SEIKO  HEART BEAT Magazine 感動の「時」を届けるスポーツメディア

文 久下真以子
写真 落合直哉
ヘアメイク 長谷川真美

「日本陸上界で、世界と伍して戦える唯一の女性スプリンター。」

セイコースマイルアンバサダー(スポーツ担当)・福島千里の現役時代をそう評したのは、彼女が通う大学院の研究室の教授で、順天堂大学陸上部の監督を務める山崎一彦氏。日本陸上競技連盟の理事兼強化委員長でもあり、日本陸上界の選手育成に力を注いでいる人物だ。現役時代はバルセロナ・アトランタ・シドニーと3度の世界の大舞台を経験した国内随一のハードラーで、男子400mハードルの世界選手権ファイナリストでもある。

福島と現在の師弟関係になったのは、練習拠点を順天堂大学に置いた2019年の秋から。山崎氏は福島のアスリートとしてのすごさを目の当たりにしてきた人物であり、素顔を知る数少ない1人だ。今回は、そんな2人による師弟対談を実施。桜が満開のロケーションを背に、“福島千里という稀代のトップアスリート”についての本音トークに花が咲いた。

大学院生として自らを研究対象として学ぶ日々

福島千里さんと山崎一彦さん 写真

お互いを尊敬し合う福島と山崎氏。良好な師弟関係を築いていることを感じさせた

写真 落合直哉

福島さんは2021年の春に大学院に入学されたので、現在は2年生ですね。山崎先生のもとで何を学んでいるのでしょうか?

福島:専門学校には通っていましたが、高校を卒業してから十数年間にわたり陸上だけをやってきたので、学校に来て勉強をするのはとても新鮮です。2年生になると修士論文を書かなければならないので、すごく忙しいですね。テーマは、日本記録更新など、これまで自分が成し遂げてきたことに関する「質的研究」になります。

山崎:福島さんは日本記録を保持するなど、セイコーさんも関わりのあるタイムの面、いわば「量的研究」においてこの上ない研究対象だと思います。その一方で、数値などを対象とせずに、「彼女が何をしてきたか」にフォーカスするのが「質的研究」です。

たとえば、足が速い人は何が優れているのかを考えた際に、筋力と仮説を立てたとします。その場合に、他の選手と比べて何の筋力が優れているのか、その筋力を鍛えるためにどんなトレーニングをして何を意識して日々を過ごしていたのかなど個々の思考や経験に基づく検証を行うのが質的研究です。福島さんの場合は、ご自身がトップアスリートとして歩んできた実績が1つの事例となるので、それを細かく論理的に掘り下げていきたいと考えています。

福島千里さん 写真

大学院生としての生活について語る福島。自身の質的研究を論文テーマとしている

写真 落合直哉

現役時代と現在では、生活はガラッと変わりましたよね。

福島:違うと言えば違うんですが、いまだに午前中は先生と一緒にグラウンドで練習しているんですよ。さすがに現役時代ほどはガツガツやりませんが、午前中は練習、午後は教室で研究という生活スタイルを楽しんでいます。新しい気持ちで陸上と向き合っているんです。

山崎:福島さんは他の学生に練習のアドバイスをする機会もあるのですが、本当にすごいんですよ。指導のセンスは抜群だと思います。彼女は周りからすると、すごくふわっとしたイメージがあるじゃないですか(笑)。でも、人の動きをちゃんと分析できるし、客観的に評価ができる。だから女子学生はもちろん、男子学生からも質問攻めにあっているんですよ。

福島:そんなお言葉をいただけて本当に恐縮です。選手たちがすごく優しいからですよ……(笑)。

お2人がコーチと選手という師弟関係になったのは、いつからでしょうか?

山崎:2019年の秋からになります。本格的に一緒に頑張ったのは現役ラストシーズンですね。初めてちゃんと話したのは、2018年のアジア大会になります。私はハードルのコーチとして日本代表に帯同していましたが、彼女がアキレス腱を痛めて苦しそうにしている姿を見て、「何かアドバイスができたら。」と話すようになったのがきっかけですね。

福島:アジア大会ではアキレス腱がどうしようもなく痛かったので、200mとリレーを棄権したんですよね。ただ、私自身はなかなかレースを欠場する選択ができないタイプで……。走らないことは、逃げだとか負けだとか考えていました。でもそんな頑固な私に、山崎先生が「(棄権しても)大丈夫、大丈夫。」と私の気持ちに寄り添っていただけたことで、すごく救われました。その時から今まで、本当にたくさんの場面で助けてもらっています。

山崎氏が語る「第一印象とは真逆の福島千里」とは

山崎一彦さん 写真

福島の陸上に対するストイックさに驚かされたと語る山崎氏

写真 落合直哉

3度の世界の大舞台への出場、日本選手権では6年連続で2冠達成。“日本陸上女子のトップオブトップ”を走り続けてきた福島さんのすごさをあげるとしたら、どんな所にあると思いますか。

山崎:ズバリ、ストイックさですね!完全にもうストイックすぎますよ。普段の練習量もそうですが、他の人には見えない練習以外の「裏」の時間でもトレーニングしていますね。練習以外はオフとしてスイッチを切る選手もいますし、すべての物事を24時間競技に結びつけている人もいます。

私は後者のタイプですが、福島さんもそうなんです。目標を実現するためにこんなに自制する人に、私は会ったことがありません。本当にすごいと思いますし、心から尊敬しています。私自身も彼女の最初のイメージは「ふわふわした人」だと思っていましたが、実態は完全に真逆でしたね。「本当の福島は違うんだぞ。」とみんなに教えてあげたいくらいです(笑)。

福島:そんな、真逆だなんて(笑)。私は、“山崎先生は練習の鬼”だと指導を受ける前から噂で聞いていましたし、それこそ自分が見たい景色を知っている方という認識でした。一緒に練習することでどんな景色が見られるのか、日々楽しみながら過ごしていました。そんな先生からストイックと言われるなんて思ってもみませんでしたね。でも、自分で何をストイックに取り組んでいたかと聞かれたら、実はすぐに出てこないんです(笑)。

山崎:厳しいトレーニングや切り詰めた生活など、いろいろなことが当たり前の習慣になっているのがストイックなのだと思います。練習後のルーティンも誰も見ていないところで、家で欠かさずにやっていたはずですし、そうした陰ながらの努力が周囲と差をつけるんですよね。並みの選手の場合、何から何まで強制されるとむしろ伸び悩むこともありますが、福島選手の場合は“純粋にアスリートとして道を究めていた”ように映りました。単に才能に恵まれていたから、世界と戦えたわけではないことを、もっと多くの人に知ってもらいたいと思いましたね。

わくわく陸上教室での福島千里さん 写真

山崎氏は福島の能力なら、世界大会のハードルでメダルを狙えると本気で考えていた

写真 落合直哉

山崎先生は、過去に福島さんをハードルに誘ったことがあると聞きました。

山崎:「福島選手なら、100mよりもハードルのほうが世界でメダルを獲れる可能性が高い。」と思っていましたね。ハードルはみなさんが想像しているよりも高さはありませんし、間隔も結構狭いんですよ。福島選手は柔軟性や跳躍力にも優れていますし、ピッチの速い選手には有利な種目なんです。彼女のピッチの速さは世界レベルなので、「やりたい。」と言ってくれたら、プロジェクトを立ち上げようと本気で考えていました。

福島:お話をいただいた時は、魅力的だなと思いました。

山崎:嘘だ(笑)。

福島:先生にも言ったじゃないですか(笑)。2018年にセイコーに入社して、「100mで世界を目指します。」と宣言していたので、それは貫きたいという思いでした。また、100mで自分の限界を感じたことはなかったのも、お断りした理由ですね。いつも手ごたえを感じながらも「次はこうしたい。」という明確な考えがあったので、納得するまでやり切りたいという思いが強かったんですよね。なので、「先生、すみません。」と思いながら、100mでベストを出すことを最優先に取り組んでいました。

福島千里さんと山崎一彦さん 写真

普段から二人三脚で研究に取り組む2人なだけに、対談でも笑顔が絶えなかった

写真 落合直哉

メダル獲得ももちろんですが、自分の見たい景色に向かって挑戦し続けることの意義についても教えてください。

福島:やっぱり達成感ですかね。コーチやトレーナーを含めて一緒に練習してきたことが、素晴らしい結果につながればいいなと。「これまで努力してきたから達成できた。」という裏づけというか、試行錯誤で取り組んできたことを結果として残したかったですね。結果として残る喜びや達成感を味わいたいなと思いながら、陸上に取り組んでいました。

山崎:是非いろんな選手に、福島さんの姿勢を見習ってほしいですよね。日本の陸上が強くなるには底上げはもちろん重要ですが、たとえば男子で言うなら9秒9の選手がたくさん出てきても世界では勝てないんですよ。単に裾野を広げるのではなく、世界を目指して本気で取り組む福島さんのような選手を発掘し、育てていく必要がありますね。日本陸上界で世界を舞台に戦えて、かつ世界大会の決勝に進出する可能性があった女性スプリンターは、福島さんしかいませんから。

セイコーでの新たな自分との出会いとこれからの陸上人生

福島千里さんと山縣亮太選手 写真

セイコーを選んだのは、同じ陸上短距離のトップスプリンター・山縣の存在が大きかった

福島さんがセイコーに入社されたきっかけは何だったのでしょうか?

福島:先にセイコーアスリートとして活躍していた男子短距離の山縣亮太選手のつながりで、お声がけいただいたのがきっかけですね。男子のトップ選手の動きを隣で見ながら練習できるのは貴重でしたし、男女のトップ選手をともにサポートしてくれる企業も少なかったこともあり、セイコーへの入社を決意しました。山縣さんのマインドや考え方を吸収して、少しでも自分の成長につなげられればいいなという思いで一緒に練習していました。

山縣さんのすごいところはたくさんありますけど、一本一本の集中力はすさまじいですね。オンとオフの切り替えもうまいですし、自分の身体をすごく理解して大事にしています。だからケガをしても世界の大舞台に間に合わせましたし、コンスタントにベストに近い状態に持っていけるところがすごいですよね。

山崎:セイコーに入社して、彼女は自己表現が上手くなったと思っています。もちろん、福島さん自身の変化もあったはずですが、周囲のサポートに恵まれることで陸上競技を突き詰められる場所が見つかったのだなと思いました。世界で活躍する企業とコンセプトがマッチしているのだと、社員さんを見ていても感じます。欲を言えば、あと10年くらい現役で見たかったところです(笑)。

わくわく陸上教室での福島千里さん 写真

今後は指導者として子どもたちに陸上を教える福島の姿が多く見られるはずだ

写真 落合直哉

引退後はセイコースマイルアンバサダー(スポーツ担当)として、次世代の育成に関わっていますね。

福島:「セイコーわくわくスポーツ教室」では、たくさんの子どもたちを指導していますが、本当にかわいいですね。参加してくれた子どもたちには、なるべく楽しい時間を作っていきたいなと思っています。各地を回って、私のスピード感を生で見てもらって、「私もこんな風に走ってみたいな。」と思ってくれる子を増やしていきたいです。

山崎:先ほど、世界で勝つための要素としてストイックを挙げましたが、楽しくないとストイックになれないんですよね。走るのが好きという子どもが増えたら、私もうれしいですね。指導者として、多くの子どもたちに走る楽しさを伝えられる福島さんの今後も楽しみです。

福島:まだまだ教えることに関しては初心者ですが、目の前の子どもたちが上達していく様子を見ると、自分ができた時よりもちょっとうれしいかもしれません。そんなところにやりがいがあるのかなと思っています。

福島千里さんと山崎一彦さん 写真

初の対談となった山崎氏と福島の2人。今後も日本陸上界を支えていく

写真 落合直哉

福島さんの新たな挑戦を応援しています!いまさらですが、お2人の対談は今回が初めてだったんですよね?

山崎:うれしいですね。福島さんは偉大なスプリンターでしたが、今後は福島さんを超える女子選手が出てきてほしいです。そのカギが福島さんの指導や研究にあるかもしれないので、私も全面的にサポートしていきたいと思っています。

福島:初対談緊張しました(笑)。陸上には小さいころから育ててもらったので、ぜひ恩返しをしていきたいと思っています。そのためにも指導者として勉強しながら、自分の学びや経験を伝えていける存在になりたいです。

セイコーは2022年5月8日(日)に開催されるトップアスリートの競演「セイコーゴールデングランプリ陸上2022東京」に特別協賛します。競技終了後の17時15分ころから福島千里選手の引退セレモニーが開催されます。
福島選手の功績を称え、盛大に送り出しましょう!

福島千里 写真

CHISATO FUKUSHIMA

セイコースマイルアンバサダー(スポーツ担当)
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福島千里

セイコースマイルアンバサダー
福島千里

北京・ロンドン・リオデジャネイロと3大会連続で世界の大舞台に出場。女子100m、200mの日本記録保持者。日本選手権の100mで2010年から2016年にかけて7連覇を成し遂げ、2011年の世界陸上では日本女子史上初となる準決勝進出を果たした。引退後は「セイコースマイルアンバサダー」に就任。「セイコーわくわくスポーツ教室」などの活動を通じて次世代育成に貢献している。

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