文 沢田聡子
画像 アフロスポーツ
フィギュアスケーターにとって、出場が大きな目標の1つであるNHK杯国際フィギュアスケート競技大会(NHK杯)。セイコーにとっても、NHK杯は20年以上にわたり協賛を続ける思入れ深い大会です。世界のトップスケーターたちが集うISU(国際スケート連盟)グランプリシリーズの国内で行われる試合だけに、多くの日本人選手にとって特別な舞台とも言えます。また、海外の強豪選手にとっても、日本の目の肥えたフィギュアファンの前で自身の滑りを披露するチャンスでもあるのです。
今回は2022年NHK杯の公式アンバサダーに就任した田中さんに、現役時代に3度の出場を果たした同大会の魅力や自身の思い出について聞きました。同時に2022年4月の引退以降、プロスケーターと指導者の二足の草鞋を履いている田中さんに、現在の心境についても語ってもらいました。
前編はこちら
日本勢だけでなく海外勢も憧れる舞台がNHK杯
田中さんは2022年のNHK杯の公式アンバサダーに就任されましたが、NHK杯はどんな大会だとお考えでしょうか?
海外の選手もみんな「NHK杯に来たい。」と言うほど素晴らしい大会ですし、もちろん日本人スケーターにとっては日本開催の歴史ある大会です。出場できること自体が名誉という大会でもあり、選手はみな嬉しい気持ちを持って参加できる印象ですね。
スケジュール管理や大会運営などすべてがきっちりしていて、問題が起こらないクリーンな点も各方面から称賛を浴びています。日本人らしい勤勉さを随所で感じられ、競技に集中できる環境があり、ストレスがないんですよね。また、日本のスケートファンの方々が会場を埋め尽くしますし、日本人に限らず参加しているすべての選手に温かい応援をしてくれます。滑っている選手全員がそうした“リスペクトのある雰囲気”を肌で実感できる空間でもあるので、それもNHK杯が称賛される理由でもあると思いますね。
田中さんは現役時代に3回NHK杯に出場されていますが、特に覚えている試合はありますか?
北海道(札幌)で行われた2016年の大会に、同期3人(田中刑事さん、羽生結弦さん、日野龍樹さん)で出られたことは思い出深いですね。
3位に入り、優勝した羽生さんと一緒に表彰台に乗りました。
NHK杯は、一番緊張する全日本選手権の前に日本の皆様の前で滑る機会でもあり、すごく貴重な舞台なんですよ。全日本前のNHK杯、その緊張の中で戦わなければいけない感覚と、その時は同期3人で出られるという嬉しい状況もあって、嬉しさと緊張が良い感じに作用した大会でした。
グランプリシリーズを含め海外に多く転戦されたと思いますが、どんな思い出がありますか?
大会の後にはバンケットがあり、出場選手やスポンサーさんと交流する事ができました。バンケットではセイコーさんの時計など豪華な賞品が出るイベントがあって。自分は一度も当たりませんでしたけど(笑)。セイコーさんを筆頭に各スポンサーさんらのご支援もあり、「大会が終わった後も楽しい。」という印象を持っています。
“可視化できない想いを表現する”プロスケーターの滑り
写真:アフロスポーツ
2022年4月29日、『プリンスアイスワールド』の公演後に行った引退会見では、プロスケーターとしての活動と指導者としての活動を両立する宣言をされました。
「両方しっかり全うして進まないといけない」という意志で始めたので、中途半端にならないための宣言でもありました。アイスショーは成績が数字化する世界ではないので、次のショーに呼んでいただくためには足を運んでいただいた観衆の方々の心に残る滑りをする必要があります。アイスショーで見せる表現や滑りが次の機会のきっかけにつながるので、可視化できない想いを示していかなければいけないんですよ。
「常に競技とは違う勝負をしていかなければいけない。」ことを町田樹さんに教わって、僕も多くのアイスショーに出演する中で「確かにそうだな。」と感じた部分でもありました。『プリンスアイスワールド』で最初に滑らせていただくことになって、しっかりとしたスタートと姿勢を見せないといけないと思いました。
町田さんと現役時代から始めていた『継承プロジェクト』(町田さんが過去に滑った『ジュ・トゥ・ヴ』を田中さんが再演する試み)は、いかがでしたか?
既存のプログラムを滑るのは新しい取り組みですし、滑るにあたっていろいろな意味を込めたプロジェクトでもあったので、すごくやりがいのあるチャレンジでした。
大まかなストーリーはあったのですが、町田さんは「そこに乗せる心情は任せるよ。」というスタンスでした。等身大の僕がそこの世界で滑っていると考えて、自分なりの滑りで表現したという感じです。終わってからいろいろな方々から「違う作品を観た感じがあった。」という面白い感想をいただきました。
写真:アフロスポーツ
『LUXE』では、髙橋大輔さんと2人きりで登場する『ナルシスの鏡』で、一人の男の光と影を演じました。
最初に一緒に滑ると聞いた時に「大丈夫かな。」というのがほぼほぼ10割、そんな感覚でした。『継承プロジェクト』をしっかりやり切った翌日から振付が始まって切り替えられたので、2つ同時に思い悩む必要はなかったのは唯一の救いでしたね。
鏡ということで髙橋さんと同じ動きをするのですが、そんなことは過去に一度もやったことがなかったので、今考えると「なぜできたんだろう」と思います。それでも一流を見て動けるチャンスでもあって、臆さず真似していかなければいけませんでした。
最初は遠慮がちな動きだったのですが、(髙橋選手や振付の宮本賢二さん、演出家に)「もっと動いていいよ」と言われました。練習を重ねるにあたって、自分の中でも「もっと出していかないと(髙橋さんの)濃さに負けてしまう。」という感覚だったので。本当に必死に「どう動いて、どういう目線なんだろう。」と見ながら……本当に目の前にいるからこそ、よく見えたという感じですね。
町田さん、髙橋選手という尊敬するスケーターと共に作品を作ったことで、得られた自信もあるのではないでしょうか?
2020年はアイスショーが(コロナ禍で)なくなり、2021年はアイスショーのありがたみを改めて感じた1年でした。たくさん経験させてもらって、『継承プロジェクト』や『LUXE』も、コロナ禍を挟んだからこそ実現したオファーでした。スケーターとしては本当にありがたい1年であり、改めて「もっと滑りたい。」という意志が生まれた年でもありますね。
2022年に初めて出演した『ファンタジー・オン・アイス』では、アーティストとも共演しました。
運営の皆様に抜擢していただいてすごくありがたかったですし、このチャンスを自分の成長につなげたいと思い、滑らせていただきました。
『ファンタジー』で共演された羽生結弦さんはアーティストからもプロ意識の高さを称賛されていますが、田中さんの目から見て競技の時と印象の違いはありましたか?
ゆづ(羽生さん)は、競技に勝る集中で臨んでいましたね。ゆづは『ファンタジー』のベテランでもあり一線で活躍していて、僕は初めての出演でした。ゆづに直接「どう振る舞ったらいいか?」と聞きました。アーティストさんとのコラボレーションも経験がなく、どうセッションしていけばいいか分からず、自分からアドバイスを積極的に聞いていかないと分からないことだらけだったので、そこは頑張りましたね。
プロスケーターの活動と両立しつつ奔走した指導者1年目
写真:アフロスポーツ
プロスケーターとしての活動と、指導者との活動はどう両立していますか?
アイスショーシーズンが終わる8月は、選手にとっては9月から始まる試合に向けてピッチを上げていかなければいけない時期でもあります。9月からは選手にしっかり耳を傾けるように心がけています。もちろん、ショーをやっている7・8月も頑張って選手のために動いてはいましたが、アイスショーで不在になりがちなのは事実なので……。選手のことを考えつつも、「リンクにいる間は、しっかり自分と向き合って滑らないといけない」と頑張ってきました。
アイスショーで得ているものを指導に還元できているところもあるのではないでしょうか?
指導者1年目でどこまで還元出来たか分からないですが、アイスショーの世界を見れたので、それをもっともっと伝えていきたいですね。どう教えられるかは、正直まだ正解が分かっていない部分でもあります。少しずつでもいいから、指導につなげていけるようにしないといけないと思っています。
今はひょうご西宮アイスアリーナを拠点にしていて、淀粧也香先生のアシスタントを務めています。長光歌子先生も僕からすると師匠なので、コーチになってもアドバイスをいただきたいと思っている立ち位置ですね。コーチ1年目にしてはたくさんの経験をさせていただいているありがたい環境なので、感謝を忘れてはいけないと思っています。
最後に、現役時代から応援していただいているファンの方々に向けて、メッセージをお願いします。
今まで長い間たくさん応援していただいたからこそ、20年間も競技生活を続けられました。多くの方からの応援はいろいろな場面で伝わってきていて、本当にありがたく感じています。プロスケーターとしての活用ができることは、応援していただいた皆様に今後も演技を見せるチャンスでもあります。常に感謝して滑らなくてはいけないですし、プロとして見せる演技はまだまだ高めていけるはずです。
また、先生としても、応援していただけるような人柄の選手を育てていきたいと考えています。これからも選手共々応援していただけるよう、また僕もプロスケーターとして素晴らしい滑りができるように頑張りたいです。
セイコーが行うスポーツ支援
セイコーでは、選手たちが氷上に舞う華麗な競技・フィギュアスケートの支援も行っています。精密な採点が求められるフィギュアスケートの大会運営を「フィギュアスケート競技システム」でサポート。
演技の美しさを競うフィギュアスケートのスコアを正確に計測することで、競技貢献を果たしています。
プロスケーター
田中刑事
1994年11月22日生まれ、岡山県出身。2016年と2018年のエキシビションで『千と千尋の神隠し』『ジョジョの奇妙な冒険』を演じ、フィギュアスケート界にアニメ曲を取り入れたパイオニア。競技用プログラムとしても、アニメ『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のBGM『Paris』の選曲を試み、好評を博した。2022年4月に27歳で20年に及ぶ長き競技人生に終止符を打った。現在は、コーチ業に携わる一方でプロスケーターとしての活動にも精力的に取り組んでいる。
画像:アフロスポーツ