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「『二十過ぎればただの人』になるな」 小6の冬に転機…“天才少女”の未来を変えた恩師の言葉――卓球・石川佳純 「『二十過ぎればただの人』になるな」 小6の冬に転機…“天才少女”の未来を変えた恩師の言葉――卓球・石川佳純

「『二十過ぎればただの人』になるな」 小6の冬に転機…“天才少女”の未来を変えた恩師の言葉――卓球・石川佳純

文 神原英彰
写真 松橋晶子
ヘアメイク 内藤歩
スタイリスト 田村和之

 人生には、時計の針が大きく動き始める瞬間がある。12歳で「天才少女」と騒がれ、30歳で引退するまでトップを走り続けたアスリートにとって、それはいつなのか。

 連載「時とアスリート」は、アスリートが歩んできた「時間」をひも解く。キャリアの節目に現れた出会い、挫折、栄光――その瞬間を掘り下げ、人生観や哲学を浮かび上がらせる。

 第6回は卓球・石川佳純が登場する。世界を舞台に戦い続け、実に23年間に及んだ競技生活。その原点を辿ると、小学6年生の冬に下したひとつの決断に行き着いた。(前後編の前編)

 インタビュー開始前、スタッフから企画説明を聞いていた石川が口を開き、微笑んだ。

「あっ。記事、読みましたよ。池江さんや栗山さんも出られていますよね」

 何事も誠実に向き合う。できる準備を怠らない。彼女が今も愛される理由が、すぐに分かった気がした。

 引退から3年が経つ。

「時間の感じ方は、すっごく変わりました。選手の時は常に時間に追われている感覚が強くて。1日36時間、48時間だったらいいのに……とよく考えていたくらい。でも、今は時と一緒に過ごしている感覚。1日にソファでテレビを観る時間を必ず作っています」

 現役時代には怪我が怖くて存分に楽しめなかった卓球以外のスポーツにも挑戦できるようになった。ゴルフ、スキー、テニス……。休日でさえ翌日の練習から逆算し、帰宅・食事・就寝まで管理した現役時代とは、過ごす時間がガラリと変わった。

 石川の競技人生はそれほど長く、濃密だった。

 卓球選手だった両親の下、7歳で競技を始めた。「私、何をやっても続かない性格だったんです」。水泳、クラシックバレエ、ピアノ、塾も長続きしなかった。「最後に『卓球だ!』と思いついて始めた習い事です」

 ラリーや試合の駆け引きが楽しくて、次第に「勝ちたい」という想いが芽生えた。小学6年生で全国大会初優勝。大人に交じった全日本選手権でも高校生、大学生を破り、3回戦に進出した。

 メガネをかけたサウスポーの少女は、福原愛になぞらえて「愛ちゃん2世」と呼ばれ、一躍注目された。

 人生の時計の針が動き始めたのは、それからほどなくの冬だった。

子どもながらに覚悟「ここで生きていくんだ」

インタビューを受ける石川さんの様子

写真 松橋晶子

 地元・山口を離れ、中学から大阪に卓球留学すると決めた。

 所属するミキハウスには、平野早矢香ら国内トップ選手が揃っていた。「世界の舞台で自分の力を試してみたい。強くなりたい。そのために世界を間近に感じたい」

 子どもながらに覚悟を決めた。「ここで生きていくんだ」と。

 12歳で親元を離れ、寮生活。朝6時に起き、学校から午後4時に帰ると、すぐに練習。その後は食事、洗濯、皿洗い、入浴……すべて終えるのは午後10時半から11時だった。

「中学生・高校生の時の一番のイメージは『眠い』です(笑)」

 それでも、根っからの負けず嫌い。トップ選手と同じ環境で世界との距離を知り、それまで好きではなかった練習にも本気で取り組んだ。

 芽吹いた才能は、幹を太くした。

 中学2年生で日本一に輝き、シニアと対戦する全日本選手権では史上最年少で4強入り。中学3年生で日本代表に入り、14歳で世界卓球の舞台に立った。

 当時、記者から「親元を離れて寂しくないの?」「遊びたくならないの?」と聞かれた。ただ、「普通の中学生」になりたいと思ったことは「不思議と、ほんっとになかったんです」と笑う。

「必死だったんだと思います。ここに来たからには早く強くなりたい、もっと活躍したい、と。活躍しないとチャンスが巡ってこないので」

インタビューを受ける石川さんの様子

写真 松橋晶子

 国際大会ではバスが予定通りに来ず、試合に遅刻しそうになったこともある。部屋にベッドが1つしかなくて、3人でぎゅうぎゅうになって寝たこともある。

 そんなタフな環境で戦う経験が、石川をより高みへ押し上げた。

 高校時代ではインターハイ3連覇、全日本ジュニア4連覇。全日本選手権初制覇も成し遂げた。海外を転戦し、世界ランキングも8位まで上昇。平野、福原と共に日本代表の中心を担った。10代の間に、見える風景が一変した。

 その原点には、小学6年生で下した決断があった。

「あの時、子どもながらに『ここで生きていくんだ』と覚悟を持って大阪に行った。人生が一番大きく変わった瞬間。1歩目はそこでした」

 そして、10代最後のシーズンだった2012年ロンドン大会。19歳の石川を大きな「時」が待っていた。

「天才少女」が芽吹いた才能を開花させられた理由

あごに手を当てて微笑む石川さん

写真 松橋晶子

 女子団体で日本卓球史上初のメダルを、銀という形で獲得した。

 この大会、石川は対照的な2つの感覚を初めて味わった。

 ひとつはシングルス初戦。「試合前のラリーで手が動かなかったんです。生まれて初めて」。極度の緊張だった。内心は「終わった」と思った。

「夢舞台だったので、勝ちたい気持ちが強すぎて、コントロール不能になってしまって……」

 監督に「そんなに焦らんでええて」と言われ、我に返った。初戦を突破し、快進撃で4位となった。

 もうひとつは「ゾーン」。勝てばメダルが決まる団体準決勝・シンガポール戦、第3試合の平野と組んだダブルスだった。「打ったらもう全部入る感覚でした」と振り返る。

「当たりさえすれば入るし、当たると思える。試合後に数えたら、1ゲームに1回しかミスしていない。そんなことってないので」

手すりに手を添えて笑顔を見せる石川さん

写真 松橋晶子

 すさまじい勢いで階段を駆け上がった10代。ただ、「天才」と呼ばれた少女が、そのまま成長することは容易ではない。若くして芽吹きながら、十分に開花することなく埋もれていった才能もある。

 石川はなぜ、その才能を開花させることができたのか。

 14歳で初めて全日本3位に入って以来、ミキハウスの大嶋監督から口酸っぱく言われた。

「『十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人』のことわざのようにはなるな」

 子どもの頃にずば抜けた才能があっても、成長すれば並の人になる――。そんな戒めだった。

「言われるのは、もう毎日です」といい、「それが大きかったと思います」と笑う。

 アスリートの競技人生は短い。誰と、いつ出会うか。その巡り合わせひとつで“その後”は大きく変わる。石川は自身の出会いを「運が良かった」と表現する。

 ただ、本当に運だけだったのか。なぜ、彼女は「運が良い側」にいられたのか。

「コーチ、トレーナーさんもそうですが、仕事以前にすごく想いや優しさをもらっている。それに応えたい、返したいとは思っていました」

 19歳にしてメダリストとなった石川。しかし、順調に進んでいた時計の針は20代に入り、違う時を刻み始める。

(後編へ続く)

「『二十過ぎればただの人』になるな」 小6の冬に転機…“天才少女”の未来を変えた恩師の言葉――卓球・石川佳純

石川佳純

元卓球選手
石川佳純

1993年2月23日、山口・山口市生まれ。卓球選手だった両親の下、7歳から卓球を始める。小学6年生で出場した2005年1月の全日本選手権女子シングルスで高校生、大学生を破り3回戦進出。「愛ちゃん2世」と話題になった。中学から大阪に卓球留学。ミキハウスに所属し、中学2年生で世界選手権代表に史上最年少で選出される。以降、数々の国際大会で活躍。シングルスでは最高世界ランキング3位、全日本選手権5度優勝。2014年の世界選手権混合ダブルス金メダル。2023年5月に30歳で引退し、現在はスポーツキャスターや卓球の普及活動など幅広く活躍。

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