文 久下真以子
2021年4月に開催された競泳日本選手権200m平泳ぎで、2分6秒40の日本新記録を叩き出した20歳の新鋭・佐藤翔馬。
そんな“平泳ぎの新盟主”は、いつしかレジェンド・北島康介氏と比較されるようになった。小さい頃からレジェンドに憧れていた佐藤にとって、“北島2世”と呼ばれることは誇り以外の何物でもない。
コロナ禍によって世界の大舞台が1年延期となったことは、「プラスでしかなかった」と語る佐藤。夏の本番では金メダルを獲得して憧れの北島氏に少しでも近づくことはできるのだろうか。その胸中を聞いた。
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水泳人生の原点はレジェンド・北島康介と同じスクール
写真 フォート・キシモト
佐藤は小学3年の時に、現在も練習拠点とする「東京スイミングセンター」に入った。その理由は、世界の大舞台で躍動するあの男の存在があったからだ。
「僕が子どもの頃に最初に知った水泳選手は、康介さんなんです。東京スイミングセンターに入ったのも、康介さんの影響が大きいですね。小さい頃から憧れていた選手なので、”2世”や”後継者”と呼ばれるのは本当にうれしいです。」
同門のレジェンドへの憧れを包み隠さずに語る佐藤だが、少年時代には水泳だけでなく、野球にも打ち込んだ。もし当時、野球の道に進むことを夢に描いていたら、現在の佐藤はいなかっただろう。
「“野球選手になりたい”とはあまり思いませんでした。クラブチームに所属していましたが、周りの子たちはプロ野球選手になることを目標にしていました。でも僕は“いろいろなことに挑戦するうちの1つが野球”という感じだったので、ちょっと浮いちゃっていました(苦笑)。ちなみに守備は、ファーストを守ることが一番多かったです。」
写真 フォート・キシモト
中学入学時には水泳一本に絞った佐藤だが、高校3年の時に初めてジュニアの国際大会の代表に選出され、一気に才能が開花する。そして、日本選手権200m平泳ぎで日本記録を更新し、すでにタイムでは“北島超え”を果たした。しかし、北島氏の偉大さは成績や記録だけでは語ることはできないという。
「世界の大舞台で金メダルという実績はもちろんですが、人間性が本当に素晴らしいんです。メダルやタイムだけでなく、人間性の部分でも追いつけるようになりたいですね。康介さんのように、スポーツを通して多くの人に感動や元気を与えられる選手になりたいんです。」
北島氏の勇姿によって日本中が熱狂の渦に包まれたように、自らの泳ぎで観る人々の心をつかみ、その人たちの人生に良い影響を与えることはできるのか。レジェンドに憧れたかつての水泳少年が、次は自分が夢を与える側になった。自らの人間性を泳ぎで体現できるようになって、初めて北島氏の領域に近づいたと言えるのかもしれない。
日本新記録を生んだ集中力と心構え
初めて挑む世界の大舞台で活躍が期待される佐藤だが、何かを起こしてくれそうな期待感を漂わせている。周囲にそうした期待を抱かせる要因の1つが大舞台でも冷静にいられるハートの強さだ。
「世界の大舞台の出場権を勝ち取った日本選手権では、2つのことを心がけていました。1つは平常心でいること。“いつも通り泳げばいいんだ”と心を落ち着かせ、出場権のことは考えないようにしました。もう1つは楽しい未来を考えること。日本新記録を出した200m平泳ぎ決勝の時には、実は“この1本が終わったらオフだ!”と思いながら泳いでいたんです(笑)。」とあどけなく笑う佐藤の強心臓ぶりには驚かせられる。
レース直前には、好きな音楽を聴く佐藤。本番に集中するための大切なルーティンの時間では、大好きなアーティストの曲でテンションを高めている。
「ONE OK ROCKの”Start Again”という曲が大好きで、めちゃくちゃテンション上がるんですよ。以前にライブに行った時に聴いて、”これはヤバイ!”とものすごく気に入ったんですよね! 僕の中で一番テンションが上がる曲なので、レース前は大音量で聴いたりしています。」
写真 フォート・キシモト
自分のペースを貫きつつ、ここ一番で最大限の力を発揮する。佐藤が自己ベストを更新し続けることができるのは、そうした心構えと瞬間的な集中力に優れているからだろう。
「そんなに重く考えずにポジティブでいられるのは、自分の強みかなと思いますね。日本選手権が終わった直後は、思いっきりラーメンと焼肉を食べに行きました(笑)。特に合宿中はしっかり栄養管理をしていたので、脂質が多いものは避けていたんですよ。だから、無性に食べたくなっちゃったんですよね(笑)。」とオフのシーンでは年頃の大学生の顔をのぞかせてくれるところも、佐藤の魅力の1つだ。
「追い風でしかなかった」1年延期の世界の大舞台
コロナ禍によって世界の大舞台は1年延期となった。年齢や体力的に1年の空白が厳しい選手もいれば、チャンスが巡ってきた選手もいるだろう。佐藤は後者のタイプであり、1年延期はまさに”追い風”だった。
「僕にとってはプラスでしかなかったと思います。もし昨年に開催されていたら、代表にも入れていなかったかもしれないですね。1年延期になったことでタイムも更新できたので、チャンスをいただいたという思いでいます。」
写真 近藤 篤
目前に迫った世界の大舞台。佐藤の原動力になっているのは、周囲への感謝だ。
「サポートアスリートとしてお世話になっているセイコーさんをはじめ、たくさんの方に支えていただいているので、僕はその期待に全力で応えていきたいです。応援してくださる方々に頑張っている姿を見てもらって恩返しをしたいですし、観戦してくださる方にもほんの少しでも勇気を与える泳ぎができたらと思いますね。」
苦境が続く世の中だからこそ、かつての北島氏のようにスポーツのチカラによって、日本中に感動や希望をもたらす新しいスターの誕生を誰もが待ちわびている。だからこそ佐藤には世界の強敵たちを打ち破り、金メダルを獲得する姿を期待せずにはいられない。
写真 フォート・キシモト
「5年前はセイコーの先輩である坂井聖人さんが銀メダルを獲得しました。僕もセイコーメンバーとして、金メダルを獲得したいです。200m平泳ぎでは世界記録保持者のアントン・チュプコフ選手を筆頭に、ライバルたちとの接戦になるはずです。その中でもしっかり勝ち切るイメージは、もう頭の中でできていますね。」
成長著しい佐藤が金メダルを獲得し、憧れの北島氏に一歩近づく──そんな瞬間がこの夏に訪れることを期待したい。
SHOMA SATO
佐藤翔馬 選手の記事
競泳選手
佐藤翔馬
0歳から水泳に親しみ、小学3年時に現在の所属先である東京スイミングセンターに移籍。大学1年時に世界ジュニア選手権に出場し200m平泳ぎで銀メダルを獲得した。2021年の日本選手権で200m平泳ぎで2分6秒40の日本新記録をマークした“日本男子平泳ぎの顔”。