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“元祖マーメイド”小谷実可子が圧巻の演技を披露。「4冠」を成し遂げた世界マスターズを振り返る “元祖マーメイド”小谷実可子が圧巻の演技を披露。「4冠」を成し遂げた世界マスターズを振り返る

“元祖マーメイド”小谷実可子が圧巻の演技を披露。「4冠」を成し遂げた世界マスターズを振り返る

文 折山淑美
写真 落合直哉

今年7月にシンガポールで開催された、世界マスターズ水泳選手権。アーティスティックスイミング(AS)の選手として競技復帰し、2023年の九州大会で金メダルを3つ、2024年のドーハ大会で金メダルを1つ獲得した小谷実可子は、今大会でも出場した4種目すべてを制して見事「4冠」に輝いた。

引退後も指導者としてASに関わってきたとはいえ、かつて美しい演技で見る者を魅了した“元祖マーメイド”も間もなく60代。アスリートとして心身の状態をピークに持っていく作業が極めて困難なことは、想像に難くない。そんな彼女に、世界マスターズで苦労したことや大会の舞台裏、今後の目標などについて詳しく聞いた。

“水の女王“小谷実可子がレポーターの視点で語る、世界陸上の魅力と「東京2025」への期待感

やればやるほど体が動き、自分の成長を感じられるのが楽しかった

インタビューの様子 画像

「燃え尽きてしまうのではないか」という不安の中、次なる大きな目標を見定めた小谷

写真 落合直哉

今年7月にシンガポールで開催された世界マスターズ水泳選手権のアーティスティックスイミング(AS)で、ソロのフリー、ミックスデュエットのテクニカルとフリー、チームのテクニカルという4種目に出場し、4つの金メダルを獲得した小谷実可子。シンクロナイズドスイミング(当時)の選手として世界で活躍し、1992年に一度現役を引退してからは普及や指導という形でスポーツに関わり続けてきた。

そんな彼女が再び競技者としてASの世界に戻ってきたのは、遡ること2年前の2023年。だがその下地づくりは、現役復帰の4年ほど前から始まっていた。

「2021年に世界水泳の福岡大会が開催され、その後に九州各地で世界マスターズ水泳選手権も開催される予定でした。なので、2019年頃から『次は地元開催だから、皆で水泳を盛り上げよう』と話しており、何人かで集まって練習もやっていたんです。でも私が2020東京大会の組織委員会スポーツディレクターに就任して忙しくなったり、その大会が新型コロナを理由に1年延期になったりするなど、いろんなことが重なってしまって。計画通りにはいかなくなっていました」

とはいえ、組織委員会の一員として関わっていた東京大会は無事に開催され、閉幕とともに小谷もその役割を終えた。

「とても大変で、とても充実感があった仕事を終えた後、『ここで次の目標を持たないと燃え尽きてしまうのではないか』と不安に駆られるようになりました。そこで見つけたのが、国内開催の世界マスターズ。21年に開催されるはずだった大会が、23年に延期になっていたんです。そのことを思い出し、再び仲間たちと練習を始めました」

鹿児島で行われた世界マスターズのASは、世界選手権のようにテクニカルルーティーンとフリールーティーンが独立した種目として競われるのではなく、以前のようにテクニカルとフリーの合計点数で争われるルールでソロとデュエット、チーム、ミックスデュエットの4種目が実施された。小谷はそのうちの3種目に出場することを決め、マスターズ競技者としてメダル獲得を目指し始める。

「指導する立場でプールにはずっといましたが、自分が競技するとなると体が全然動かなくて(笑)。なので、まずは水の中で動ける体をつくるところから始めました。本格的な練習をしたのは何十年ぶりでしたが、やればやるほど体が動くようになって、高いレベルの技ができるようになっていく。自分の成長を感じられるのが楽しくて、それがモチベーションになりましたね。その結果として、九州大会では3つの金メダルを手にすることができました」

「アーティスティックを取り戻してくれてありがとう」という賛辞

インタビューの様子 画像

男女で取り組めるASの魅力を多くの人に知ってほしいという思いもあり、ミックスデュエット初挑戦を決意

写真 落合直哉

コロナ禍で世界水泳のスケジュールが変更される中、24年2月という異例の時期に行われたドーハ大会の閉幕後にも世界マスターズが開催された。その大会で小谷は、「ASも男女で出られる時代になったので、もっと男性スイマーを応援したいし、普及にもつながってほしい」という思いから、ミックスデュエットに初挑戦。15年、17年、19年の世界水泳に3回出場し、2個の銅メダルを獲得していた安部篤史選手とペアを組んだ。そこでは金メダルを手にしただけではなく、嬉しい賛辞をもらえたという。

「ちょうどASの採点規則が変わったタイミングで、フィギュアスケートや体操競技のように個々の技の難易度と完成度を掛け合わせて採点する仕組みになりました。一言で言うと、『どれだけ難しい技ができるか』を争う競技に変わった感じですね。ただ、世界マスターズは、表現力次第で高い採点が得られる昔のルールのままでした。

シンガポール大会の様子 画像

シンガポール大会で、安部とともにミックスデュエットのテクニカルルーティンに臨んだ小谷(左)

写真 Yoshihiro Nomura

フリーでは、『オペラ座の怪人』という曲で演技をしました。そうしたら、演技を見た審判の中に、『私たちのスポーツにアーティスティック(芸術性、優雅さ)を取り戻してくれてありがとう』と言いながら泣いてくださった方がいて。私たちは結果もそうですが、見ている方が喜んでくれる演技をしたいし、自分の演技で笑顔になってほしいと思っています。そう言ってくれる方がいたことがたまらなく嬉しくて、幸せで、次も挑戦したいと強く思いました」

2023年のルール改正は、技の難易度や正確さを重視してジャッジに明確さを求めるものだった。だがその反面、「どの国も高得点を狙って難しい技の連続になった。これではアーティスティックではないではないか」という抗議の声も出た。「事前申告した技が正確にできなければ減点になるので、『誰も予想できないようなスリリングな結果になる』という意味では面白さも増しましたが、皆が皆、難しい技を追求するので同じ演技になるという弊害もありましたね」と小谷も振り返る。

その後は技の間のトランジションの芸術性までしっかり評価するように採点規則が調整・改善されてきたが、そういう中だったからこそ出た賛辞と言えるかもしれない。

瀕死の状態で臨んだ4つ目の金には100個分の価値がある

4つ目の金メダル 画像

「とても嬉しいはずなのに、へとへとで喜ぶ力が残っていなかった」と、4つ目の金メダルを振り返る

写真 落合直哉

新たな挑戦意欲とともに小谷が臨んだ今年7月のシンガポール大会。そこで目標にしたのは、世界水泳と同じようにテクニカルルーティーンとフリールーティーンが別種目としてカウントされるようになった中での「4冠」だった。

「鹿児島では、チームのテクニカルは他の子に代わってもらったので『5曲泳いで金メダル3つ』でした。今度は『4曲泳げば4個の金メダルを狙える』と思い、それを目標にしたんです。でもチームには16年のリオデジャネイロで日本代表だった若い子もいて、非常にレベルが高かった。1曲を泳ぐだけでも、鹿児島のときの5曲分より大変でしたね。それ以外に3曲もあったので、直前まで練習もすごくハードで。そのせいか疲労もドンドン溜まり、シンガポールで試合中も『本当に最後まで泳ぎ切れるのか』と不安でした」

だが、公言した以上は達成しなければならない。小谷は本番まで心と体に鞭を打ち続けたが、最終種目のミックスデュエットフリーの前夜は一睡もできず、半泣きで一夜を過ごすほど精神的に追い込まれていた。自分の試合に集中するだけでなく、チーム最年長者として全体を見ながら、合間を見て各種スポーツ団体の仕事などもこなさなければならなかったからだ。

「極限状態だとこんなにも心が疲弊するんだとどこか客観視している自分もいて、少しほっとしました。20代の頃にできなかった経験を、今になってできるのはとても貴重なことです。夜明けとともに自然と気持ちを前向きにできましたが、最後の4曲目は本当に瀕死の状態でしたね(笑)。

そんな中で、予想していたより高い得点が出て。それまでの3種目は泳ぐたびに反省が残るという中で何とか金メダルを獲れた感覚でしたが、最後に一番いい演技ができたので、4つ目の金メダルは私にとって100個分ぐらいの価値があります。安部選手も最後はギリギリの状態で。二人とも気迫だけで泳いだ感じでしたが、その演技を見て『今日のあなたたちのオペラ座の怪人が一番感動した』『世界水泳も素晴らしいけど、マスターズはまた違った魅力があっていい』と言ってくれた方もいました。

メダルセレモニーが終わった後には、審判の方たちが全員で花道を作ってくれました。普段からASを見ている方たちにねぎらってもらう形で大会を終えられたのは、本当に幸せなことだと思います」

ASの魅力を一生かけて伝えていくのが自分の使命

インタビューの様子 画像

夢を聞かれた小谷は、「マスターズに親子で出場したい」と話し、少しだけ恥ずかしそうに笑った

写真 落合直哉

若い時はあまり時間の感覚がなく、当たり前のように練習をして、当たり前のように試合に出ていたという小谷。だが、今は違う。

「自分で工夫や努力をしながら練習やコミュニケーションのための時間をつくっているので、今のほうが時間をすごく意識していますし、価値のある時間を過ごせていると思います」

これからの夢は、80代まで競技者であり続けることだ。次の27年大会からは世界マスターズでもルール改正があり、体力的にもより厳しくなることが予想されるが、それでも小谷は前を向いている。

「これまでは、私が今までやっていたASがすべてだと思っていました。でも、今大会を通してそれがほんの一部でしかなかったことに気づきました。ASは素晴らしく美しいスポーツだと思うから、この魅力をできるだけ多くの方に届けたい。若い人、私と同世代の人、さらにその上の世代の人も含めて、その年齢ならではの熟成した表現の美しさや一生懸命にやっている姿を競技者として見せられたらいいですね。そういう形でASに親しんでくださる方や興味を持ってくださる方を増やしたいし、ASの魅力を一生かけて伝えていくのが自分の使命だと思っています」

小谷には、もうひとつ夢がある。それは、現在19歳の娘と組んで世界マスターズに出場することだ。実際、世界にはそんな親子もいるという。それが実現できるのは、最短で小谷の娘がマスターズ出場選手資格の25歳になる6年後。二人が満面の笑みで表彰台に立つ姿を、楽しみに待ちたい。

プロフィール写真

アーティスティックスイミング選手
小谷実可子

幼少期からアーティスティックスイミング(旧・シンクロナイズドスイミング)の才能を認められ、高校時代には米国に単身留学を経験。日本代表としてソウル五輪で初の女性旗手を務め、ソロ・デュエットで銅メダルを獲得。引退後は、五輪・教育関連の要職に抜擢されるとともに、世界大会のリポーターなどメディアにも出演。自身がコーチを務めるクラブでアーティスティックスイミングの魅力を伝える活動を続けている。東京2020では招致アンバサダー、組織委員会スポーツディレクターなどの要職を歴任。

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