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「どうせ散るなら故郷で散りたい」 24歳でロコ・ソラーレ結成、前例なき挑戦の裏にあった覚悟――時とアスリート・本橋麻里 「どうせ散るなら故郷で散りたい」 24歳でロコ・ソラーレ結成、前例なき挑戦の裏にあった覚悟――時とアスリート・本橋麻里

「どうせ散るなら故郷で散りたい」 24歳でロコ・ソラーレ結成、前例なき挑戦の裏にあった覚悟――時とアスリート・本橋麻里

文 石井宏美
写真 松橋晶子

 20年前の冬、“カーリング娘”として一躍時の人になった当時19歳の本橋麻里は、そのわずか4年後に周囲をあっと驚かせる決断を下す。国内トップの環境を捨て、故郷の北見市に戻り「ロコ・ソラーレ」を結成。選手として、代表理事として、先頭に立って駆け抜け、39歳になった今もカーリングに向き合う時の目の輝きは、10代の頃と何一つ変わらない。

 連載「時とアスリート」は、アスリートが歩んできた「時間」をひも解く。キャリアの節目に現れた出会い、挫折、栄光――その瞬間を掘り下げ、人生観や哲学を浮かび上がらせる。第4回ではカーリングとともに生き、地元を愛し続ける本橋の半生に迫る。チーム結成から8年後、平昌の地で史上初となるメダル獲得の快挙を達成。日本のカーリング史に名を刻んだ背景にあった想いとは――。(前後編の前編)

 時間は誰しも同じように流れているとは限らない。人によってそのスピードは異なり、その重さも千差万別だ。

 数々の世界大会に出場し、2018年平昌では銅メダルを獲得したカーリング女子の元日本代表・本橋麻里の人生をたどると、それが腑に落ちる。

 氷上でのショットに凝縮される一瞬。2人の子どもの成長とともにめぐる家族との時間。そして、2010年に立ち上げた「ロコ・ソラーレ」の代表理事として地域と組織の未来を見据え積み重ねてきた時間。いずれもかけがえのない“時”だ。この三つの時間が静かに重なり合いながら、彼女の人生は一つの旋律となっている。

 すでに25年以上もの間、彼女の隣には常にカーリングがある。

「まさかこの年齢になるまで続けているなんて。まったく想像していなかった未来です。当時はカーリング競技の認知度もまだ低く、盛んだったのは北海道と長野くらい。環境も整っていなかったので、年齢が上がるにつれ競技を離れる人も多かった。私自身も世界大会などに出て目標を達成したら、辞めるんだろうな……そう考えていました」

激動だった17歳からの3年間

本橋麻里 画像

写真 松橋晶子

 本橋がカーリングを始めたのは12歳の頃だ。北海道北見市常呂町、日本のカーリング文化の原点ともいえる場所で、競技者としての時間はゆっくり動き始めた。

「学校の授業や少年団でスピードスケートをしたりしていたので、氷上競技は日々の生活のなかに何の違和感もなく溶け込んでいました。その後、小栗(裕治・当時の常呂カーリング協会会長)さんに誘われてカーリングをやるようになって。始めた頃は勝ち負けにこだわるというよりも、とにかく楽しいという気持ちしかなかったですね」

 それまではごく普通の少女だった本橋の生活は一変。すべてをカーリングに捧げる日々が始まった。

 15歳の時にはジュニア世代の全国大会で優勝し、17歳で日本代表入り。高校卒業後は「チーム青森」に正式に加わると、加入から約1年後の2006年には19歳にして世界最高峰の舞台に立つ。トリノで行われたこの大会で日本代表は7位に入賞し、“カーリング娘”の一員として本橋も全国的に名を知られることになった。

「トリノは見るもの、体験すること、すべてが新しいことだらけで驚くばかりでした。それも含めて、日本代表入りしてから20歳までの3年間くらいは、いろいろなことが起こりすぎて自分のなかで処理しきれなかった部分も多かったですね。本当の意味でスポーツ選手という職業を自分のなかに落とし込むまでに結構時間がかかりました。トリノに出場した後から、徐々にただ楽しいだけじゃ駄目なんだ、背負っていく職業なんだと痛感したんです」

強豪国の姿を見て揺さぶられた価値観

本橋麻里 画像

写真 松橋晶子

 それから4年後、2度目の出場となった2010年のバンクーバーでも日本代表として戦った。技術も経験も成熟し、世界一美しいフォームと称された安定したショット力はさらに磨き上げられていた。

 チームメートの声さえも聞こえないほどのカーリング大国カナダの大歓声の中、アメリカに勝利するなど善戦しながらも、バンクーバーでチームは8位に終わった。その大会で金メダルを獲得したスウェーデン、銀メダルを獲得したカナダら強豪国の選手たちが戦う姿が、本橋の価値観を大きく揺さぶったという。

「メダルを獲った強豪国のメンバーにはベテラン選手が多かったんです。一方、私たちは4年に一度チームが若返って成長して……というサイクルででき上がったチームでした。決してそれが悪いことではないですし、必要な要素でもあるのですが、強豪と呼ばれるチームは長期的な計画を視野に入れ、時間をかけてチームを作り上げているんです。そういう人たちとどうすれば大差なく試合ができるのか、学ぶべきものがたくさんありました」

 当時の日本は4年ごとのサイクルで編成されたチームで、結婚や出産で主力が抜けると戦力バランスが崩れ、長期的なチーム文化が育ちにくいという問題があった。

 世界大会で氷上での真剣勝負に挑み、国際経験を積み重ねていくうちに、本橋は日本の女子カーリングを世界で強豪と呼ばれる地位に押し上げるためにはどうしたらいいのか、俯瞰して冷静に見るようになっていた。それは「日本にはまだまだ伸びしろがある」と感じたからにほかならない。

 競技を続ける環境づくりにポイントがあると気づいた本橋は、バンクーバー大会から約半年後、当時の日本カーリング界においては異例かつ驚きのプロジェクトを発進させるのだった。

 今年で結成16年を迎えるロコ・ソラーレを、自らの地元・常呂で立ち上げたのだ。

ロコ・ソラーレ結成に込めた自らの信念

本橋麻里 画像

写真 松橋晶子

 結成時、本橋は3本の軸を掲げた。

 まずは地域に根ざしたチーム作り。地域の支援と誇りを背負い、地域の人々とともに育つチームであることを目指した。人生と競技の両立も可能にする。

 カーリングに限らず女性アスリートの競技生活は妊娠、出産といった女性特有のライフイベントに大きく左右されやすく、キャリアとの両立が大きな課題となってきた。だからこそ、二つ目の軸として女性の人生曲線に合わせたチーム作りが必須だと考えたのだ。

 そして最後に長期的に強くなるチーム文化の醸成。「自分たちで考えないと世界では通用しない」と、より自主性を促してきた。

 ただ当時の日本カーリング界の常識を覆す発想には、賛否両論の声も上がった。それでも本橋は前を向き続けた。

「24歳という若さゆえの勢いもあったと思います。正直、失敗する確率も高かったと思いますが、私には何も失うものはなかったので。カーリングは頑張り方そのものを私に教えてくれましたし、プロセスもしっかりと勉強させてもらいました。もし失敗してもまだ24歳だったので、どうにでもなるという気持ちもありました。どうせ散るなら故郷で散りたいと、地元での挑戦を決意したんです」

 ゼロから世界を目指すという前例のない挑戦を、現実の形に変えていく濃密なプロセス。2014年のソチこそ出場権を逃したものの、2018年の平昌では日本カーリング史上初の銅メダルを獲得した。本橋の競技人生の象徴であり、長い年月の積み重ねが結晶化した瞬間だといえる。

時間の積み重ねが生んだ必然の銅メダル

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写真 松橋晶子

 カーリングは時間と密接に関わる競技だ。ストーンが手を離れてから止まるまでの数十秒。その短い時間に選手は何千時間もの練習で培った感覚、判断、戦略をすべて注ぎ込む。1投の判断、リスク管理、次の展開を読む時間配分が勝敗を左右するほど、時間そのものが戦略となる。

「時間がなくなればなくなるほど勝敗に直結するので、特に若いチームには『時間だけはためてね』とか、各エンドで何分消化するようにとアドバイスすることもあります。カーリングは数字と時間が欠かせない競技なので」

 長い試合のなかに何度も瞬間的に判断する局面が訪れるが、本橋は恐れなかった。一瞬にすべてを込めることを楽しむように、高い集中力を保ったまま氷上に立ち続けてきた。ストーンを送り出す姿勢には、長い時間をかけて磨いてきた精度と仲間を信じる覚悟が宿っていた。

 誰よりもその過程を大切にしてきたからこそ結実した、平昌での快挙。日本カーリング史に刻まれた銅メダルは偶然ではなく、時間の積み重ねが生んだ必然だった。

 そして平昌後は、日本カーリング界の未来を作る姿がより色濃くなっていった。

後編はこちら

【後編】年齢を重ねる未来に「期待しかない」 ワクワクするか、しないか…母になった今も変わらない時の刻み方――時とアスリート・本橋麻里

本橋麻里

一般社団法人ロコ・ソラーレ代表理事
本橋麻里

1986年6月10日生まれ、北海道北見市常呂町出身。「カーリングの町」として知られる地元で12歳の時から競技を始める。2005年からチーム青森に加入すると、翌年のトリノ五輪に日本代表として初出場、7位入賞で脚光を浴びる。2010年バンクーバー五輪でも8位となり2大会連続入賞を果たすと、同年8月に地元・北見市でロコ・ソラーレを結成。着実にチームを強化し、2018年平昌五輪ではリザーブとして日本史上初の銅メダル獲得に貢献した。その後は一般社団法人ロコ・ソラーレ代表理事に就任し、現在は女子セカンドチームのロコ・ステラ、男子チームのロコ・ドラーゴを含めた3チームを運営。選手の活動は休止しているが、2児の母として多忙な日々を送っている。

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