文 神原英彰
写真 松橋晶子
ヘアメイク 内藤歩
スタイリスト 田村和之
「『十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人』のことわざのようにはなるな」。恩師からの言葉を胸に、10代で階段を一気に駆け上がった卓球の石川佳純。しかし、20代になると逆風が吹き始めた。
連載「時とアスリート」は、アスリートが歩んできた「時間」をひも解く。キャリアの節目に現れた出会い、挫折、栄光――その瞬間を掘り下げ、人生観や哲学を浮かび上がらせる。
12歳で「天才少女」として騒がれた石川は、20代で変化の波にもまれながらも「ただの人」にならなかった。その裏には、競技人生で初めて「追い越される立場」に立たされた時の選択が影響していた。(前後編の後編)
19歳で出場した2012年ロンドン大会で、日本卓球史上初のメダルを銀で獲得した石川。
「次はもっと良い色のメダルを」
そう願うのは、必然だった。
21歳で当時の日本勢歴代最高となる世界ランキング4位に浮上。全日本で54大会ぶり3冠を達成するなど、紛れもない日本のエースになった。
そして、23歳で迎えた2016年リオデジャネイロ大会。心身は最高の状態。シングルスは当然のようにメダルを狙っていた。
ところが――。
初戦でキム・ソンイ(北朝鮮)にゲームカウント2-0から逆転負け。メダルどころか1勝もできず姿を消し、大番狂わせと騒がれた。「もう卓球を辞めたい」。3日間、部屋にこもった。それでも、次第に負けず嫌いが顔を出す。
「ここで踏ん張らず、団体戦もメダルがないまま帰ってしまうと、全力を出さずに負けてしまうと一生後悔する」と自分の心を奮い立たせた。団体戦は全勝。銅メダル獲得に貢献し、エースの役目を果たした。
ただ、このシーズンを境に競技生活は転換点を迎える。
ボールの変更。そして、若手の突き上げ。
翌年1月の全日本選手権決勝で16歳の平野美宇に2-4で敗れ、4連覇を逃した。ボールはセルロイド製からプラスチック製に変わり、感覚はまるで別物になった。「もう勝てないかも……」。衝撃はそれほど大きかった。
逆風は、時を経るごとに強くなっていった。
「古い卓球」と呼ばれ…晒された時代の変化
写真 松橋晶子
同年5月、世界卓球混合ダブルスでは吉村真晴とのペアで金メダルを獲得した。
だが、シングルスでは平野と同世代の伊藤美誠、早田ひなら若手が次々に台頭。20代にして「ベテラン」と扱われ、全日本では毎年、年下の選手に負けるようになった。
「追い越してきた立場から追い越される立場になった。今まで上手くいってきたことが、想い通りに行かなくなる焦り、難しさを感じていました」
かつて称賛されたプレースタイルも「古い卓球」と言われるようになった。
今までの自分を貫くのか。それとも、変えるのか。25歳を迎える頃、悩みの中にいた。
「一番難しかったです。自分を変えたら、もうここに戻ってこられない、世界に出られなくなるかもしれない。でも、変えなければもっと難しい、今まで勝っていた人にも負けるかもしれない。葛藤も不安もありました」
写真 松橋晶子
最後は、自分を変える道を選んだ。理由はシンプル。2020年には東京大会がある。
「もう一度、あの舞台に立ちたい」
自分の卓球を「古いからダメ」と否定するのではない。年下から学び、盗めるものは盗む。自分の強みを残しながら、足りないものを加えた。
その挑戦は実を結ぶ。
3年後の2021年1月の全日本選手権。決勝で伊藤をフルゲームの末に破り、5年ぶりの優勝。勝った瞬間、涙を流した。浮き沈みの大きかった20代で「最も忘れられない大会」に、この全日本を挙げる。
「自分もびっくりしたんです。正直、勝てると思っていなかった。諦めなければ良いことがあるんだなって」
コロナ禍で1年延期された東京大会にも出場。女子団体で銀メダルを獲得し、3大会連続でメダルを手にした。
表彰式。21歳の平野と伊藤に挟まれ、表彰台に立つ石川の表情は穏やかだった。
それから2年後の2023年5月。30歳の春、「競技人生、やり切りました」と現役引退を発表した。
33歳、人生のピークはいつですか? 答えは過去でも未来でもなく…
写真 松橋晶子
引退後も、さまざまな活動に挑んでいる。そのひとつがスポーツキャスター。国際大会では現地レポーターも務める。
「自分の知らない世界を知りたくて」。取材を“される側”から“する側”になり、選手の本音に触れた瞬間にやりがいを感じるという。
一方で、47都道府県を回って卓球教室を開催するなど、自分を育ててくれた卓球界の未来にも力を注ぐ。
「私が思う卓球の魅力は100歳までやれるスポーツであること。5歳と100歳の方がラリーを楽しめるスポーツってなかなかない。老若男女に楽しんでほしいし、もっと身近に卓球を感じてもらえたら嬉しいです」
引退から3年。「後悔したことは一度もない」と断言する。その理由を象徴するような話がある。
「リオの海に飛び込もう」とまで追い詰められたキム・ソンイ戦。今はあの敗戦をこう受け止めている。
「私がもう一回あそこに立っても、あの時の私は120%で精いっぱいを尽くしたし、同じ結果かもしれないという考えにたどり着くんです。必ず後悔しないように、試合を絶対捨てないとか、毎回意識してきたから。残念ではあるけど、後悔はないんです」
目の前の一球を捨てない。そうやって23年間を積み重ねてきたのだから、最後に「やり切れた」と思えたのだろう。
写真 松橋晶子
60分間のインタビュー。事前に提出した質問について話が及ぶたび、「それ、考えてきたんです」と言った。その中にひとつ、少し答えづらそうな問いを忍ばせていた。
「人生のピークはいつですか?」
石川は「うーん……」と逡巡し、視線を泳がせた。
12歳で卓球留学を決意し、「ここで生きていくんだ」と覚悟を決めた。10代で世界へ駆け上がり、20代は追う側から追われる側に。そして、30歳でラケットを置いた。それでも答えは、メダルを目指した日々でも、それを手にした瞬間でもない。
「今かな!」
「そのくらい毎日が充実して、今が一番楽しいというのは自信を持って言えます」とおどけるように笑った。さらに、今後は「いろんなことに挑戦し、学び、成長し続けて生きていきたい」と言うので、最後の問いをぶつけた。
では、今一番挑戦したいことは?
「いや、本当にちっちゃいですよ。笑わないでくださいね?」。照れ笑いした後で打ち明けた。
「字を綺麗にすること。私、字が綺麗じゃないので、字の練習をしています……ボールペン字講座で!」
世界の第一線を23年走り抜き、ラケットを置いた今も、学ぶことをやめない。
卓球も、仕事も、ボールペン字も……昨日より、少しだけ成長する。その繰り返しが、33歳・石川佳純の「今」を作っている。
石川佳純の「時」を知る3つの共通質問
Q1 あなたにとって、時を刻むこととは?
正直に言うと、昔は時を刻むことは怖いことだと思っていたんです。スポーツ選手でいられる時間、その中でピークでやれる時間は終わりがあり、本当に限られた時間。だから、自分に残された時間はあとどれくらいなのか、不安や恐怖も大きかったです。いつまで勝ち続けられるのかなって。だけど、(現役生活を終えた)今は人生が豊かになっていくことが時を刻むことなのかなと思います。
Q2 競技と向き合っている時間はどのような意味を持つ?
自分が考えなかった場所に連れて行ってくれました。卓球に出会わなかったらこんなに何かに一生懸命頑張ることも熱中することもなかった。もう本当に、自分が持っている時間を全て費やしたというのが現役生活だったので。練習は毎日嫌でしたけど(笑)、でも積み重ねの大切さを感じました。どんな日も一喜一憂せず、自分が決めたことを日々積み重ねていくこと。それが大きな力になるとは子どもの時は知らないことでした。
Q3 年を重ねることの価値とは?
今となると、素晴らしいことなのかなと思います。選手の時は若さが失われていくことをネガティブに考えることもありましたが、今はそう思わなくなったことがすごく大きな変化。歳を取れているというのは生きている証しなので。それがありがたいことなんだと年々思うようになりました。引退したけど、意外と体力はあるんです(笑)。これからも心身ともに健康でいろんな経験をして人生を豊かに過ごしていきたいですね。
元卓球選手
石川佳純
1993年2月23日、山口・山口市生まれ。卓球選手だった両親の下、7歳から卓球を始める。小学6年生で出場した2005年1月の全日本選手権女子シングルスで高校生、大学生を破り3回戦進出。「愛ちゃん2世」と話題になった。中学から大阪に卓球留学。ミキハウスに所属し、中学2年生で世界選手権代表に史上最年少で選出される。以降、数々の国際大会で活躍。シングルスでは最高世界ランキング3位、全日本選手権5度優勝。2014年の世界選手権混合ダブルス金メダル。2023年5月に30歳で引退し、現在はスポーツキャスターや卓球の普及活動など幅広く活躍。