文 久下真以子
ネット越しにボールを激しく打ち合い、点数を競うバレーボール。チーム戦略に基づいた連係プレーが勝負の鍵を握るスポーツです。相手の攻撃に対するレシーブや味方にボールを託すトスといった「つなぐプレー」はもちろん、戦ううえで非常に重要なのがサーブやスパイク。個の打開力を持つスーパースターがチームにいれば、勝利の可能性は一気に高まります。そのサーブやスパイクで決定力を上げるうえで必要なファクターが、打球速度です。では、バレーボールのボールのスピードはどのくらいなのでしょうか。「打球速度」の観点から検証します。
打球速度で世界最速を記録した「スパイクサーブ」の時速とは
バレーボールの攻撃に関して、「アタック」や「スパイク」、「サーブ」といった用語について聞いたことがある人は多いでしょう。どれもバレーボールにおいて重要なプレーですが、それぞれの定義は以下の通りです。
「アタック」は、サーブとブロック以外の「相手コートにボールを打ち返すすべてのプレー」を指します。実はアンダーハンドで相手コートにボールを返すプレーや、セッターがトスと見せかけて相手コートに落とすツーアタックも「アタック」の一種なのです。アタックのうち、上から相手コートにボールを強く打ちつけるプレーを「スパイク」と呼びます。
一方、「サーブ」とは、相手コートにボールを入れる最初のプレーで、打球速度やコースを工夫すればサービスエース(相手が返せず得点になるサーブ)になり得ます。中でも脅威なのが、スパイクのような鋭い打球の「スパイクサーブ(ジャンプサーブ)」です。勢いをつけてジャンプしてボールを打つことで強烈なドライブがかかるため、コースに決まれば得点を奪える可能性が高いサーブと言えます。
また、サーブで得点を狙う場合、ジャンプフローターによる無回転で不規則に変化する「取りづらいサーブ」も驚異的です。打球スピードは重要ですが、単に速さだけを追求するのではなく、ボールの軌道変化を利用して相手のミスを誘うプレーを意識的に取り入れる選手もいます。
では、サーブとスパイクを比較すると、どちらが速いのでしょうか。シーンによってそれぞれの狙いが異なるため、単純な比較は難しいものの、より威力が出やすいのはスパイクだと考えられています。高い位置から角度をつけて下に叩きつけるので、ボールにより力が伝わりやすいからです。
ただしサーブ、特にスパイクサーブでは長く助走できるため、選手の技術や身体能力によってはスパイクと同等またはそれ以上のスピードを出せる可能性があります。サーブの世界最速記録は、なんと時速138km。ポーランドのウィングスパイカー(左右両サイドからスパイクを打つポジション)の選手が、2020年のヨーロッパ選手権でマークしました。まるで漫画のようにボールがよじれるほどの迫力のあるプレーは、見ていてワクワクしますよね。
男女のバレーボールの打球最速記録を日本と世界で比較

近年ではテレビやインターネットでの試合中継においても打球速度の速報が出るなど、サーブやスパイクなどの数字をリアルタイムで知ることができるようになりました。では、実際に国内外では、どんな打球速度の記録があるのでしょうか。もう少し詳しく検証しましょう。
サーブの世界最速は、時速138kmを記録しています。野球のピッチングでは、時速160kmなどより速いスピードが出ますが、バレーボールにおける時速138kmとはどれくらいすごいことなのでしょうか。時速138kmは秒速に換算すると約38m33。バレーボールのコートはエンドラインからセンターラインまでの距離が9mなので、相手チームのレセプション(サーブレシーブ)は0秒3ほどで反応しなければならないことを考えると、いかに速いかが想像できますね。
世界最速のサーブに次ぐスピードを記録したのは、イタリアのオポジット(セッターの対角に位置するスパイクを専門とするポジション)の選手です。2018年のバレーボール・ネーションズリーグ(VNL)で、時速134kmをマークしました。日本では時速127kmのサーブが最速であり、今後は時速130km台の超高速サーブを打てる選手の出現が期待されています。
一方、女子に目を向けると、トルコのオポジットの選手がスパイクで時速121km、サーブで時速102kmを叩き出しています。日本人女子のサーブの最高時速は95kmであり、今後は大台の時速100kmに到達する選手が出てくるのでしょうか。バレーボール観戦の楽しみの1つとして、サーブやスパイクの打球速度にもぜひ注目してみてください。

元バレーボール選手
荒木絵里香(あらき・えりか)
岡山県出身の元バレーボール選手。186cmの長身を生かしてミドルブロッカーとして活躍。成徳学園(現・下北沢成徳)時代には高校3冠を達成した。日本代表としては、2008年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロ、21年東京と4大会連続で世界の大舞台で活躍。ロンドン大会では主将として銅メダルに輝いた。2014年第一子出産後、競技復帰を果たし、東京大会を最後に選手生活を引退。現在はSVリーグ・クインシーズ刈谷のチームコーディネーターを務めている。