文 折山淑美
写真 落合直哉
慶應義塾大学時代の2023年に110mハードルで学生世界一の座を勝ち取り、翌年には400mハードルで日本歴代3位の記録(47秒99)を叩き出した豊田兼。しかし将来有望な195cmの長身スプリンターにとって、2025年は順風満帆なシーズンとはならなかった。9月の世界陸上・400mハードル予選のレース直後に豊田が見せた、苦悶に満ちた表情はいまだ記憶に新しい。
社会人1年目の環境や心境の変化、日本選手権(7月)を目前にしての怪我、そこからの復帰、そして迎えた大舞台の世界陸上――。起伏が大きかった2025シーズンを、豊田はどう振り返るのか。今後の展望と合わせて伺った。
「確実にいける」からの思わぬ足踏みと焦り
連戦の中、重要な大会であるアジア選手権の直前に豊田の体が悲鳴を上げてしまった
写真 落合直哉
昨年に迎えたパリの大舞台では、直前のケガで納得いく走りができなかった豊田。その雪辱を果たす機会は東京で開催される世界陸上だと決意して、2025年シーズンに臨んだ。昨年まで挑戦していた110mハードルにはあえて取り組まず、400mハードル一本に絞った今シーズン。出だしは順調だった。世界のトップ選手が出場するダイヤモンドリーグ初戦の厦門大会(4月)で300mハードルに出場し、カーブがきつい1レーンながら3位という好結果を収める。
「急きょ出られることになったということもあり、正直なところ、『食らいついて行けたらいいな』くらいに思っていました。世界記録保持者のワーホルム選手(ノルウェー)に大差をつけられましたが、表彰台で隣に立てるとは思っていなかったので本当に嬉しかったです」
ケガをした昨年8月以降、大会への出場はゼロ。世界陸上の参加標準記録(48秒50)はまだ突破できていなかったものの、幸先のいいスタートを切れたことで「これなら確実にいける」という気持ちが強くなったという。しかし、そこからは足踏み状態に陥った。
「万全な状態で400mハードルを走れば、標準記録の突破は難しくないと考えていました。5月3日の静岡国際では48秒62とわずかに届かず。記録を狙って前半から突っ込んだ18日のセイコーゴールデングランプリでも、48秒55で0.05秒足りませんでした。そこですごく焦りを感じてしまった部分はありますね」
10日後にはアジア選手権が控えていたが、「『毎週試合』みたいなスケジュールで休む間もなく練習をしてきたので、体が持たなかった」と豊田が振り返ったように、出発前日のウエイトトレーニング中にぎっくり腰を発症。出場は辞退せざるを得なくなった。
「重要な大会の直前だったので、『またやってしまった』という後悔がすごくあって。でも、大会直前だったパリの時とは違い、日本選手権までは1ヶ月以上もありました。なのであまり焦らず、しっかりリハビリをして、今まで通りに練習を積んで日本選手権に臨もうと」
何もかもがうまく噛み合わなかった日本選手権
日本選手権の敗因は練習不足と熱中症。すべてが噛み合わなかったと話す豊田
写真 落合直哉
ケガの原因は、冬期練習の不足にあるのかもしれない。昨年夏に起こったハムストリングの肉離れは、10月には完治していた。しかし、例年通り11月末から冬期練習を始めようとしたところで小さな故障が続き、本格的に動き始めたのは年明けから。3月に入ってからは試合に向けた調整もしなければならないため、予定よりひと月も短い2ヶ月しか積み上げのための期間を取れなかった。
「本当は4月と5月も冬期練習の延長として考えていたんですけどね。急きょ出場が決まったダイヤモンドリーグは『出るしかない』という試合だったし、そこでうまくいったことで自分への期待感も出てきて。それが自分のリズムを崩す要因になったのかもしれません」
「今振り返って見れば、『パリの悔しさを晴らす舞台は世界陸上しかない』といった義務感のようなものを感じ、そこしか見えずに視野が狭くなっている状態でした。だから、自分の体の小さな変化に気づけず、純粋に陸上を楽しむ気持ちも欠けていたんだと思います」
日本選手権開幕前の時点で、世界陸上の参加標準記録を突破していたのは井之上駿太のみ。豊田は、試合数を重ねれば世界ランキングで出場権を獲得できそうな状況だった。
「ランキングのポイントも頭の片隅にはありましたが、実際に去年のパリの直前は標準突破者が4名いて、そこから3名に絞られるような状況でした。しかも今年は記録の有効期間が8月下旬までと長かったので、『標準記録を切って日本選手権で3位以内に入らない限り安心できない』という気持ちが大きくて。世界陸上だけを見るなら本番に照準を合わせればいいのですが、目の前の標準記録をクリアしていなかった焦りから、『日本選手権にも合わせないと』という思いが強くありました」
その焦りが、それなりに準備もできた日本選手権にマイナスの影響をもたすことになる。結果は50秒37で、予選敗退だった。
「ひと月前は48秒5で走っていたし、1週間の休みを経て走る練習も積んでいたので、どんなに遅くても49秒台前半では走れる状態でした。でも本番では前半から力が出なくて。その時点で、もう熱中症になっていたんだと思います。腰を痛めてから屋内でリハビリをすることが多く、そのせいで暑熱馴化がうまくいきませんでした。心理的な焦りからくる自律神経の乱れもあったかもしれません」
「要は、日本選手権ではすべてが噛み合わなかった。いつもなら走っている時には聞こえない周りの声が、最後の直線に入った時に耳に入ってきたんです。それが、失速する僕の姿に落胆する声のような気がして――。その瞬間、本当に絶望的な気持ちになりました」
自国開催のビッグゲームで感じたプレッシャー
「大歓声は嬉しいしありがたい」と思う反面、メンタルのコントロールは難しかったという
写真 落合直哉
日本選手権で上位に入った選手にも標準記録突破者は出ず、ランキングでの出場に懸けてヨーロッパの試合にも出た豊田は、晴れて世界陸上への切符を手にする。しかし、その大舞台で若きスプリンターが輝きを放つことはなかった。8台目のハードルの踏み切りが合わずに失速し、結果は51秒80で予選敗退。「自分のやってきたものをすべて否定されたような感覚というか、今シーズンで一番悔しい瞬間だった」という。
「400mハードルでは全部で10台ハードルがあるんですけど、あの試合、8台目まではハードル間を13歩で行ける自信がありました。前半から積極的にいって7台目までほぼリードする形でレースを進められたのは、『ここで食らいついていかないと準決勝には勝ち残れない』という思いがあったからです。でも、レース全体を考えた、機転が利いた走りはできていなかったと思います」
振り返って感じたのは、シーズンを通して400mの走力が足りていなかったことだ。
「400mを走りきるフィジカルが仕上がってない中でいくら歩数を合わせる練習をしても、やっぱりリズムが合わない。400mで45秒台や44秒台を目指せる走りができない限り、ハードル間を13歩で押していくような理想のレースプランは実現できないんです。本当は日本選手権後に400mのレースに出ようと思っていましたが、ランキングのポイント稼ぐために400mハードルに出るしかなくなりました。そこはすごく後悔している部分でもあります」
自国開催のビッグゲームで初めて見る、満員になった観客席。聞こえてくる声援も、大半が日本語だ。それが自分に向けられたものだと分かった瞬間、プレッシャーを感じたという。
「自分はけっこう物事をネガティブに捉えるタイプなので、精神的な弱さはもともと自覚していて。それでも試合でいい結果が出れば自信になりますし、大学時代は試合でうまくいかなくても陸上から離れたところで気持ちを切り替えることができました。でも、今シーズンはそのどちらもできなかった。メンタルをうまく取り戻す方法が分からなくなってしまったところが、自分の弱さです」
好奇心を持って練習やいろんな種目に臨むほうが僕らしい
マイルリレーで優勝した経験が、「走ることの楽しさ」を豊田に思い出させた
写真 落合直哉
そんな豊田は2026年を、その後に2年連続で続く世界大会に向けて、「さらなるレベルアップのためのヒントを探すシーズンにしたい」と言う。その一歩となるのが、あと0秒10まで迫っている日本記録(47秒89)の更新だ。
「日本記録は大きなターゲットです。でも今年は、その0.1秒が近いようでものすごく遠いなと痛感しました。47秒99を出した時から1年半が経っていますし、当時と比べて自分の体も少しずつ変わっています。だから今は『現在の自分の体でどうすれば記録を超えられるか』を意識しています」
そのための道筋も、世界陸上の直後に出た全日本実業団で少し見えてきた。「まだ400mハードルに向き合うには気持ちの余裕がなかった」ものの、実業団チーム(トヨタ自動車)のメンバーとマイルリレー(4×400mリレー)に出場し優勝。その瞬間、今シーズン集中してきた400mハードル以外の種目を走ることが純粋に楽しいと思えたという。
「ひとつの事柄に対してのめり込むと考え過ぎてしまう癖があるので、自分の思考や気分を切り替えるトリガーとして違う種目を試したり、そこで自分の新たな変化を見つけたりすることが大事なのかなと思います。大学4年の時は無茶をして110mハードルで怪我をしてしまいましたが、思えば、そういう過程をすごく楽しんでいました」
「今シーズンはその反省もあってあえてそういう部分を封印してきましたが、好奇心を持った上で練習やいろんな種目の試合に臨むほうが、僕らしくていいのかなと思っています」
2025年は生真面目な探求者としてストイックに記録を目指してきた豊田が、2026年からは好奇心旺盛でちょっとやんちゃな探求者に変身を遂げるかもしれない。それは彼が陸上競技を始めた時から心の中に宿していた原点への回帰なのだろう。「練習にも試合にも遊び心を持ちたい」「楽しいという実感を大事にしたい」と前を向く豊田に訪れるであろう、収穫の季節が待ち遠しい。
陸上短距離選手
豊田兼
身長195cmの恵まれた体格を活かし、400m/110mH/400mHの3種目をこなすマルチハードラー。2023年8月に中国で行われた第31回FISUワールドユニバーシティゲームズの男子110mHで学生世界一に輝き、同年10月のアスレチックスチャレンジカップでは日本歴代6位となる48秒47を記録し、世界の大舞台の標準記録を突破した。陸上競技界の未来を担うホープ。