SEIKO  HEART BEAT Magazine スポーツを通して人生の時を豊かに

文 上田まりえ
写真 松本昇大

突出した実力とパーソナリティゆえに、これまで”孤高のプロランナー”という印象が強かった大迫傑。しかし、ラストラン宣言後は後世の育成にも精力的になるなど別の側面も見せる。主宰するプロジェクト『Sugar Elite Kids』には、セイコーの山縣亮太も参戦するなど競技の枠を飛び越えた交流も目立つ。

アスリートに加え、実業家としての一面。人生の転換期において大迫は何を考え、どこを目指しているのだろうか。そのヒントになったのは”コミュニティ”という言葉だった。

日々のランニングを通して広がるさまざまな縁

大迫傑選手・山縣亮太選手 写真

大迫はランニングを通してコミュニティを構築。つながりの輪の拡大を実現している

写真 松本昇大

自身のラストランとなった2021年8月8日から、およそ3か月。「暮らしが変化したという実感はあまりない。」と話すように、セカンドキャリアにおいても大迫は多忙な毎日を送っている。挑戦の日々に一区切りをつけただけに、ゆっくりと過ごしたいと考えるのが普通かもしれない。しかし、「今が一番注目していただける時期なので、流れに乗りたい。」と足を止めるつもりは一切ないようだ。

今でも走る習慣は変わらないという。ただ、それは競技の延長線上で黙々と走っているわけではない。ある明確な目的に基づくものだった。

「ランニングコミュニティに参加するなど、人と一緒に走っていますね。ランニングを通した人との出会いを大切にしています。」

高校・大学・実業団時代は、どちらかというとクローズドなタイプだったという大迫。しかし、2015年にプロ転向し、活動拠点をアメリカに移してから、その性格は一変した。人との出会いによって新しい世界を知ることの楽しさを覚えたのだ。そして、レース後のオフは積極的に人と会うことを意識した。

大迫傑選手・山縣亮太選手 写真

大迫は人と会うことで新たな価値観をインプットする。セイコーの山縣亮太との交流もその1つだ             

写真 松本昇大

「ランニングコミュニティでは、陸上以外のスポーツ関係者をはじめ、経営者や多種多様な業種の人たちと話ができます。自分の知らないことをインプットできて、とても勉強になっています。」と目を輝かせる。

「陸上界の小さなコミュニティの中だけで話をしていても、価値観の広がりはあまり望めませんよね。さまざまな人と出会い、新しい考え方を知ることで、これまでにないアイデアが湧いてくるんですよ。ランニングの魅力は、誰でも、どこでも、簡単にできるところ。会話をしながらできるのは、他のスポーツにはない特徴ですよね。会話も弾むし、すごくいいコミュニケーションのツールだなと思っています。」

大迫は今でも走ることで自身のフィールドを広げ続けている。

「主語を自分にすること」の大切さとは

大迫傑 写真

『Sugar Elite』では新しい価値観を生み、これまでなかった選手の居場所をつくる

写真 松本昇大

世界を常に見据えていた大迫は、以前から『Sugar Elite(シュガーエリート)』を主宰する。「世界で戦える陸上長距離選手を日本から輩出する。」ことを目的に、大迫がつくり出したコミュニティ。新しい価値観を生み出し、これまでなかった場所をつくり出すところが何とも大迫らしいプロジェクトだ。

中でも大迫は、小中学生を対象にした『Sugar Elite Kids』のイベントに力を入れている。地方自治体とタッグを組むことで、次世代を担う子どもたちを直接指導。加えて各地方自治体が抱えている課題についても、解決に向けて一緒に取り組んでいく。ラストラン後から精力的に10都市を回り、「子どもたちのリアルな声を聞けて良かった。」と手応えを感じているようだ。

「全国各地に指導者がいますが、やはり情報量の差があります。それをなくしてあげたい。どこにいても、世界に飛び出して戦える社会人やアスリートが生まれる仕組みづくりをしたいですね。僕自身も親ですし、子どもたちが躊躇(ちゅうちょ)している時に、少しでも背中を押してあげられるようになればすごくうれしいし、ワクワクする活動になると思っています。」

これまで自身が得た経験(インプット)をより多くの人に伝達(アウトプット)できる場を――。大迫のコミュニティ構築にはそんな狙いがあった。

オンラインイベントの様子 写真

『Sugar Elite Kids』のイベントでは、大迫自身が多くの子どもたちとのコミュニケーションを取る。写真はオンラインでイベントに参加する子どもたち

写真 松本昇大

ラストランから1か月半ほどだった2021年9月末、大迫は新会社『I(アイ)』の設立を発表した。アスリートの育成やマネジメント、ランニング文化の醸成を通した地域活性化のための事業を推進する。

「取り組むのは、単純な競技力の育成ではありません。アスリートには競技だけではなく、広く世界で活躍できる力があると思うんですよ。スポーツ界だけに留まるにはもったいない、面白い考えを持った人材もたくさんいます。しかし、その大半がアウトプットの仕方をわかっていないのが現状です。思っているだけでは何も変わりません。積極的なアウトプットが本人だけではなく、世の中を変えていくきっかけになるので、そのお手伝いをしたいんです。」と熱弁する大迫。新たな出会いによってインプットを増やし、さらにアウトプットの仕方を学ぶ場を提供する――新会社ではそうしたコミュニティの構築を目指している。

また、『I』という社名には、”自分を主語にすること”への想いが込められているという。
「人のために何かをすることはもちろん大事ですが、自分の心が豊かでないと楽しいものは生まれないんですよね。精神的に豊かになることで、競技もその他のこともポジティブに取り組めます。”プラス×プラスはプラス”ですよね。そんなプラスのエネルギーを生む掛け算ができるように、僕の活動を通して自分を主語にすることの大切さを伝えたいと思っています。」

幸せや喜びを感じる際に根本にあるのは、”楽しい”という想い。みんなが率先して競技に取り組める”輪をつくること”が、実業家・大迫傑の使命でもあるのだ。

これからの陸上界にはコミュニティづくりで貢献

大迫傑 写真

オンライン取材でコミュニティづくりの構想を語る大迫。大迫の門下生が世界に羽ばたくことを期待したい

今後の陸上界との関わ方について尋ねると、実に大迫らしい答えが返ってきた。

「指導者としての役割を果たしつつも、コミュニティづくりに注力したいです。”THE 指導者”というより、“近くにいてアドバイスをくれるおじさん”というイメージでしょうか(笑)。どこかのチームに属するのは、僕の役割ではない気がします。むしろよりいろんな大学や会社の選手たちが集まれる居場所をつくってあげることが大切です。僕の今までの経験を活かしながら、選手たちが自分の目標に対して最短距離でまっすぐに進むためのお手伝いがしたいですね。」

大迫が構築したコミュニティから、世界へと羽ばたく選手が生まれる日はそう遠くはないはずだ。


プロとしての大迫傑のマインドを振り返る インタビュー記事はこちら

大迫傑の思考回路。孤高のプロランナーが貫いた「目的意識」

大迫傑

陸上選手
大迫傑

中学校で本格的に陸上競技を始め、佐久長聖高校、早稲田大学と駅伝の名門校を渡り歩く。2013年モスクワ世界選手権10000m代表にも選出され、卒業後は日清食品グループ、ナイキ・オレゴン・プロジェクト(アジア人史上初)を経てナイキ所属のプロランナーに。2018年シカゴマラソン・2020年東京マラソンにおいて2度のマラソン日本記録を更新。2021年東京五輪男子マラソンにて6位入賞を果たした。現在はSugar Elite主宰で、株式会社Iの代表を務める。

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