文 大西マリコ
写真 落合直哉
萱和磨は、体操選手としての時間の使い方や正確性、スケジュール管理に人一倍のこだわりを持っている男だ。ミスを許さない完璧主義な姿勢から「熱くて冷静」「失敗しない男」として知られているが、そうしたスタンスの裏側にはストイックな時間管理があった。
24時間──1日の時間は誰にとっても平等なだけに、時間の使い方が非常に重要だ。萱は朝起きる時間から就寝時間、そして練習メニューの一つ一つまで、すべてを分刻みで計画立てている。高校時代の恩師との出会いから、競技者として、さらには奥さんと過ごすオフなど、多くの人と関わる時間の中でどんなことを考えているのだろうか。萱の“時間哲学”と体操への飽くなき探究心について迫った。
“完璧”を追求する競技者・萱和磨の時間

徹底的な練習や時間へのこだわりから「失敗しない男」の異名が名づけられている
写真 落合直哉
萱選手は「熱くて冷静」「失敗しない男」などと呼ばれることが多いですが、ご自身ではどのように受け止めていますか?
「失敗しない男」と言われて、とんでもないあだ名をつけられたなと思っています(笑)。でもその呼び名が自分の強みとして認識されているのでありがたいです。そして、「失敗しないこと」が、今の日本の体操界に必要とされる安定感にもつながるかなと感じています。練習でもミスをしない安定感については、常に意識して取り組んでいますね。

ミスのない美しい演技やその安定感は、萱の時間管理の賜物でもある
写真 落合直哉
体操において安定感を高めるためにどんなことを意識していますか?
僕のとても細かい性格は、体操にも大きく影響していると思います。時間の使い方に関してはもちろん、毎日の練習メニューもほぼ自分で決めています。前日に練習でミスをしたら、翌日にミスを修正する内容に変更するといった具合です。生活面では、朝起きる時間から食事の時間、風呂に入る時間、寝る時間まで全部細かに決めています。試合前なども、バスの時間に合わせてホテルを何時に出るなど、分単位で細かくメモしていますね。
その細かさは体操選手の中では珍しいタイプですか?
かなり珍しいほうだと思います。自分のように時間を分単位で管理している人を他で見たことがないですね。体操は演技を磨く競技なので、きっちり自己管理をしている選手はたくさんいますが、アバウトな性格の選手のほうが多い印象を抱いています。また、社会人になってからは、学生時代と比べて時間的な制約もあるため、“練習の質”がより重要になってきました。体操では意味のない動きをするとケガにつながりやすいので、練習でもなるべく決まったルーティーンを徹底しています。
練習中はどのようなことを意識されているのでしょうか?
体操は技の組み合わせや演技方法が複数あり、非常に頭を使う競技です。演じ方や状況に合わせて体の動きを正しく使い分ける必要があります。僕は「体が勝手に動く」という表現があまり好きではなく、むしろ「なぜその動きができたのか」をきちんと言語化することが、技の安定性やケガの防止につながると考えています。
例えば、勉強を友達に教えることで自分の理解も深まるように、技についても「こういう方法でやっているんだよ」と他者に説明することで、より習熟度が増します。そのため、練習中は体の動きを言語化できるように、頭の中で黒板に板書しながら演技するようなイメージです。

萱のスケジュールのメモ。翌日の動きを想定した分単位のスケジュールで、競技者としての萱和磨を管理している
萱選手の競技人生でターニングポイントとなった出来事は何でしょうか?
高校時代に指導いただいた大竹秀一監督(現市立船橋高校体操部監督)との出会いが自分に大きな影響を及ぼしました。面白いことに、練習をしていて大竹監督から怒られたことは一回もありませんでした。むしろ練習のやり過ぎを止められるくらいでしたね。自分の練習を尊重してくれる指導者で、将来的に世界で活躍する選手になれるよう、正しい方向に導いてくれたことを覚えています。
具体的にどのような指導をされていたのですか?
大竹監督は特徴的な指導をされる方でした。例えば、上手い人の演技動画を送ってきて「こうやってやるんだよ」と教えてくれました。でも、それだけじゃなくて「俺はこう思うけど、この選手はこうやっているよ」というように、一つの技に対して複数の演じ方を提示してくれました。複数の方法から、自分の体型や特徴に合った演技方法を選べるように導いてくれたことが大きかったですね。
その指導のおかげか、高校2年生の頃から結果が出始めて、国際ジュニア大会や全国選抜大会で優勝を果たしました。その頃に、大竹監督から「日本に必要とされる選手になりなさい」と言われ、世界で活躍する夢が具体的な目標に変わりました。今でも時々、練習の際に大竹監督が様子見と見学のために高校生を連れて来てくださり、その際に新たな知見を得られるのでとても感謝しています。

原動力は、何かに挑戦して達成できたときの「楽しさ」だと語る萱
写真 落合直哉
体操選手として、特に大切にされていることはありますか?
「楽しい」という感覚が、僕にとっての原点であり、もっとも大切な気持ちです。体操の技の難度は常に高まっていますし、僕自身の演技構成の難度も高くなっていて、一つの技の習得に半年や時には3~4年かかるケースもあります。だからこそ、難しい技を決めた瞬間は、子どもの頃に初めてバク転ができた際の喜びと変わらない嬉しさを感じるんですよね。心の底から「楽しい」と思えます。今では、その苦労した技や演技構成を試合で成功させる喜び、そして結果に結びつく喜びと、楽しみ方は進化しましたが、その根本にある楽しむ気持ちは変わっていないと思います。
“継続すること”に関しては、得意なのでしょうか?
物事を決める時にはとても慎重になりますが、一度決めたことをやり抜く「継続性」には、かなりの自信があります。例えば、一度見始めたドラマは、途中で面白くなくなってもシーズンが5つあろうが絶対に最後まで見続けます(笑)。体操においても同じで、決めた練習メニューは必ずやり遂げるのは僕の信条ですね。ただ、年を重ねる中で、同じことを続けるのではなく、日々の反省を活かしながら柔軟に調整する大切さも学びました。そういった判断力は身につきましたが、決めたことをやり遂げるという軸は変わっていません。
競技外の時間から見る萱和磨の素顔

徹底した時間管理を行う競技生活とは異なり、休日は趣味や自由な時間を楽しんでいると語る萱
写真 落合直哉
練習では徹底的な時間管理をされている一方、オフの時間の使い方はいかがでしょうか?
オフの日はむしろルーティーンを作らないようにしています。結婚しているので、ショッピングに行ったり、サウナに行ったりと、妻のやりたいことに合わせることがほとんどですね。また、普段は毎日同じ食事(納豆ごはんと味噌汁)なのですが、土曜の夜だけは、焼肉やお寿司、ピザを食べるなどメリハリをつけています。特別な日を作ることで、むしろ平日の集中力も高められている気がします。
サウナがご趣味なんですね。
はい、妻も好きで、休日はよく一緒にサウナに行きます。水風呂にも浸かり、1時間半〜2時間かけて3セットほどじっくりと楽しんでいます。コンディショニングにも良いですが、どちらかというと純粋な趣味に近い感覚です。一つのサウナに通うのではなく、いろいろなサウナを巡っていて、海外で入ることもあります。大会期間中もサウナに行きました。その際に各国の選手やコーチ、ドクターとコミュニケーションを取れたのは良い思い出です。
その国際交流を支えている英語力は、どのように身につけられたのでしょうか?
コロナ禍をきっかけに、本格的に英語勉強を始めました。最初は、中学英語の教材を買って単語や発音記号の勉強など基礎から始め、毎日25分のオンライン英会話を続けています。「英語が話せた」という発見や達成感が、体操の技ができた時の喜びに似ているのかもしれません。実は、大会当日にもオンライン英会話のレッスンを受けていて、先生に驚かれたことがあります(笑)。今では日常会話は普通にできるようになり、最近は英検に向けて勉強するなど、新しい目標も設定しています。
体操界の“今”を伝える未来へつなぐ時間

体操教室やファンイベントへの出演で、体操の普及に向け精力的に活動している
写真 落合直哉
萱選手はファンイベント「GYM FUN!」など、体操の普及活動にも力を入れていますね。
僕が体操に興味を持ったのは、子どもの頃のテレビ観戦がきっかけでした。だからこそ、今度は体操選手として発信する側になり、誰かに夢を与えられたらと思っています。競技会場では競技性やアクロバティックな部分を見せ、ファンイベントでは普段見せない素顔を通して親近感を持ってもらえるように振る舞っています。そうすることで、さまざまな視点から体操の魅力を伝えていきたいです。
最近は体操界全体で、ファンとの距離が近くなっている印象があります。
そうですね。これまで体操競技は露出が少なかった印象ですが、今はSNSなどいろいろな媒体で情報発信ができます。僕たちが出演している「GYM FUN!」だけでなく、他の選手もさまざまな活動をしています。小さな積み重ねかもしれませんが、それが体操界全体にとってプラスになると信じています。実際、ファンの生の声を直接聞けることは、僕たち選手にとっても非常に励みになっています。
母校の習志野高校での指導など、次世代育成にも関わっていらっしゃいますね。
高校生という時期は、大学進学や部活動の継続など、さまざまな選択を迫られる多感で難しい時期です。そんな中で僕がもっとも伝えたいのは、「本当に楽しいと思えること」を見つける大切さです。それは必ずしも体操である必要はありません。ただ、自らが納得して取り組めることを見つけられれば、そこから結果も生まれるし、本当のやりがいも感じられるはずです。僕自身がスポーツを通してそれを学びましたが、この考えは他のどんな分野でも同じだと考えています。

萱は指導する立場も経験しつつ、現役選手としてできることに全力で打ち込んでいる
写真 落合直哉
指導する立場になって、気づいたことはありますか?
競技者と指導者では、まったく異なる視点が必要だと実感しています。普段の練習では頭の中に自分の動きしかなく、「どう動こうか」「この技をどう決めようか」とすべてが自分起点です。しかし、指導する立場では相手の視点に立たなければなりません。相手の体型を見て、「この選手がこの技をこのやり方でやったらどうなるだろう」と常に相手視点でイメージを組み立てる必要があります。
また、世代によって指導のアプローチは変えていますが、共通して大切にしているのは一度にたくさんのことを教えないことです。例えば、小学生には「このラインから出ないでね」というシンプルな指示に留めて、自由に体操を楽しんでもらっています。高校生には一つの技に対して複数の演技方を示し、自分に合った技術を選べるように伝えています。まだ指導経験は浅く試行錯誤の段階ですが、これまでの断片的な経験からも多くの気づきを得ています。
最後に、応援してくれるファンの方へメッセージをお願いします!
4年後に再び世界の頂点に立てるように、現役選手として頑張っています。ただ、それと同時に現役だからこそできる体操の普及や、次世代への継承も大切にしていきます。今後もいろいろなことにチャレンジするので、ぜひ応援していただけたら嬉しいです!

体操競技選手
萱和磨
1996年11月19日生まれ、千葉県出身。幼少期にテレビで見た体操競技に魅了され、体操を始める。高校3年時に全国高校体操選抜大会個人総合で優勝を果たし、頭角を現す。2015年には、世界選手権で日本代表入りし、団体金メダル獲得に貢献すると共に、個人でも種目別あん馬で銅メダルを獲得。2024年のパリでは、団体総合の主将としてチームを牽引し、金メダルに輝く。趣味は、サウナ・ショッピング・英会話・旅行。