文 折山淑美
写真 落合直哉
9月13日から国立競技場で戦いの火蓋が切られる、東京2025世界陸上。1991年以来、34年ぶりの東京開催となるこの大会に、特別な想いを馳せる人物がいる。その名は、小谷実可子。アーティスティックスイミングの選手として現役復帰し、今なおマスターズなどで活躍する彼女は、1997年のアテネから2022年オレゴンまで25年間12大会(2001年エドモントンのみ欠席)にわたりサブトラックのリポーターとして世界陸上を見続けてきた。
時間を感じさせない優雅な泳ぎで観客を魅了してきた“水の女王“は、全身全霊を懸けてコンマ何秒を競い合う「丘」での戦いに何を思うのか――。日本代表として世界大会に出場してきた経験なども踏まえ、世界陸上という大会の魅力と「東京2025」への期待を語ってもらった。
アスリートのヒューマンストーリーに出会える「特別な場所」

緊張、喜び、孤独、失望。普段見られない姿が見られるサブトラックの取材は、たまらなく楽しいという
写真 落合直哉
シンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング/AS)が競技として一般的に知られるようになったのは1980年代。1984年にロサンゼルス大会で銅メダルを獲得した元好三和子と木村さえこに続き、88年のソウル大会で同じく銅メダルを獲得し、日本でこの競技の認知度向上に大きく貢献したのが小谷実可子だ。92年に選手として第一線を退いてからは、子供、大学生、社会人などを指導する傍ら、各種スポーツ団体の役職も勤めてきた。
現在はマスターズで競技者として復帰、「生活の65%は水に関わっている」という状況だが、引退後はさまざまな大会で解説者やレポーターなどを務め、大会の魅力などを伝えてきた。その中でも特に関わりが強かったのが、1997年の第6回・アテネ大会から現地レポーターとして関わってきた「世界陸上」である。
1983年の第1回・ヘルシンキ大会に始まり、第3回の91年・東京大会以降は2年ごとに開催されている世界陸上。東京大会では男子マラソンの谷口浩美(金)と女子マラソンの山下佐知子(銀)が日本勢初のメダルを獲得し、93年・シュツットガルト大会では女子マラソンで浅利純子(金)や安部友恵(銅)が活躍した。小谷が初めてレポーターを務めた97年・アテネ大会も女子長距離勢が注目された大会で、女子マラソンの鈴木博美が金、女子1万mの千葉真子が銅メダルを獲得している。
その97年・アテネ大会から小谷が担当したのが、選手たちがウォームアップなどをするサブトラック(補助競技場)のレポートだ。当時、取材対象の多くは海外のトップアスリートだった。
「日本で放送されるスポーツ国際大会は、わかりやすく日本人選手に注目して視聴者を引き込むことが多いですよね。でも、世界陸上のトラック&フィールド種目に関してはちょっと違っていて、『いかに海外のトップ選手たちをキャッチーに紹介し、日本人に親しんでもらうか、注目して応援してもらうか』が重要な戦略だったと思います。なぜかというと、そのくらいマラソンや長距離種目以外で日本選手が活躍するのは難しかったからです。
私は結婚相手が元陸上選手ということもあり、陸上競技への親近感はありました。ただ、『本当の面白さ』を知ったのは、リポーターのお仕事を始めてからでしたね。ASは印象や審判へのアピールなどが大事なので、そのための演技、曲、衣装、振り付けなどを事前に細かく準備していきます。陸上はそれと真逆で、本当に身ひとつの瞬間勝負。そこがすごく新鮮で、面白くて」
ASの選手だった小谷を魅了した陸上競技。中でも、サブトラックは特別な場所だったと話す。
「サブトラックは、普段なかなか見られないような選手のヒューマンストーリーに出会える場所です。出番直前の緊張している仕草、戦い終わってほっとしている表情、敗れて孤独になっている姿など、メイントラックからは見えないものに触れられましたね。水から上がっていろんな機会をいただく中で、最も好きな、そして最も楽しい仕事のひとつが世界陸上のサブトラックリポーターでした」
我が道を行くMJと、一人歩き続けたボルト

ボルトの成長を思い出しながら、「同じ時代に仕事ができて光栄だった」と語った小谷
写真 落合直哉
小谷にとってリポーター初仕事となった97年・アテネ大会。最も印象的だったのは、男子200mと400mで3度世界記録を樹立し、世界陸上では91年・東京大会の200m優勝から99年・セビリア大会まで、400mの4連覇を含めて個人8個の金メダルを獲得しているマイケル・ジョンソン(アメリカ)だったという。
「当時のMJはサブトラックで大きなヘッドフォンを耳につけ、CDプレイヤーが揺れないように手の平に乗せながら練習をしていました。私は、世界のトップ選手は自分のフォームを意識してアップしているのだろうと思っていたので、『エッ、こんな感じでやるの!?』とすごく驚いた記憶があります。
ちなみに、MJはリレーの直前もあまり仲間と一緒に練習をしませんでした。でも、チームの選手たちはずっとMJの様子をうかがっていて、MJが召集に向かおうとするとするとみんな一斉に準備をして後からついていくんです。チームの選手たちからは、王者・MJへのリスペクトや一緒に走れる喜びのようなものを感じました」
そんなジョンソンと同じように、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)を初出場だった05年のヘルシンキ大会から見続けられたことも思い出深いという。
「05年のヘルシンキ大会の時は、『サブトラックでふざけて踊っているお兄ちゃん』くらいの印象でした。でも200mで銀メダルを獲得した2007年の大阪大会では事前にルーティンを作り、サブトラックでしっかり気持ちやコンディションを作るようになっていて。『ああ、あの選手がこんなに真面目にやるようになったんだ』と思いましたね。そんな彼が世界的なスターになっていく姿は非常に興味深かったです。それと、彼は人間性も素晴らしいんですよ。大邱(テグ)で行われた11年大会では、サブトラックにいたボランティアの方たちに対してすごく丁寧にファンサービスをしていました。
華やかな活躍の裏で、彼はアスリートとしても人としてもすごく努力をしていたんだと思います。彼、大邱大会の100mはフライングで失格になってしまったんですよね。私がサブトラックに戻った時、誰もいない真っ暗な空間でひとり、自分の気持ちを抑えようと歩き続けていました。声は掛けられませんでしたが、帰り際に彼が常々なりたいと口にしていた『You are a true LEGEND』と書いたメッセージを手渡した思い出があります」
結果で、姿勢で、見る者を魅了してきた日本代表選手たち

トラック種目で日本人選手が活躍する時代が来るとは――と驚いたのは小谷だけではないはず
写真 落合直哉
世界陸上のリポーターを続けていく中で、少しずつ変わっていったものがある。それが、短距離走における日本人選手の台頭だ。その先駆けが、03年・パリ大会の男子200mで日本人として初めて銅メダルを手にした末續慎吾だった。
「ウォームアップエリアを見ていた時、タタタタタッとすごく滑らかに走る選手がいるなと思ったら、それが末續選手でした。速い選手、強い選手、跳躍力のある選手……世界陸上で活躍するアスリートは例外なく美しいのですが、末續選手は他の外国人選手に負けないくらい絵になる選手でしたね」
同じ短距離では、22年のオレゴン大会で日本人男子100m初の決勝進出を果たしたサニブラウン選手にも感動したという。
「サブトラックから競技場に歩いていく姿を、仕事を忘れてずっと動画で撮り続けました。個人の100m決勝のスタートラインに向かって行く集団の中に、普通に日本人選手がいる――。不思議な感覚でしたね。彼にとって長年の夢が叶ったあの瞬間は、私にとっても感慨深い瞬間となりました」
その一方、「自身の競技生活を思い出しながら感動した」のは、2019年のドーハ大会の男子4×100mリレー予選で補欠に回った多田修平を見た時だ。多田は補欠という立場にもかかわらず、皆と一緒にいる場所では明るい表情を絶やさなかったという。
「私も92年のバルセロナで補欠を経験していたので、その悔しさはすごくわかります。孤独だし、自分の存在意義もわからない。切ない気持ちでずっと悔しさを表情に出していたのを今でも覚えています。でもそんな私とは違い、多田選手はすごく明るかった。仲間とともに一生懸命にアップする姿を見て、『補欠と分かっているのにこんなに努力できるなんて素敵だな』と思いましたね。そうしたら決勝では多田選手が起用されて、なんと銅メダルを獲得。巡ってきたチャンスでベストを発揮した彼をすごく尊敬したし、『やっぱりスポーツの神様っているんだな』と思った瞬間でした」
世界陸上に縁は薄いが、山縣亮太選手にも感銘を受けたという。速さや強さだけではなく、礼儀正しいインテリジェンスも備えた選手と評した。
「ケガで苦労している印象が強い彼ですが、一度故障中に話を聞いたことがあります。すごくつらいはずなのに、腐らず、ひたむきで、誠実で、とてもかっこよかった。皆が応援したくなる気持ちが、その時よくわかりました」
満員の国立、無観客ではないことへの期待感と高揚感

トップの選手を間近で見られる東京大会。子どもたちに夢を与えられるのもまた、スポーツの力だ
写真 落合直哉
今回の東京2025世界陸上はサブトラックのレポーターとしてではなく、違う形で関わるという小谷。2021年に東京で迎えた大舞台が無観客開催となり虚しさもあっただけに、「『この選手のこのレースに注目!』というより、私はやっぱり国立競技場のスタンドが満員の観客で埋まり、そこで世界最高峰の勝負が繰り広げられるということへの期待感・高揚感が大きいですね」と話す。
小谷は最後に、そんな空間で味わえる“時間”についてこう語った。
「速さを競う種目は、コンマ何秒という時間の勝負。本当に短い時間ですが、最高のパフォーマンスを発揮しているアスリートはスローモーションの世界に入り、『この一瞬が永遠に続けばいいのに』と思ったりするんです。そして、コマ送りのような映像でアスリートの記憶に残ります。どんなスポーツでも、そういう輝かしい瞬間では時間が止まるんですよね。東京2025では、そういう場面をたくさん見られたらいいなと思っています」

アーティスティックスイミング選手
小谷実可子
幼少期からアーティスティックスイミング(旧・シンクロナイズドスイミング)の才能を認められ、高校時代には米国に単身留学を経験。日本代表としてソウル五輪で初の女性旗手を務め、ソロ・デュエットで銅メダルを獲得。引退後は、五輪・教育関連の要職に抜擢されるとともに、世界大会のリポーターなどメディアにも出演。自身がコーチを務めるクラブでアーティスティックスイミングの魅力を伝える活動を続けている。東京2020では招致アンバサダー、組織委員会スポーツディレクターなどの要職を歴任。