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文 生島 淳
写真 近藤 篤

2020年10月1日~3日に行われた陸上日本選手権。男子800m決勝で1分49秒12のタイムで6位に入賞したのは、セイコーグループの社員、櫻井大介だった。
櫻井は陸上の強豪校出身ではなく、京都大学を卒業し、平日は社員として勤務。もちろん、残業もある。仕事と陸上を両立させている櫻井のたどってきた道は、どんな道だったのだろうか。

サラリーマンランナー櫻井大介の誕生

櫻井大介選手 画像

「日本選手権の表彰台を目指して競技を続けていますが、今回、日本選手権の決勝で走ってみて、まだ力が足りないことが分かりました。」
日本選手権を走り終えて、櫻井はそうレースを振り返った。

櫻井が本格的に陸上に取り組み始めたのは、京都市立西京高校附属中学校に入学してから。「中高一貫だったので、ずっと同じ先生に指導していただきました。高校ではインターハイ優勝を目指していたんですが、決勝にも進めずに予選落ちで。その時のこともよく覚えています。悔しかったですよ。もともと陸上は高校で辞めようと思っていたのですが、自分でしっかりと練習を管理していけば、強豪校でなくても上を目指せるはずだと思い、大学でも陸上を続けることに決めました。目標としては、『大学4年でインカレ優勝しよう』と決めて、高校3年の夏からは、受験勉強に切り替えました。」

※インカレ(インターカレッジの略):全日本学生(大学)選手権の略称

櫻井大介選手 画像

受験対策をしっかりと行い、目標としていた京都大学に現役で入学。櫻井がこだわったのは、あくまで結果を残すことだった。
「卒業する時に、結果を出していないのに『4年間頑張りました。陸上生活に悔いはありません。』と言いたくはなかったんです。そう言ってしまうと、なにかカッコ悪いなと思って。自分は、あくまで4年間でインカレ優勝するために計画を練りました。」

しかし全国の壁は厚かった。やはり、関東勢が強く、1年、2年とインカレでは予選落ち。
「4年で勝つためには、2年では予選を突破して、決勝で走ることが僕のプランだったんです。それが崩れてしまい、このままでは日本一にはなれない……と思って取り組みを変えました。」

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櫻井は「思索の人」でもある。一般的に、800mの選手は冬の鍛錬期に長い距離を走り込んで土台を固めることが多いが、櫻井は「800mをうまく走れる能力」を特化しようと考えた。
「自分に合った練習をこの時期に発見できたように思います。」

目標だったインカレで優勝とゴール前の景色

2014年は飛躍の年となった。迎えた大学3年のインカレ。櫻井には強敵がいた。
「一つ上の学年で、日本大学の川元奨選手が5月のゴールデングランプリで1分45秒75の日本記録を出したんです。つまり、日本記録保持者に勝たないと、目標としてきたインカレで優勝できなくなったわけです。」

櫻井大介選手 画像

勝負は2014年9月。川元が先頭を引っ張り、櫻井は4番手でレースを進める。残り300mを切って各選手たちが動き出し、櫻井は残り200mでトップに立つ。
「ラストの直線に入った時の、その一瞬の景色を今でも覚えています。後ろからの“圧”を感じながらも、自分の前には誰もいない。いい景色でした。」
各選手が櫻井を追いかけてくるが、最後の50mで櫻井は後続の選手を引き離した。感動的なレースだった。ゴールではガッツポーズが出た。
「うれしかったですね。それまでの人生で一番でした。でも、3年で勝ってしまったという感覚もありましたね。」
京大生が勝ったことで、陸上界では大きな話題となった。

櫻井大介選手 画像

櫻井が選んだ道は、働きながら走るという選択

翌年、4年生では日本選手権の表彰台を目指したが、予選のレース中にアクシデントもあって決勝には進めなかった。櫻井は卒業後の進路について考えるようになる。
「インカレの800mの優勝者程度では、アスリート採用はないというのが現実でした。卒業したら、働きながら走るのか、それとも仕事に集中するかのいずれかでしたが、陸上を辞める気にはなれませんでした。陸上は楽しいか? と聞かれたら、あまり楽しくはないんですが(笑)、800mを走ることは好きなんです。最終的には、自分はもっと強くなれると思って、働きながら走ることにしました。」

櫻井大介選手 画像

就職先はセイコーグループ。中学の陸上部の時、「セイコー プロスペックス スーパーランナーズ」をつけて走ったのが縁の始まりだった。
「なんて素晴らしい道具なんだ! と中学の時に感動しましたから(笑)。陸上と同じく“時”を扱っている企業でしたし、スポーツへの理解も深く、自分との親和性を感じて志望し、内定をいただきました。」

京都大学を卒業した櫻井は、2016年4月にセイコーグループに入社し、新しい生活が始まった。
「東京で住むところを決める時に、不動産屋さんに『陸上競技場の近くでお願いします』と言って、呆れられました(笑)。ただ、僕は入社してから一度、陸上を辞めているんです。でも、学生のころから応援してくれている友人が『走っていた方がいいよ』と勧めてくれて、2017年の後半からもう一度、800mに取り組み始めたんです。」

櫻井大介選手 画像

最初の練習、いきなり800mのタイムトライアルを行った。
タイムは2分26秒。
ベストタイムから、30秒以上も遅かった。「久しぶりだからこういうこともあるかな」と気を取り直して一週間後、もう一度800mを全力で走った。今度は2分24秒。道のりは遠いかと思われた。
「全力で走ったら、苦しかったです。でも、『生きてるなあ』という実感があって、また走りたいと心から思えたんです。走るのが好きだし、勝負が好き。奥底から湧き上がってくるこの気持ちだけは抑えられないと思いました。」

目標は、大学4年の時に立てた「日本選手権の表彰台」に上がること。しかし、平日は仕事があるため、練習時間には工夫が必要だった。
「中長距離の選手だと、一週間に2回、あるいは3回、強度の高い『ポイント練習』をするのが普通です。いまは、週末の土日に2日続けてポイント練習をやっていますが、本音をいえば、平日にもう1日、強度の高い練習が出来ればいいなと思っています。競技場はだいたい9時には閉まってしまうので、少なくとも8時には到着しないといけません。仕事の進捗状況次第ですね。」

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2020年10月3日新潟市・デンカビッグスワンスタジアムで開催された陸上日本選手権、決勝での櫻井大介選手

写真 フォート・キシモト

メニューを聞くと、600m×3本~5本など800mの選手らしいメニュー。600mをレースに近いペースで走り、休息を取って、一本、一本を質の高い走りが出来るようにしているという。

これだけつらいメニューをこなしているのも、櫻井が800mの魅力に取りつかれているからだろう。400mトラックを2周することから「2Laps」と呼ばれるこの種目の魅力はなんなのか。
「800mは陸上の格闘技とも言われています。実際に接触とかもありますが、それよりも、僕はレースの途中に、『あ、いまこの選手は自分を倒しにきてる』という殺気みたいなものを感じるんです。800mを本気で戦ってきた選手には、きっと分かると思います。僕としては、『800mは自分の種目』だと言い切りたいし、結果を残したい。」

櫻井大介選手 画像

目指すは日本選手権の舞台

櫻井にとって、スポーツは自分の生きることにそのままつながっている。
「高校、大学の頃は、走らないと生きていけないと思ってました。回遊魚みたいに、ずっと泳いでないといけない感じで(笑)。いまの気持ちとしては、好きで走ることを選んでいて、好きな800mという種目で負けたくないという気持ちが抑えられないんです。」

その衝動は、自分の限界を探る旅へとつながっている。
「自分の才能の限界を引き出したいですね。まだ、引き出せてはいないので、引き出したうえで、日本選手権で勝負が出来ればと思っています。」

櫻井大介選手 画像

櫻井大介さん着用時計 セイコー プロスペックス SBDC101

2021年は、櫻井にとって重要な年になる。櫻井は、
「真の日本一を決める日本選手権の舞台に立ったからには、日本一を目指さないのはおかしいと思うんです。」
と話し、決勝を走ったことで、新たなターゲットが見えてきたようだ。
2021年、櫻井はどんなタイムを刻み、陸上の格闘技である800mで、どんなレースを見せてくれるだろうか。
いまから2021年が楽しみだ。

セイコーは0.01秒に挑戦しつづけるアスリートたちのために、世界を塗り替える決定的瞬間を期待する観衆達のために、スポーツが生み出すドラマを「正確さ」という価値で支えます。

タイムやスコアに挑みながらスポーツに本気で向き合う人の気持ちに寄り添い、
モチベーションにつながることを願って、HEART BEAT MAGAZINEではスポーツの魅力やスポーツの持つ力をお伝えします。

櫻井大介

サラリーマンランナー
櫻井大介

800m走者 1993年京都市生まれ。陸上競技との出会いは中学1年時。当時の専門種目は主に3000m。高校1年時より主戦場を1500mに変更、さらに高校2年時より800mを開始。高校3年時に両種目で全国IH出場を果たすも予選落ちに終わる。大学より専門種目を800mに絞り活躍。大学3年時には日本記録保持者・川元選手を抑え全日本ICを優勝、念願の日本一の夢を果たす。2016年に社会人になり個人で競技を続行するも数か月後には競技を一時中断。その後、周囲の支えを得て2018年5月より競技を再開。2019年9月よりセイコーの所属で試合に出場するようになり、同年の全日本実業団では3位、2020年の日本選手権では6位などの成績を収めた。

自己ベスト:1.48.48(2015年)
シーズンベスト:1.48.71(2020年)

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