SEIKO  HEART BEAT Magazine スポーツを通して人生の時を豊かに

文 久下真以子
写真 樋口勇一郎
ヘアメイク 長谷川真美

セイコーグループ社員が快挙を成し遂げた。グループ会社社員の畠山直久選手が、2022年6月のパラクライミング・ワールドカップ(W杯)インスブルック大会(オーストリア)に50歳で初出場。AL1クラス(下肢機能障がい)で5位に入賞した。競技開始4年で果たした世界のトップクライマーの仲間入り。成長著しい50歳のさらなる活躍が期待される。

そんな畠山選手がレジェンドとの初対面の機会を得た。その相手は“クライミング界の女王”こと野口啓代さん。W杯年間総合優勝4回、通算優勝21勝の圧倒的な実績を誇り、東京で開催された世界の大舞台では3位と有終の美を飾って現役を退いた。現在はメディア出演などを通してクライミングの普及活動を精力的に行っている。

同じクライミングを極める者同士でありながら、種目の違いからこれまで接する機会がなかった2人のトップクライマー。今回は互いの“クライミング観”とユニバーサルな競技性について余すところなく語ってもらった。

お互いが驚き?それぞれのクライミングのトレーニング法

野口さん写真

野口さんの特徴は指先の強さ。特にホールドの保持力については畠山選手も舌を巻く

2人が実際に話をしたのは、今回が初めてになりますね。

畠山:そうですね。野口さんの活躍はいつもテレビで拝見していましたが、「すごい!」の一言です。指先の強さやホールドをつかむ保持力のレベルが全然違います。壁に吸いついているんじゃないかと思うくらいですよね。パラクライミングの仲間内とも野口さんの活躍は常々話していて、パラクライミングももっと注目されるように頑張ろうと奮起するきっかけになっています。

野口:海外で開催されるスポーツクライミングの世界大会の場合は、パラクライミングと同会場で行われることもあります。でも日本だとあまり一緒になる機会がないんですよね。クライミングでは毎年開催されるW杯に加えて世界選手権が2年に一度開催されますが、2019年の世界選手権八王子大会では会場が一緒ではなかったんですよね。

私が最後にパラクライミングを間近で観戦したのは2016年のパリ大会の時です。自分の種目がない日には、パラの日本チームの応援に行っていました。下肢障がいの選手が上半身だけで登ったり、ブラインドの選手が指示をもらいながら登ったりする姿は本当に感動します。

畠山選手はあおばウオッチサービスで時計修理者として働いていて、職場から家まで11kmの距離を車いすで帰ることもあるんですよね。また、ご自身のInstagramには、階段を1人で上り下りしたり、急な坂をノンストップで上ったりする映像がたくさん公開されています。

野口:えーすごい!こんな坂道、手を離したら落ちてしまいますよね。

畠山:落ちてしまいますね(笑)。これはトレーニングの一環ではなく、パフォーマンスとしてやっているんです。もともと障がいを負う前は、産業廃棄物の鉄板を切って運ぶ力仕事をしていたので、腕力には自信があるんですよ。トレーニングに関しては車いすで走りながら、「あの信号が青のうちに渡ろう」とか、近くを自転車で走っている人と競り合うとか、ここはキャスターを上げて移動してみようとかしています。生活の中での一コマを楽しみながら、工夫しながらトレーニングするのが好きなんですよ。

野口:普段お仕事されている中で、仕事後とか週末にトレーニングをして、試合に臨んでいるんですよね。それでW杯にも出場したのはものすごいことですね。

畠山:有給休暇はほとんどなくなりました(笑)。

野口さん畠山選手対談の様子

鉄人・畠山選手とレジェンド・野口さんの初対面は笑顔が絶えない対談となった

写真 樋口勇一郎

畠山選手は、野口さんの競技映像を見て参考になるところはありましたか。

畠山:やっぱり指や前腕の使い方ですね。フィンガーボード(壁に取りつけるトレーニング用ボード)でトレーニングしている姿を見たんですけど、ボードがすごく薄くて驚きました。

野口:やっぱり上半身に注目するんですね!市販で売られているものだと薄いもので4ミリとか6ミリですね。その薄いボードに指をかけてぶら下がって懸垂したりする人もいます。

畠山:普通じゃない……鬼のようだ……(笑)。私たちは手しか使わないから、そういうトレーニングはほとんどしないんですよ。特に大会1ヶ月前は、痛めてしまわないように気をつけています。

野口:お仕事でも手を使うから、ケガをしたら大変ですよね。

野口さんから見て、下肢障がいのクライミングについて気になることはありますか?

野口:想像でしかないんですけど、私たちの場合はトレーニングを上半身と下半身で分けたり、弱点を補強する時期を作ったりと分散できます。でも下肢障がいの選手はそれが分散できないですよね。日常でも競技でも上半身を使い続けているので、単純にその疲労回復などはどうしているのかなと思います。

畠山:上半身だけなので、足を使える人と同じペースでは登れないですよね。

野口:私たちもキャンパシング(腕の力だけで登ること)でしかトレーニングできないと言われたら、すぐ疲労が溜まってしまうと思います。本当に上半身だけで登るのはすごいことなんですよ。

それぞれが初めて世界の舞台を経験した「時」の思い出

野口さん写真

引退から1年を迎えた野口さん。クライミングには引き続き関わるものも現役時代とは生活が一変したという

写真 樋口勇一郎

野口さんが2021年に世界の大舞台で3位に輝き、引退されてからもう1年が経ちます。

野口:あっという間の1年でしたし、いろいろ自分自身の変化のあった年でしたね。まだ1年しか経ってないのかという気持ちにもなります。クライミング自体は今でも楽しく続けていますが、1週間や1ヶ月のスケジュールの立て方がガラッと変わりましたね。これまでは試合に向けて規則正しく過ごしていましたが、今は仕事で初めて行く場所があったり、深夜にワールドカップの解説があったりと現役選手とは違う生活リズムになりました。

初めて経験した世界の舞台のことは覚えていますか。

野口:覚えていますね。ミュンヘンで行われた世界選手権に16歳で出場しました。周りに知っている人なんて誰もいなくて、右も左もわからずな状態のまま、目の前の課題に集中して……という感じでした。でもものすごく楽しくて、自分の頑張りが結果につながったことが嬉しかったんですよ。そこから世界の舞台で優勝したいと思うようになりました。

畠山:すごいですよね、10代から世界を経験できるのは。昨年までずっと世界のトップクライマーの1人であり続けましたし。

野口:私はむしろ、自分が50歳で初めてW杯に出るほうが想像できないですね!年齢を重ねても挑戦し続ける意欲に関して、本当に尊敬します。

畠山選手写真

50歳になっても伸びしろしかないと語る畠山選手。その可能性は無限大だ

写真 樋口勇一郎

畠山選手は初めて出場したW杯はいかがでしたか。

畠山:もっと年齢が上の選手もいますけど、50代の選手はあまりいなかったと思います。ただ、自分の中では、年齢という概念があまりないんですよ。健常者の時は30代なのに肉体年齢を計測したら16歳だったので!

野口:16歳!?すごすぎますね……。

畠山:自分が10代や20代の時は、50代なんてもっと“オジサン”のイメージでしたけど、こんなにも楽しく毎日を生き生きと過ごせるなんて思いもしませんでしたよ。実際、若い子たちにはオジサンと思われているでしょうが、50代でも楽しい人生を送っている人がいることを見せていきたいですね。まだまだ伸びしろしかありません!

野口:私の父が今58歳になるんですけど、最近またクライミングを再開しました。畠山さんや父を見ていると、自分もそういった年代になっても楽しくクライミングをやっていたいなと思いますし、何歳になっても年齢を言い訳にせずに挑戦することに対して勇気をもらえますね。

野口さんのクライミングシューズ

1年で何足も履きつぶすという野口さんのクライミングシューズ。リソールはしない派とのことだ

写真 樋口勇一郎

今日は2人に道具を持ってきてもらっています。見せていただけますか?

野口:私はシューズです。クライミングをやっていると、年間に何足も履きつぶすのが一般的ですね。特につま先が消耗するのですが、私は感覚が変わってしまうのが嫌なので、リソール(クライミングシューズの底の張替え)はしない派ですね。課題によってシューズを変える人もいますが、私は決めたシューズ1足で課題も挑むスタイルです。

畠山:私はハーネスを持ってきました。これは2代目です。自分はおへそから下の筋肉を使わないのでどんどん下半身が細くなっていくので、大腿部のバンドがゆるゆるなんですよ。クライミングの道具はほとんど市販なんですけど、もっと締まるハーネスはないか探しています。

畠山選手のハーネスとグローブ

W杯で使用したハーネスとグローブを紹介してくれた畠山選手。チョークアップには独自のルーティーンがある

写真 樋口勇一郎

畠山選手には、グローブも持ってきていただきましたが、どんなシーンで使うのでしょうか?

畠山:普通のグローブですが、チョークアップ(手にチョークをつけること)してから車いすを漕いで壁の前に移動すると、車いすにチョークがついちゃうんですよ。だからチョークのついた手をカバーするためにつけています。壁の前についてからチョークアップをする人が多いですけど、自分の場合はそうすると気持ちにゆとりが持てないんですよね。だから事前にチョークをつけるようにしています。

野口:それは驚きです!私は反対に壁の前でチョークアップしないと、気持ちを整えられないんですよね。クライミングには競技がスタートする前に40秒のオブザベーションタイム(下見時間)があります。私はチョークアップしながら登るルートを確認して40秒間を過ごすことで、集中力を上げるスタイルですね。人それぞれ、試合の入り方に違いがあるのは面白いですね。

壁があるから越えたい――人生にも通じるクライミング論

野口さん畠山選手対談の様子

種目は違えど、クライミングをもっと普及させたいというのは2人の共通の想いだ

写真 樋口勇一郎

野口さんは今後、どのようにクライミングに関わっていきたいですか?

野口:クライミングをもっともっと普及させたいと思っているので、メディア活動などを通してアスリートの活躍を届け続けていきたいです。あとは今後自分で大会を開催したり、後進の育成をするアカデミーに携わったりするなど多くのチャレンジをして、クライミングをメジャーなスポーツにしていきたいですね。

畠山:「野口啓代カップ」が開催されたら素敵ですね!ぜひ、野口さん主催の大会にはパラ部門も入れてくださいよ。健常もパラも一緒に同じ会場で試合ができたら嬉しいですね。

野口:ぜひ!先ほども少し触れましたが、日本ではクライミングとパラクライミングで会場や日程が違うなど、お互いに交流したり、切磋琢磨したりする機会が少ないんですよね。ヨーロッパのように同じ会場、同じ日程でのクライミング大会の開催は実現していきたいです!

野口さん畠山選手対談の様子

トップクライマーの2人は、種目の垣根を越えて共にクライミングを楽しめる未来を強く願っている

写真 樋口勇一郎

スポーツクライミングは世界の大舞台の正式競技です。パラクライミングも同様に正式競技入りを果たしたいところですね。

畠山:競技人口も知名度ももっと上げていかなければいけないですね。ニワトリが先か卵が先かという話ですけど、頑張っていきたいですね。可能性があるとしたら、最短で正式競技入りを目指せるのは2028年のロザンゼルス。56歳での出場、どうですかね。

野口:実現したら、かっこよすぎますよ!

畠山:まずは日本代表入りを続けて、2023年の世界選手権(スイス・ベルン)でメダルを獲るのが今の目標です。今回のW杯では、プレッシャーで気持ちが重くなっていたので、「楽しむこと」を意識してしっかりまたやっていきたいと思っています。

野口:本当に気持ちが分かります。私もプロとして競技に向き合っていたので、楽しいだけではやっていけない面や、成績を残さないといけないプレッシャーは常にありました。でも楽しいからこそ、辛くても頑張れるんですよね。

青空の下向かい合う野口さん畠山選手

クライミングというユニバーサルな競技において、今後も切磋琢磨し合うことを誓った畠山選手と野口さん

写真 樋口勇一郎

2人の話を聞いていて、クライミングは年齢や性別、障がいなど関係なくみんなで楽しめるユニバーサルなスポーツなんだなと改めて感じました。

野口:健常のクライミングもパラクライミングも切磋琢磨できる関係性になれたら素敵ですよね。私自身、東京の世界の大舞台の招致活動に携わらせてもらいましたが、正式競技になる喜びはひとしおでした。パラクライミングもロスに向けて正式競技化ができればと思います。

畠山:自分は事故で11年前に障がいを負いましたが、健常者であっても生まれつきの障がい者であっても、中途障がいでも、何かを成し遂げることは本当に素晴らしいことなんです。車いすでクライミングしていたら目立ちますしね(笑)。

「幸せは自分の心が決める」という言葉がありますけど本当にその通りだと思います。だって段差も壁もない、ただただ平坦な人生なんてつまらないじゃないですか。壁があるからこそ「越えたい、登り切ってみせたい」と思えるものです。クライミングはそういう向上心を掻き立ててくれて、前向きな気持ちにさせてくれます。健常者、障がい者関係なく、誰もが自分なりに楽しめる素晴らしいスポーツなんですよね。

野口啓代

スポーツクライミング選手
野口啓代

1989年5月30日生まれ。小学5年生の時に家族旅行先のグアムでフリークライミングに出会う。翌年行われた全日本ユース選手権で優勝し、瞬く間に頭角を現す。その後も国内外の大会で輝かしい成績を残し、2008年には日本人女性としてワールドカップ ボルダリング種目で初優勝。W杯年間総合優勝4回、通算優勝21勝の実績を誇る。2021年の東京五輪では銅メダルを獲得し、現役を引退した。


畠山直久

パラクライミング選手
畠山直久

1972年5月31日生まれ。セイコーグループの障がい者雇用特例子会社「あおばウオッチサービス」で時計修理技能士として勤務しながら、パラクライミングで世界を舞台に活躍するクライマー。39歳の時に仕事中の事故で脊髄を損傷し、車いす生活になる。いくつかのパラスポーツを経験して、2018年にパラクライミングに出会い、2022年に50歳にして初のW杯出場を果たした。「生涯現役」を掲げて日々研鑽を積んでいる。


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