

文 大西マリコ
写真 落合直哉
2023年4月29日、“581日間”の止まっていた時計の針は、再び動き始めた――。
山縣亮太が実戦のレースから離れて早1年7ヶ月。「想像以上に長かった。」と本人が語るように、競技人生で最長のブランクだった。復活の舞台は、奇しくも山縣自身が生まれ育った広島。第57回織田幹雄記念国際陸上競技大会の男子100m予選で、“日本最速の男”は再びトラックを全力で駆け抜けた。
結果は10秒48の5着。復帰戦は自己ベストの9秒95にはほど遠いタイムだった。予選敗退に終わり、山縣は悔しさを滲ませたが、同時に表情は安堵感にも包まれていた。最高の結果ではなかったが、競技復帰における最大の前進を地元ファンの前で披露したのだ。「レースでしか味わえない感情や学びを得た。」と語る山縣に、復帰戦の裏側や再出発への決意を聞いた。
長いブランクからの復帰戦で感じた緊張と課題

経験豊富な山縣でも1年7ヶ月のブランクからの復帰には緊張したようだ。レース前の表情にも険しさがあった
写真 落合直哉
1年7ヶ月ぶり、実に581日ぶりとなる復帰戦、お疲れ様でした。期待通りの結果にはならなかった面もあるとは思いますが、率直にレース直後の感想を教えてください。
ここまで長くレースから離れたことはなかったとはいえ、自分は20年以上競技を続けています。正直なところ、「試合についても慣れたもんだろう。」と思っていました。
実際に織田記念の100mのスタートラインに立ってみると想像以上に緊張した自分がいました。やっぱり、実際のレースに出るのは普段の練習とは全然違いますね。自分が思い描いていたレースをすることの難しさを改めて感じました。また、練習ではなかなか起きない現象ですが、50~60mあたりで足がもつれる感覚がありました。こういう経験はレースでしかできないので、むしろプラスに捉えていて「復帰したんだな。」と改めて実感しています。
実戦でしか得られない感覚を取り戻されたのですね。
それに、試合には独特の緊張感があるんですよ。レース中はもちろん、前日練習くらいからすでに感じていました。だんだん僕自身の口数が減ってきて、気づくと常に考えごとをしている状態で、時間が経つのもすごく長く感じていましたね。
100mは「繊細な感覚の積み重ね」だと思っていて、レースに向けて意識しなければいけないことがいくつもあるんですね。そんな感じで頭の中でいろいろなことに思いを巡らせるのには、すごくエネルギーを使います。レース本番に加えて、そうした準備段階も含めて独特の緊張感があると思っています。

50~60mあたりで足がもつれる感覚があった山縣は、10秒48の5着で復帰戦を終えた
写真 落合直哉
2021年10月に膝の手術を行い、翌年1年間を休養と走りの改革に専念しました。4月上旬には内転筋のつりなども心配されましたが、現在の回復具合やコンディションはいかがでしょうか?
ケガに関しては問題ありません。手術した右膝も順調です。これからスピードを上げていく練習や、ジャンプ系のエクササイズを増やしていった時に膝の調子がどうかという心配は多少ありますが、今のスピード感で走る分には問題なく練習できています。
4月のケガで1週間ほど練習が思うようにできない時期があり、それがコンディションを整えるうえでは非常にもったいなかったですね。ただ、身体が資本の選手である以上は、今後も心身のトラブルは付き物です。上手く付き合いながら自身のレベルを上げていきたいですね。
当初、200mでの実戦復帰を予定していましたが、山縣選手が本職とする100mでの復帰戦となりました。こちらについてはどんなお考えをお持ちですか?
おっしゃる通りで、当初思い描いていたのは200mでの復帰でした。理由としては2つあります。1つは100mと比べると200mはテンポが少しスローなので、身体への負担を減らせること。もう1つは、200mは技術的な部分をしっかり調整して臨まないとうまく走れないので、技術確認の意味でも200mをしっかり走れるようにしようという意図がありました。200mの走りを100mにつなげていくイメージでした。
競技をやっていると予定通りにいかないことはたくさんあるので、結局は例年通り100mからの復帰となりましたね。ただ、今日の走りで200mだったらもっとキツかったと思います。結果論ですが、100mの実戦復帰で良かったです。
辛抱の時を経たからこそ実感した「走れる喜び」

会場のすべての人が注目した山縣と桐生祥秀との対決は、桐生に軍配が上がった
写真 落合直哉
山縣選手が6レーンで、長年のライバル関係にある桐生祥秀選手が5レーンという復帰戦でまさかの隣り合わせになりました。一緒にレースを走ってみていかがでしたか?
桐生選手とまた一緒に走れたことに感慨深い思いがありました。ただ、レースに関しては桐生選手が隣で抜け出したのが分かったので、それで少し焦ってしまった面はあると思います。50m以降で脚の回転を速めようとしましたが、動きが伴わずバラバラな走りになってしまいました。
陸上競技ファンにとっても、お2人の対決を待ち望んでいたと思います。山縣選手は今回のレースで見えてきた課題もあるかと思いますが、競技者としての“時間”が再び動き出したことをどのように捉えていますか?
タイムは、日本選手権に出るために必要な申込資格記録(10秒39)を切ることを踏まえ、10秒2~3前半を目標にしていました。でも結果は10秒48でした。以前までの自分が織田記念で10秒48の記録だったら失望していたかもしれません。でも今回は、スタートラインに立って緊張感と戦って走り切れたことに対する喜びや安心感が大きいですね。自分にとって「希望になる走り」となりました。
「記録を出したい!出さなきゃいけない!応援してくださっている方たちの期待に応えたい!」という思いからずっと緊張感がありました。無事に走り切れたことで肩の荷が下りたというか。緊張感に勝ったことで気持ちが楽になり、「あとはもうここから上がっていくだけだ!」とリスタートを切れたという晴れやかな気持ちにもなりました。

晴れやかな表情でインタビューを受ける山縣。満足できる結果ではなかったが、復帰という大きな一歩を踏み出した
写真 落合直哉
その清々しい表情から、私たちには想像もつかないような不安やプレッシャーを乗り越えてきたことがうかがえます。山縣選手にとって最長となる1年7ヶ月という休養期間は、長かったですか?それとも短かったですか?
これまでも1年くらいレースに出ない時期が何度かあったので、「今回も復帰まではあっという間だろうな。」と思っていました。でも、ある時からトレーニングがすごく辛くて、本当に辛くて……。自分が向き合ってる課題の大きさや、現在地とゴールのギャップを日々感じていて、長い道のりを歩んでいるような感覚に陥っていました。正直、今回の休養期間は長かったですね。
膝の状態の回復に関しても、スピードを上げたトレーニングができるまではずいぶん時間がかかったので、心身ともに辛抱の時でした。
実際の時間以上に長く感じられた辛抱の時を経ての復帰戦。改めて、これまでと見える景色や感じ方に変化がありそうですが、いかがでしょうか?
変化はありますね。今はとにかく1本走れたという、「走れる喜び」を強く実感しています。もちろん、課題もたくさんありますが、まずはスタートラインに立って、背負っていたものを1回下ろせたことで前進できました。そういう意味では、今はとてもリラックスしていて、良い状態で次につなげられる気がしてます。
地元ファンの声援や支えてくれる人たちのサポートに感謝

会場には山縣の復帰を見届けるために集まった多くのファンが「おかえりなさい!」と声援を送っていた
写真 落合直哉
記念すべき復帰戦は、地元・広島での凱旋レースとなる織田記念でした。やはり特別感はありますか?お父様も観戦されていましたが、応援してくれる方たちから声をかけられましたか?
織田記念は、僕にとって本当に特別な大会です。小学校の頃から関わりがあり、朝原宣治さんをはじめ、当時の日本のトップスプリンターのレースを間近に見てきた大会でもあります。高校生になってからはグランプリレースにも出させてもらいました。また、世界の大舞台の標準記録を切ったり、10秒0台を初めて出したりしたのも織田記念です。「この舞台で走れる」という特別感は自分にとって大きいですね。
自分が生まれ育った地元ということもあり、たくさんの方に声をかけてもらいました。特に大会スタッフの広島陸協(広島陸上競技協会)の方たちは小学生の時からの付き合いなので。レース前には「おう!頑張れよ」「調子はどうじゃ?」「優勝できそうかいね?」と(笑)。もう親戚のような存在です。
セイコーの社員さんもタオルを持って応援されていましたね。
いつも応援いただき、本当に嬉しいです。僕も2022年はセイコーのみなさんや福島千里さんと一緒にデーデー ブルーノ選手を応援していましたね。福島さんは今日も応援してくれて、「よく走ったね~!」と自身の経験を交えて激励してくれました。地元の声援もすごく嬉しかったですし、支えてくれる人たちのサポートに本当に感謝しています。

メインターゲットは2024年のパリ。そのために、山縣はチームメンバーと共に走りの向上を追求し続ける
写真 落合直哉
改めて、今日はお疲れ様でした。最後に、今シーズン含め今後の目標を教えてください。
今シーズン、どういう戦い方をするかは5月の大会での200mの結果次第(※5月7日開催の第10回木南記念・男子200mでは21秒55)ではありますが、やっぱりメインターゲットになるのは2024年のパリでの世界の大舞台ですね。
2023年秋から出場に向けてのタイムを出し、ポイントを獲得できるよう意識したいので、基本的にはそこに照準を当てて練習を積んでいくのが今シーズンのイメージです。パリまでの時間は長いようで短いので充実した練習をこなして、1日1日を濃く過ごしたいですね。
ひとまず今回のレースを持ち帰って、次に何をどう生かすかをまたチームで話し合いたいと思います。今は最低ラインで、ここからは上がるだけだと思うので一歩ずつ着実に、地に足をつけて高望みをせずにやっていきたいです。

陸上短距離選手
山縣亮太
リオデジャネイロ五輪男子4×100mリレーの第一走者として、銀メダル獲得に貢献。個人では、五輪における日本選手史上最速を記録したトップスプリンター。自己ベストは日本記録の9秒95。幾多の困難から復活してきたその姿から、”ミスター逆境”の異名を持つ。