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【朝原宣治さん監修】距離設定のルーツは紀元前!黎明期の陸上競技は短距離走のみだった? 【朝原宣治さん監修】距離設定のルーツは紀元前!黎明期の陸上競技は短距離走のみだった?

【朝原宣治さん監修】距離設定のルーツは紀元前!黎明期の陸上競技は短距離走のみだった?

文 久下真以子

陸上競技の中でも、短距離走は、スピードを競うシンプルかつスリリングな種目として常に高い人気を集めています。現在、短距離走に分類されるのは100m、200m、400mの種目であり、距離ごとに異なる戦略や走り方が求められます。そうした違いも、観戦の楽しさの1つと言えるでしょう。そのルーツは紀元前776年に古代ギリシアで行われた世界最古の競技会であると考えられています。

その競技会では「スタディオン走」が開催され、スタート地点から祭壇までを走る速さが競われました。スタディオン走が現在の陸上競技の礎を築き、さまざまな種目のルーツとなったとされています。ではその世界最古の競技会では、どんな意図によって走る距離が決められたのでしょうか。陸上競技の距離設定のルーツを探ります。

現在の短距離走のベースとなったの世界最古の「スタディオン走」

世界最古の競技会で行われたのは短距離走だけだったと言い伝えられており、その種目は「スタディオン走」と呼ばれ、現在の短距離走の起源と考えられます。スタディオン走の距離は約192mで、現在の200mに近く、100mと同じく「ショートスプリント」として位置づけられる種目です。

奇しくも200mは、スタートからフィニッシュまでほぼ全力で走れるギリギリの距離であり、紀元前の時代に、科学的視点からこのような距離設定がされていたのかと驚かされます。

スタディオン走は、スタジアムのスタート地点から、神々への祈りを捧げる祭壇までを駆け抜けるという非常にシンプルな短距離種目でした。「スタディオン」という言葉は、ギリシア語の「競技場(スタジアム)」の意味であり、距離そのものを示す古代ギリシアの長さの単位でもあります。距離は「1スタディオン=約192m」とされ、これは神ゼウスの足の裏600歩分に相当し、古代の英雄ヘラクレスが測定したという神話も伝わっています。

当時のスタディオン走には、現代のように整備されたルールやマナーはありませんでした。記録によれば、選手同士が体を引っ張ったり、ぶつかって倒したりするなど妨害行為も散見されたようです。古代ギリシア人たちが勝利への執念をむき出しにして走る様子は、現代の競技にはない荒々しさを兼ね備えていたと言えるでしょう。

また、「1スタディオン」の距離は一律ではなく、開催地によって多少の違いがありました。たとえば、デルフィーでは177.35m、ネメアでは177.60m、アテネでは184.30m、デロスでは167m、エピダウロスでは181.30mと記録されています。これらの差異は、各地の競技場の構造や地形、祭礼の形式の違いなどが反映された結果と考えられています。

その中でもオリンピアで採用されていた約192.25mという距離は、古代の中でも特に権威ある大会の基準とされ、後に標準的な距離として受け継がれてきました。こうして、当時の慣習と神話的背景に基づいて設定された距離が、現代の200mの原型となったのです。

スタディオン走から派生した「ディアウロス走」「ドリコス走」

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スタディオン走によって古代ギリシアの競技会は大きな盛り上がりを見せる一方、それをきっかけに、新たな種目も次々と誕生しました。中でも現在の陸上競技の種目にもつながる種目として知られているのが、「ディアウロス走」「ドリコス走」です。

「ディアウロス走」は、スタディオン走の2倍、つまり約384m(1スタディオン≒192m×2)を走る種目であり、スタート地点から折り返して戻る往復形式だったとされています。全力疾走に加え、折り返しのターン動作も求められることから、スピードだけでなく体の柔軟性や敏捷性も試される種目でした。この距離設定が、トラックを1周する現在の400mのベースを築きました。

次に「ドリコス走」は20〜24スタディオン、すなわちおよそ4〜5kmの距離を走る中距離種目であり、現代の5000mに相当すると考えられます。スタディオン走やディアウロス走とは異なり、ドリコス走ではスピードに加え、持久力とペース配分が勝敗を左右する鍵となりました。中距離を走る中で、選手は自らのペースを見極めながら、他の競技者との駆け引きも重要だったと考えられています。

また、同じ時代には「ホプリトドロモス」という、武具を身に着けて走る種目も存在しました。こちらは軍事訓練を目的としていて、古代のスポーツが単なる娯楽ではなく、戦乱の世の中における実用的なトレーニングの様相も呈していたことを物語っています。

このように、古代最古の競技会で行われた「スタディオン走」を起源に、さまざまな種目へと派生して今日の陸上競技のベースが形作られていきました。古代の種目は「速さ」を競うものから、戦略や持久力、環境適応力までも求められる、総合的なスポーツへと発展していった歴史があるのです。

朝原宣治 写真

元陸上競技選手
朝原宣治

1993年に日本人初の10秒1台となる10秒19の当時の日本記録を樹立。初出場となった1996年アトランタ大会の100mで日本人としては28年ぶりに準決勝進出を果たした。北京大会の4×100mリレーでは、悲願の銀メダルを獲得した。現役引退後の2010年に次世代育成を目的として陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」を設立。地域貢献活動の一環でもあり、引退後も自身のキャリアを社会に生かそうとチャレンジを続けている。2024年9月に開催された全日本マスターズ選手権では、52歳で10秒93をマークするなどそのスピードは衰えることを知らない。

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