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挫折と再起、そして掴んだ世界の表彰台──宮脇花綸が挑み続けた“頭脳派”スタイルの真髄と未来 挫折と再起、そして掴んだ世界の表彰台──宮脇花綸が挑み続けた“頭脳派”スタイルの真髄と未来

挫折と再起、そして掴んだ世界の表彰台──宮脇花綸が挑み続けた“頭脳派”スタイルの真髄と未来

取材・文 永塚和志
写真 落合直哉
ヘアメイク 長谷川真美

2024年の夏、日本女子フルーレ団体チームはパリの世界大会で見事3位を獲得した。4年に1度の世界最大のスポーツの祭典において日本女子が同競技で表彰台に上ったのは、個人、団体を問わず史上初という偉業だった。そのメンバーの一人が宮脇花綸である。

5歳でフェンシングを始めた宮脇は、10代のころから国際大会で輝かしい成績を収めてきた一方で失意に沈む苦い経験もしてきた。それだけに、フランスで表彰台に上がったことに対する彼女の感慨は一層、深いものとなった。

「頭脳派フェンサー」として知られる28歳に、特別なものとなったパリ大会のことやフェンシングの魅力や普及、Team Seikoの一員としてさらなる高みを目指す今後について話を聞いた。

幾度の挫折と再起の先に ─ 世界最高峰の舞台で掴んだ表彰台

宮脇選手 写真

「光と影」ー2度の失意を乗り越え、夢を追い続けた結果、パリで念願の表彰台に立つことができた

写真 落合直哉

限られた者のみが出場のできる世界大会などで大きな成果を挙げた時、選手にその実感がすぐに湧かないというのはしばしば耳にする話ではある。

そのことは、トップフェンサーの宮脇にとっても同様だ。彼女の場合は苦節があっただけに、感慨が押し寄せるまでの時間は他の選手たちよりも長くなっていたのかもしれない。

「実際に表彰台に立ってメダルが自分の手の中にあるのを見た時には、じわじわとメダリストになったんだなあと実感しました」

2024年夏、パリで行われた世界最高峰の舞台に女子フルーレ団体の一員として出場した宮脇は、見事3位となり表彰台に上がった。2016年のリオ、2020年の東京と世界最大のスポーツの祭典への出場を逃していた。とりわけ東京大会は自国開催であっただけに是が非でも出たいと切望するものだったが、日の丸を背負うことはままならなかった。それは、彼女に引退の二文字を真剣に考えさせるほどの深い失意をもたらした。

しかし、だからこそ、パリで表彰台という成果を得ることができたのは、その最高峰の舞台を「高校生の時に真剣に目指そうと決めた」という宮脇の努力が報われる、至福の瞬間となった。

人生の大半において自身を捧げてきたフェンシングという競技を広めたいという思いも抱いてきた宮脇だが、パリでの成果はやはり大きく、自身の話により多くの人たちが関心を持ってくれ、メディアの出演や講演会などの話し手を担う機会も増えた。

また、自身が子どもの時にはフェンシングそのものの存在がよく知られていなかったという彼女にとって、競技に興味を持つ子どもの数が如実に多くなったことも愉悦を覚えることだった。

「パリ大会の直後は『フェンシングはどこでできますか?』という問い合わせをたくさんもらいましたし、フェンシング場を経営している方は体験に来る子が多くてさばききれないくらいだと言っていました。やってみようと思ってくれた子どもたちがたくさんいたのはすごく嬉しかったです」

高い戦術眼と準備力 ─ “頭脳型”を確立した日々の努力と積み重ね

宮脇選手 写真

「頭脳派」ー自身の長所を活かし、戦術で挑み、努力を重ねて世界の強者たちと戦い続けている

写真 落合直哉

子どもの頃から運動能力が特段秀でていたわけではないという宮脇にとって、フェンシングの大きな魅力は誰にでも自身の長所を活かしながら戦うことができる点だ。では、宮脇は何を長所として日本を代表するような選手になるまで力量を高めてきたのか。それは「頭脳」だ。

相手が誰かを問わずに自身のスタイルを貫く選手もいる一方で、宮脇の場合は相手の傾向などを分析しそれを頭に置いた上で戦術等を変えていく。海外選手の戦い方などをスマートフォンのメモ機能を用いつつ、国ごとのフォルダーに収めることを習慣化しているという彼女。ファンやメディアは「頭脳派フェンサー」などと呼ぶ。

そのような異名を付けられたら、こそばゆいと感じる選手もいるかもしれない。そう差し向けられると宮脇は「あはは」とおおらかに笑ってから、こう話した。

「私はフィジカル型ではないですし、運動能力が高いとか体格が大きい、スピードがあるというタイプではないので、確かに戦術を重視しています。頭脳派っていうかっこいい形容がつくのはありがたいです。私は自分のスタイルを貫くタイプというよりは、相手の裏をかくといったことが好きなタイプなので、頭脳型だというのはその通りかなと思います」

話しぶりにほとんど淀みがないところにはなるほど、「頭脳派」だということを感じさせる。

そんな宮脇には無欠な人物、選手だという印象を持つ者もいるかもしれないが、彼女にも不得手なことがないわけではない。トップアスリートにとって肝要であるはずの時間の使い方について問われた彼女は「毎日同じ時間に起きて、同じ時間に家を出る」といったことにこだわりがあると答えた。

なぜか。行動を習慣化すればある種、考えるという労力を要する作業を省くことができるからだ。聞けば宮脇は、「子どもの時からあまり思い立ってなにかやろうということは得意ではなかった」という。あらかじめ先の予定をタスクとして立てておくことで、自ずと努力を注ぐことができるからだ。

「努力ができないわけじゃなくて、自分が努力しやすい環境みたいなものを整えてあげるとある程度できるようになるので、そういうことができない自分の嫌いなところを変えていくことが、アスリートとしては大事なことだったと思います」

個人としても世界の頂点を見据えて進む未来 ─ 挑戦、普及、そして感謝を胸に

宮脇選手 写真

「より高みへ」ー次の大舞台では個人での世界王者を目指すと同時に、競技普及にもより注力したいと意気込んだ

写真 落合直哉

パリで大きな成果を得た宮脇だが、安住するつもりはなく、さらなる高みを目指す。今年6月にアジア選手権(ジャカルタ/バリ)で日本は、女子フルーレ団体5連覇を達成した。宮脇はこの大会にリザーバーとして帯同し、自身のメモを活かして対戦相手についての助言等でチームの勝利に貢献した。しかし、日本の女子フルーレがアジアの中における「一強」であることを考えれば、その結果に両手を挙げて歓喜するわけにはいかなかった。

「アジアでは一番なんですけど、そこに満足をせずにヨーロッパとかアメリカといったさらに上を目指していかなければいけないと大会でも感じました」

宮脇の視界の先にある今後の高みとは、2028年の夏、ロサンゼルスで個人種目で世界王者に輝くことである。「すごく大きな目標」だと自覚する宮脇。しかし、それを口にするのは達成が可能だと信じているからでもある。

これを達成するためには、剣のスピードを高め突き方といった技術をさらに精緻なものとしていく必要があると考えている。宮脇は防御型の選手で攻撃では前へすばやく出て剣を突きにいく「フレッシュ」を得意とするが、軽く繊細に剣を突くような技量にも取り組んでいきたいと語る。

一方でフェンシングの普及のために、ピスト外での活動にも意識を高める。セイコーでは小学生を対象とした「わくわくスポーツ教室 フェンシング編」を開催しているが、宮脇もこうしたものを通じて競技をさらに盛んなものとしたいという気持ちだ。

世界最高峰の舞台で激しくしのぎを削る立場にある宮脇だが、こうしたイベントでは子どもを含めフェンシングを純粋に楽しもうとする人たちと接することで、改めて「スポーツっていいな」と心が洗われる感触を得られるという。

「アスリートとして世界大会で優勝を争うようなところでやっていますが、スポーツの一番の良さは楽しく、みんなが笑顔になりながら、初めて会った人ともわいわい仲良くできるところだなというのはそうした体験会などで実感します」

フェンシングという個人競技において壁に当たった時など、選手が孤独を感じることもあるはずだ。パリへの舞台に立つまで苦節のあった宮脇にとってもそれは例外ではあるまい。

だからこそ、応援をしてくれる人たちに対する感謝の念は強い。最後に、宮脇からそうした人たちへのメッセージをもらった。

「パリでは表彰台を達成しましたが、新たな目標に向かって毎日切磋琢磨しています。壁や挫折なども待ち受けているかとは思いますが、それを乗り越えて皆さんの応援を力に変えて、さらなる高みへ向かって頑張っていきたいと思います。これからも応援、よろしくお願いします!」

フェンシング選手
宮脇花綸

1997年2月4日生まれ。東京都出身。5歳からフェンシングを始める。ジュニア時代から活躍し、13歳でシニアのフルーレ日本代表チーム入りを果たす。2018年中国グランプリ大会個人で、日本女子選手13年ぶりの銀メダルを獲得。同年のアジア大会では団体史上初の金メダル獲得を成し遂げるなど、それ以降の強い日本チームを作り上げてきた一員として貢献している。2024年パリ五輪の団体で銅メダルを獲得。

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