文 宇佐美裕之
photo by AFLO SPORT
陸上の短距離走やハードル走、長距離走といったトラック競技で複数の選手が同じタイムでフィニッシュした場合、さらに「1,000分の1秒」単位まで確認して順位を決めます。それでも複数の選手が「1,000分の1秒まで同じ」だった場合は、抽選で順位を決めるルールが存在します。
実際、2026年5月に行われたセイコーゴールデングランプリ2026の男子100m予選では、飯塚翔太選手、山縣亮太選手、小室歩久斗選手の3名が10秒23の同タイムで並び、山縣選手と小室選手が1,000分の1秒まで同じという非常に珍しい事例が発生しました。
陸上競技の順位を決める審判ルールは、どのように定められているのでしょうか?また、順位を決めるための「1,000分の1秒単位」のタイムはどのように計測されているのでしょうか?世界陸上などさまざまな国際大会で計時計測を担ってきたセイコーが、その仕組みを分かりやすく解説します。
陸上競技の突破条件、「タイム通過」と「着順通過」とは?
陸上競技の予選や準決勝を観戦していると、リザルト(記録表)に「Q」や「q」といった英字が付記されているのを目にしたことがあるかもしれません。この「Q」や「q」は、英語の「Qualified」を意味する記号で、次のラウンド(準決勝や決勝など)への進出資格を得た選手を示しています。
陸上競技では、主に「着順通過(Q)」と「タイム通過(q)」の2通りの方法で、上位ラウンドへの進出者が決定されます。
【表】着順通過(Q)とタイム通過(q)の違い
| 条件 | 記号 | 概要 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 着順通過 | Q | 各組の上位一定順位(上位2名など)に入った選手が進出 | ・組内での着順が優先される |
| タイム通過 | q | 着順通過者を除いた全選手中、タイム上位者が進出 | ・着順通過のほうが優先される ・風向や組のレース展開に左右される場合がある |
【図】着順通過(Q)とタイム通過(q)による決め方の一例
【図】着順通過(Q)とタイム通過(q)による決め方の一例
トラック競技の予選は複数の組に分かれて実施されるため、組によって天候や風向き、ペース配分(レース展開)といった条件が異なります。そのため、各組の着順通過(Q)を基本としながら、タイム通過(q)による救済措置を組み合わせることで、公平性を保つ仕組みになっています。
まったく同じタイムだった場合、着順はどう決まる?
レースにおいて「まったく同じタイム」が記録された場合、審判はどのように着順を判定するのでしょうか。その答えは、状況に応じて「再レース」または「抽選」です。
陸上競技の公式記録は「100分の1秒」単位まで表示されますが、着順判定の際には「1,000分の1秒」単位まで確認が行われます。ただし、冒頭の例のように、先端技術を用いて「1,000分の1秒」まで正確に読み取ってもなお同着(完全に同一タイム)となるケースもあります。
ワールドアスレティックス(世界陸上連盟)の競技ルールでは、このような完全同着(着順通過・タイム通過ともに決定できない場合)における対応として、以下の手続きが定められています。
- 再レースを行う
- 再レースが困難な場合は、抽選によって決定する
※再レースを行うかどうかは、審判長が判断します
「スポーツの決着を運(抽選)に委ねるのは理不尽ではないか」と思うかもしれません。しかし、過密な大会日程や選手の身体的負担などを考慮すると、抽選は「公平性を担保するための合理的な解決策」とも言えます。
全精力を傾けて走った直後に再びレースを行うことは、選手の疲労蓄積や怪我のリスクを高める要因となります。また、放送枠や競技全体のタイムスケジュールが細かく定められている大規模な大会においては、再レースの組み込みが現実的に困難なケースも数多く存在します。そのため、極限まで精度の高い計測を行った上でなお決着がつかない場合に限り、全選手に対して等しく機会を与える手段として「抽選」というルールが適用されるのです。
「1,000分の1秒」はどう測る?セイコーのフォトフィニッシュ技術
photo by AFLO SPORT
ここで疑問となるのが、「そもそも1,000分の1秒単位の差はどのように計測されているのか」という点です。一般的に、陸上競技の公認記録として発表・保存されるのは「100分の1秒単位」まで。しかし、同着判定などの精密な審判作業を行うために、内部的には1,000分の1秒単位までデータが算出されています。
この微細な差を厳密に判定する上で不可欠な存在が、セイコーの「フォトフィニッシュシステム(写真判定装置)」です。 このシステムでは、フィニッシュラインの直線上に位置する専用の「ラインスキャンカメラ」が使用されます。スキャンカメラは一般的な動画撮影とは異なり、フィニッシュラインというわずか1本の線の上だけを、1秒間に約2,000回(2,000コマ)という驚異的な速度で細かく連続撮影し続けます。
こうして撮影した縦1列の画像を、横方向に時間経過順へ連続して並べることで、フィニッシュライン上を選手が通過した瞬間の「時間軸画像(写真判定画像)」が生成されます。審判員は、生成された高精細な判定画像上でルールに基づき「トルソ(トルソー):首から胸部・腹部を含めた腰までの部分」がフィニッシュラインの垂直面に達した瞬間を確認します。スキャン画像上にカーソルを合わせることで、デジタル処理により1,000分の1秒単位のタイムが明確に割り出される仕組みです。
世界陸上などの国際大会はもちろん、日本国内で開催される数々の公認大会に至るまで、セイコーの高精度な計時計測技術が、競技の正確な判定を支えています。
正確な計時計測が支える、コンマ数秒の勝負
陸上競技においては、ごくまれに「運」さえもがルールの一部となる瞬間が存在します。しかし、その「抽選」に至る手前には、選手たちが積み重ねてきた努力を1,000分の1秒単位まで正確に記録・判定するための厳格な審判ルールと、それを支える精密な計時計測技術が存在しています。 これから陸上競技を観戦する際は、選手たちの熱い走りはもちろん、コンマ数秒の勝負を支える「計測技術」や「判定の瞬間」にも注目してみてください。
※本記事の一部には、当社による調査結果および監修者の見解が含まれています。
元陸上競技選手
朝原宣治
1993年、100mで日本人初の10秒1台となる10秒19を記録する。初出場となった1996年アトランタ大会の100mでは日本人として28年ぶりに準決勝進出を果たし、翌1997年には日本人初の10.0秒台(10秒08)をマークするなど陸上・男子短距離界をけん引。2008年北京大会の4×100mリレーでは、悲願の銀メダルを獲得した。現役引退後の2010年には、次世代育成を目的として陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」を設立。地域貢献活動の一環でもあり、引退後も自身のキャリアを社会に生かそうとチャレンジを続けている。2024年9月に開催された全日本マスターズ選手権では、52歳で10秒93をマークした。