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「亡霊を払拭したい」。日本記録保持者・山縣亮太が見据える飽くなきチャレンジ【2025シーズン総括】 「亡霊を払拭したい」。日本記録保持者・山縣亮太が見据える飽くなきチャレンジ【2025シーズン総括】

「亡霊を払拭したい」。日本記録保持者・山縣亮太が見据える飽くなきチャレンジ【2025シーズン総括】

文 折山淑美
写真 落合直哉

100mの日本記録(9秒95)を持つ「日本で一番速い男」山縣亮太は、今年の6月で33歳になった。坐骨神経痛による右脚の違和感に悩まされ、長期休養を余儀なくされた昨シーズンを経て迎えた2025年。自らを「チャレンジャー」と位置づけたシーズンも手放しで喜べるものではなかったが、今後に向けた確かな希望や光明もあったという――。

万全の状態とはいかない状況が続き、年齢的にはアスリートキャリアの終盤に差し掛かる中、山縣はどのようなシーズンを過ごしたのか。ケガとの葛藤とリアルな思い、逆境の中で彼を支えたもの、今後のビジョンなどを語ってもらった。

問題は自分の体が動くか動かないかだけ

山縣亮太 画像

世界陸上への出場と、新しい走り方の体得という大きな目標を掲げてシーズンをスタートした

写真 落合直哉

2024年は坐骨神経痛による右脚の違和感に苦しみ、2レースしか走れないという悔しいシーズンを過ごした山縣亮太。4回目の出場となるはずだったパリでは舞台に立つことすら叶わなかったが、「ここで終わるのは違う」という思いは強かった。

「昨年の4月以降は休んで様子を見ていましたが、完全に良くなるまでには至りませんでした。ならば体を動かしながら良くしていく方向でやってみようと思い、10月から強制的にトレーニングを再開したんです」

その時点で32歳。キャリアの終わりが見えてくる年齢とも言えるが、山縣は「問題は自分の体が動くか動かないかだけ」と考え、競技続行のための最低基準を設けた。そして、時間の経過とともに「これだけ体が動くなら辞めるのは早い」という気持ちが膨らんでくると、年明けに石垣島で合宿を実施。東京開催の世界陸上(9月)を目指して動き始めた。

合宿のテーマは、股関節をダイナミックに動かす走り方の体得。これは、以前傷めた膝のケガを予防するための取り組みだ。しかもスピードを落とさないように走るには、上半身と下半身が連動した状態のフォームで走り切らなければならない。新しい走りを追求するにあたってより高い刺激を得るため、2月に鹿児島県で開催されたインドア大会を自身のシーズン初戦とした。

「ほぼ走っていない状態から9月の世界陸上に向けて準備する必要があったので、スピードに対して体を慣らしていく時間が必要でした。そのために室内大会へエントリーしたんです。1日に60mを2本、100mを2本の計4本を走るのはきつかったですが、そのスケジュールをこなせたら自信にもなりますから」

「坐骨神経痛の症状は、6月くらいまでは出たり出なかったりを繰り返していました。でも7月に日本選手権があったので、きっちり治すというよりは『速く走れれば何でもいいや』と思っていて(笑)。少しずつですが良くはなってきていたので、『レースを続けていくうちに治るだろう』という感覚もありました」

骨折からのリスタート、そして日本選手権

山縣亮太 画像

骨折という不測の事態にも、「24年と比べたらだいぶポジティブでいられた」と振り返る山縣

写真 落合直哉

そんな山縣に苦難が降りかかる。3月のオーストラリア遠征で4レースを走った後、4月のウエイトトレーニング中にバーベルを落とし、左足親指を骨折してしまったのだ。

「長いブランクで落ちた筋肉量を戻すために、2月から3月は筋トレを頑張っていました。でも、練習のやり過ぎで首を痛めてしまったんです。そういう状況だったので、バーベルを鎖骨の位置まで持ち上げる『クリーン』の動作で首に負担をかけないよう、胸の上で止めずに落とすことを意識していました。そうしたら、落としたバーベルが弾んで足に当たってしまって」

それが骨折と判明した時のショックは大きかった。4月の出雲陸上や出身地・広島で開催される織田記念にも出場できず、スケジュールにも狂いが生じてしまう。

それでも症状は徐々に良くなり、3月には10秒4台だった100mの記録を5月の東日本実業団陸上選手権では10秒35に短縮。6月の布勢スプリントでは予選を10秒25(追い風参考)、決勝を10秒26で走り切った。目指していた上半身と下半身の連動にも、シーズン前半よりつながってきた手応えを感じ始めたという。

「7月の日本選手権では決勝に進んで、代表選考を少しでも有利に進めたいと思っていました。決勝に行くには、最低でも10秒2台は出したい。6月末の広島県選手権では追い風1.7mで10秒12というタイムを出していて、『無風であれば10秒20くらいかな』というところまで調子は上がっていました」

「新しい走り方についても、染み込んできた感覚があります。これまでは『上半身が起きてしまう感覚』がありましたが、だいぶ上と下がつながってきたかなと」

だが現実は厳しかった。サニブラウン・アブデルハキームが予選落ち、優勝を争うと見られていた柳田大輝が失格するという波乱があった中、準決勝で組6着(10秒31)となり敗退。狙った結果が出せなかったことにショックを受けた山縣は、「少し緊張し過ぎたかも」と大一番を振り返った。

好記録でつかんだ手応えと1年を走り切れた嬉しさ

山縣亮太 画像

世界陸上には手が届かなかったが、「まだまだ日本のトップは狙える」と感じたという

写真 落合直哉

だが、そこで止まるわけにはいかない。そこからは世界陸上参加標準記録(10秒00)の突破に照準を絞り、再び石垣島で合宿を行った。

「その合宿ですごく仕上がってきた手応えがありました。日本選手権以前の練習と比較した時にレベルが一段上がったような感覚があって。僕の場合、記録が出るまでに練習と試合のギャップが結構あるんです。『練習の感覚が良くて、試合でも良い結果が出る』というのは究極ですが、その前段階として『練習の感覚は良いのに試合では結果が出ない』というフェーズがあります。その『前段階』には行っていました」

参加標準記録のクリアを狙った8月の富士北麓ワールドトライアルでは、追い風1.5mの予選で10秒18を記録。同じレースで日本選手権優勝の桐生祥秀が9秒99を出し、次の組では同7位の守祐陽が10秒00で参加標準を突破したことで、山縣の個人での代表入りは厳しくなった。

それでも2週間後のアスリート・ナイト・ゲームズ・イン福井では、追い風0.9mの予選で今季日本ランキング5位となる10秒08をマーク。その記録は、日本陸連が定めた4×100mリレーの代表選考基準をクリアしていた。そして、その時点ではまだ日本選手権6位の小池祐貴が10秒08を出していなかったため、リレーで代表に入れる可能性があった。だが決勝では小池が先着、10秒00で優勝した柳田に次ぐ2位で10秒08を出したため、最終的には柳田と小池が代表に選出されることに。

「『上半身が棒立ち、しかも硬い』というのが、自身の走りを映像で見た感想です。ただそれでも10秒0台を出せたことは自信になったし、まだ伸びしろがあるという意味では手応えを得たレースでもありました」

自身を「チャレンジャー」と位置づけて臨んだ今シーズン。世界陸上には出場できなかったが、最後のレースを終えて何を思うのか。

「この年齢になったからこそ、より負けたくないという思いがまた沸々と出てきたところはありますね。体の変化というのは、見えないレベルでも確実にあります。それらに対処しながら今の自分に合ったトレーニングをしたり、新たな技術を磨いたり。そうやって記録を縮めていく作業がすごく面白いと、あらためて感じています。フィジカル的な要素も含めて自分の経験や技術がうまく噛み合えば、まだまだ日本のトップは狙えるという思いも新たにしたシーズンでした」

目標にしていた世界陸上に届かなかったという悔しさはあるが、この1年間を走り切れた嬉しさもある。「まあ、4月に離脱しかけましたけど」と苦笑しながら、「そこも何とか乗り越えて秋まで走れたので、個人的には充実感のほうが大きいですね」と声を張った。

もう一度日の丸をつけて走る姿を見てほしい

山縣亮太 画像

「山縣1走、桐生2走」のバトンパスを、再び日本代表で見せたいと話した山縣

写真 落合直哉

自身の伸びしろや練習の楽しさに向き合う山縣が、次に目指すものは何なのか。

「昔の自分を超えなければなりません。今でも僕の頭の中には、2回目の10秒00を出した2018年の記憶がこびりついています。その亡霊を払拭したいですね。9秒95の日本記録を出した2021年も、技術的には今より未熟でした。そこから膝の手術を行い、リハビリを経験したので、体についても今のほうが断然詳しいはずです。そういう総合的な進化を『今の自分の体』で体現しないと」

飽くなき挑戦の旅――。心の支えとなっているのは、30代で10秒0台を出した朝原宣治、2021年にアジア記録(9秒83)をマークした2歳上の蘇炳添(中国)、そして高野大樹コーチのもとでともに研鑽を積んできた女子100mハードルの元日本記録保持者・寺田明日香の存在だという。

「特に明日香さんは年齢もそうですが、一度陸上を離れ、出産後に戻って来てからの日本記録ですからね。女子100mハードルの12秒台は、僕らの男子100mの9秒台と同じようなもの。そこを突破し、今のあの種目の隆盛を作り上げたことにすごく刺激を受けています。そういう先人がいるというのはすごく大きい」

最後に、応援してくれるファンに向けても話してくれた。

「今僕を応援してくれている方にはもう一度日の丸をつけて走る姿を見てほしいですし、『この選手を応援して良かった』と思ってもらえるような活躍を見せる責任があると思っています」

そして、長い間ともに戦い続けてきた桐生ともう一度リレーを組みたいという夢も口にした。

「桐生がリレーで力を発揮するのは、後ろを気にせずに思い切り出られた時だと思います。2021年の東京では予選で一度バトンを渡しているけど、決勝ではできなかった(バトンミス)。それを現役のうちにもう一度、日の丸をつけてやって見たいかな」

ケガに悲観することなく、改善のプロセスを楽しみ、「1年1年が勝負」と前を向く山縣。ベテランスプリンターが競技を続けている限り、日の丸への期待感は消えない。

山縣亮太

陸上短距離選手
山縣亮太

リオデジャネイロ五輪男子4×100mリレーの第一走者として、銀メダル獲得に貢献。個人では、五輪における日本選手史上最速を記録したトップスプリンター。自己ベストは日本記録の9秒95。幾多の困難から復活してきたその姿から、”ミスター逆境”の異名を持つ。

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