文 町田利衣(Creative2/Full-Count)
写真 松橋晶子
限りある時間の中で、次々と常識を打ち破り、新しい世界をつくったのが、プロ野球・北海道日本ハムファイターズの栗山英樹チーフ・ベースボール・オフィサー(Chief Baseball Officer:以下CBO)だ。
入団テストを経てドラフト外からプロ野球の世界に入り、指導者経験なく監督就任1年目でリーグ優勝を達成。大谷翔平の投打二刀流を後押しし、WBCでは日本代表を世界一に導いた。
連載「時とアスリート」は、アスリートが歩んできた「時間」をひも解く。キャリアの節目に現れた出会い、挫折、栄光――その瞬間を掘り下げ、人生観や哲学を浮かび上がらせる。人生のすべてを野球に注ぎ込んできた64歳が向き合う“時間”とは――。(前後編の前編)
「もしわがままを言えるなら、『僕にだけもう1時間ください』って言う。それが一番の望みかもしれないですね」
監督として、日本一も、世界一も成し遂げた。2026年1月には、競技者表彰委員会・エキスパート表彰から野球殿堂入り。野球人として、これ以上ないほどの栄冠を次々に手にしても、栗山英樹の情熱は消えない。
もしも1時間増えたとしたら、その使い道は……。
「睡眠が必要な時は寝るだろうし、読みたい本が溜まっている時は読む。もっと野球のことを調べたり、違う試合をチェックできる。何をしても野球に繋がってくるのは、間違いないですね」。そう言って、幸せそうに微笑んだ。
今になって感じる、人生で起きた本当の大きな転機
写真 松橋晶子
4月には65歳になる。現在の自分をイメージできたことは、ない。自らを「好きなことがやれる状況で、周りの人に迷惑をかけないでいたいなとは思っていましたけど。僕は運だけでここまで来た人間なので」と謙遜するが、稀有な存在であることは間違いないだろう。
創価高から東京学芸大に進み、野球に打ち込む傍ら、教師を目指して教員免許を取得した。そんな折、プロテストを受験できることになり、1983年ドラフト外でヤクルトスワローズに入団することになる。
しかしメニエール病や右肘故障にも苦しみ、1990年限りで7年間の現役生活を終えた。その後、野球解説者、キャスターとして活躍し、50歳だった2012年に指導者経験なしから日本ハムファイターズの監督に就任。就任1年目でリーグ優勝を達成し、2013年からは大谷翔平(現ドジャース)の投打二刀流を後押しした。2016年には日本一に輝き、10シーズン率いた後、2023年にはWBCで野球日本代表(侍ジャパン)を世界一に導いた。
そんな人生の中で、栗山は2つのターニングポイントを挙げる。「プロになったところと、監督になったところかな」。大学時代に受けたプロテストは、「本当は受かっていないみたいなこと、よく言われるんですよ」というほどギリギリで繋ぎ止めた。
監督のオファーは、まさに青天の霹靂。CBOとして球団の基盤強化・発展と、チームの編成強化を推進するために、球団運営とチーム編成の役割を担う今になって、その重みは増す。
「こういう立場になって、つまり“いろいろ決める係”なのですが、あの時の僕をプロ野球の監督にするという決断は……できないです。(監督になって)二刀流や新しいことをどんどんやりましたけど、あの時の僕みたいな人間を監督にする勇気、ここだけはないんですね。失敗した時のリスクが大きすぎた。そういう意味では、そういう人に巡り会えたことが僕にとっても大きかったかな。これが人生の本当の大きな転機だったかなという感じです」
監督になって変わった「時」の感じ方
写真 松橋晶子
そして迎えた監督1年目。「時」の感じ方に、違いが起きた。「あんなにきつい1年間はなかったので。いつもみんなに品評会をされて晒されている感じ。あの1年だけは、10年くらいに感じましたよ」。サイン一つ出すのにも、周囲の反応を気にした。異常なほどに長く感じた時間は、リーグ優勝という結果が報いとなった。
もしも時を戻せるなら……。そんな問いに、栗山は数秒黙り込み、ふと顔を上げた。
「中学生くらいですかね。あの時期にもう少し野球で、きちんと技術を身に付けていたら、その後の野球が全然変わっていたかもしれないなって思うので」
一方で、「ただ、選択として帰りたいところはないんです。導いてもらって、いい選択をしてきたと思うので、比較的『あれを変えておけば』というのが今ないのは、幸せかもしれないですね」と歩んできた人生に思いを馳せた。
とにかく真摯に野球と向き合い、野球に時間を費やす。原動力は「好きなことを仕事にさせてもらっていて、もっと知りたいし、もっといいものはないかなって、それだけなんですよ」と栗山にとっては至ってシンプルだ。
写真 松橋晶子
例えるならば、ゲームに熱中して、ステージをクリアするために工夫して、気が付けば1日が過ぎていた子ども時代。「あのような状況は一番いいと思っているので」と自然な形で情熱を注いでいる。
ふと心を休めるのは、北海道・栗山町で自然と接している時。名前が同じという縁から天然芝の野球場「栗の樹ファーム」をつくり、ログハウスを建てて自宅を構えた。「草刈りとか、球場の芝刈りとか、自分でしていますけど、その時だけはあんまり何も考えていないかもしれないですね」。野球人ではなく、“普通の人”に戻る数少ない瞬間でもある。
全力で駆け抜けている野球人生。今後も費やしたいのは、野球界の未来のための時間だ。さまざまなプランが、栗山の頭の中を巡っている。
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北海道日本ハムファイターズCBO
栗山英樹
1961年4月26日生まれ、東京都出身。東京学芸大から1983年ドラフト外でヤクルトに入団し、右投げ両打ちの外野手として7シーズン計494試合で打率.279、7本塁打、67打点、23盗塁、ゴールデングラブ賞1回(1989年)。1990年限りで現役を引退後は野球解説者やキャスターに転身。2012年から日本ハムの監督を10年間務め、2度のリーグ優勝と1度の日本一に輝いた。2021年からは野球日本代表「侍ジャパン」トップチーム監督に就任し、2023年のWBCで優勝を果たした。2024年から現職。