽培と並行して、人の手によって苗を植えることで、白樺林が健全に更新されていくそうです。
そこで2014年、久慈市と市民が協力し合い、白樺林の保全活動を行う団体「くじ☆ラボ」が発足。定期的な環境整備や植樹活動を実施し、セイコーグループも2021年から保全活動に参加してきました。前回の草刈りやゴミ拾いに続き、今回は白樺の苗木370本と、レンゲツツジの苗木360本を植えました。
グランドセイコースタジオ 雫石がある盛岡セイコー工業株式会社では、こうした岩手県への地域貢献や保全活動のサポートを積極的に行っています。植樹に参加している同社の加藤 幸則代表取締役社長にも感想をお聞きしました。
「今日は各社からたくさん集まってくれて、とても良かったです。白樺の状態や地域の活動を実際に見てもらって、それぞれ実感したことも多いでしょう。皆さんが来てくれることには非常に大きな意味があります。
地元の方々や高校生とも交流できましたし、参加しているみんなを見ていても、すごく生き生きした表情をしていました。そういう意味でも、本当に大切な活動だと思います。
開会式で久慈の遠藤市長も継続することの大切さにふれられていますが、地域のニーズに応えることは、企業として私たちのミッションだと捉えています。自然環境の保全活動や人材育成への取り組みは、私たち盛岡セイコー工業の強みであり、個性でもあります。今後も、地元・岩手県と共生するために、自分たちの強みを活かして、いい流れを広げていきたいと考えています」
坂倉さん 「今日は10本くらい苗木を植えました。白樺の寿命について事前に聞いてはいたものの、実際来てみたら確かに枯れているような木も目にしたので、これは本当に人による手入れが必要なんだと実感しました。今後またこういう機会があったら参加したいです」
二松さん 「普段は銀座のオフィスにいるので、自然豊かな環境で初めての植樹はすごく新鮮な体験でした。また岩手県と盛岡セイコー工業が作ってきたつながりを実感する機会でもありました。恥ずかしながらそれほど環境課題への関心を高くもって参加したわけではなかったのですが、環境保全に取り組む皆さんのお話を聞き、これからは自分でもできることをしていきたいと思いました」
「くじ☆ラボ」の運営を担当する、久慈市役所職員の久慈 健太さんにもお話を伺いました。
「くじ☆ラボ」について教えてください。
「平庭高原は、白樺林の風景が評価され、県立自然公園にも認定されている場所です。しかし寿命が短い樹種である上に、この地域は雪も多いため、倒木してしまう白樺も少なくありません。美しい白樺林を守るためには、人の手による作業も欠かせないんです。白樺の保全を願う地域の方々と一緒に、長く続けられる活動にするために立ち上がった団体が「くじ☆ラボ」です。
私自身、観光に関わる仕事がしたくて久慈市の職員になりました。地域を代表する白樺林を守り、これからも観光に来ていただくと同時に、維持管理が難しいところにある白樺も守れるよう、地元の人と協力し合いたいと考えています。
最近では地元の学生たちも保全活動に参加してくれることが増えました。私の母校でもある久慈東高校は、この白樺林の保全活動を研究対象にして、農業クラブの全国大会出場に向けてがんばっているところです。「くじ☆ラボ」にもよく参加してくれているため、みんなで応援しています」
今後セイコーグループと一緒に取り組んでみたいことなどはありますか。
「セイコーの皆さんはいつも大勢で来てくれてとても助かっています。遠くから来てくださることも、地域の人にはすごく大きな刺激になるんです。わざわざ遠方から来て活動するほど重要なことだということも伝わりますので、ぜひこれからも定期的にご参加いただきたいです。
また久慈市はドラマの影響もあって海女の存在が全国的に知られるようになりましたが、きれいな海は、山の環境とも大きく関係しています。山を整備すると、植物性プランクトンが川に流れ、海に行き着く。海の美しさや、海の生き物の保全も、山から始まっているんです。今後はぜひ、海の清掃活動なども一緒にできる機会が作れたら、と考えています」
普段は離れた地域に暮らし、全く違う活動をしていても、具体的な作業を通じて、誰もが安全で健やかな未来を望んでいることを知る。それぞれの強みを活かしあう活動を岩手県とセイコーは今後も継続していきます。
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