SEIKO  HEART BEAT Magazine スポーツを通して人生の時を豊かに

文 久下真以子

マラソンシーズンの風物詩であり、早春を感じさせる一大イベント「東京マラソン2021」が、3月6日に開催される。ニューヨークシティマラソンやロンドンマラソンと並んで、世界でも有数の規模と知名度を誇る6つの主要大会「アボット・ワールドマラソンメジャーズ(AbbottWMM)」の1つで、コロナ禍以前の2019大会では実に約3万8千人が参加(2020大会はエリートランナーのみ)。市民ランナーが楽みながら走れる大会として、世界にも誇る規模にまで成長してきた。また、車いすの部があることに加え、ジュニア&ユース・視覚障害者・知的障害者・移植者・車いすの各男子・女子が参加できる10km(10.7km)レースも存在するなど、「日本随一のユニバーサルな大会」としても知られている。

そんな首都が賑わう東京マラソンを語るうえで、2人のキーパーソンがいる。大会の仕掛け人となったレースディレクターの早野忠昭氏と、第2回東京マラソンから9連覇を果たした車いすマラソンの土田和歌子選手だ。今回の対談では、「運営側と選手側という2つの視点」で大会が辿ってきた歴史や思い描くマラソン像について聞いた。

東京マラソンが人々に愛される大会になったワケ

早野忠昭氏 画像

レースディレクターとして東京マラソンへの想いを語る早野氏

東京マラソンが生まれたきっかけについて教えてください。

早野:きっかけは、故・石原慎太郎元東京都知事の「ニューヨークやロンドンには市民のマラソン大会があるのに、なんで東京にはエリートのレースしかないんだ?」という一言だったと思います。私はマラソン指導者の故・小出義雄氏とも親交があったのですが、小出さんを通じても石原さんの思いを何度も聞いていました。お二人は相当熱い想いを胸に秘めていましたね。6つのメジャー大会というよりは、東京・ロンドン・ニューヨークの3大大会にしたいという構想を語っていたころを懐かしく思います。

土田:私が知る限りですけども、それまでは車いすマラソンといえば車いす単体の大会が主でしたね。車いすランナーも参加できる東京マラソンのような大規模な大会が誕生するとは思いもよらなかったですし、障害の有無を問わずに同じ大会で走れることに大きな喜びを感じましたね。

東京マラソンのおかげで、一般の方にとってもランニングが本当に身近になりましたよね。

早野:私が作った言葉になりますが、「フュージョンランニング(Fusion Running)」という考え方を大切にしています。英語で「Fuse anything you like into Running」。何でもいいから自分の好きなものをランニングに融合させるという意味です。

たとえば、犬が好きだったら毎朝犬と走ってもいいし、ビールが好きだったら走った後のご褒美にしてもいい。そうした楽しみやきっかけをプラスすることで、走ることに対する敷居がどんどん低くなっていくと考えています。マーケティングの観点でも、実際に音楽やビールを扱う企業とタイアップすることによって、大会が成長してきたという背景もあります。

「走るのは健康にいい」。そんなことはみなさん分かっているのですが、忙しい日々の中で朝早く起きて走って、それからシャワーを浴びて会社に行くのはなかなか難しいことですよね。でも、今後の日本において「健康」というキーは絶対に外せないし、「ランニングが生活の一部となった世界」を実現したいとずっと考えていたんですよ。

土田和歌子選手 画像

9連覇を成し遂げた土田選手は、東京マラソンのような大会があることの喜びを噛みしめている

「ダイバーシティ」が東京マラソンの特徴だと思いますが、どのように構想を練ったのでしょうか。

早野:石原さんもニューヨークに視察に行くなど精力的でしたが、やはり海外の大会をモデルにしていましたね。当時、国内のマラソン大会はエリートランナー向けのものであり、市民ランナーが参加できても車いすの部はありませんでした。私たちがコンセプトに掲げたのは、「走る喜び」だけではなく、「支える誇り」「応援する楽しみ」も分かち合うことです。ランナーはもちろん、ボランティアや観客などさまざまな立場の人がみんないるという意味で、障害という視野を超えた「ダイバーシティ」を目指すことにしました。

土田:車いすマラソン自体の認知度も、ここ10年ほどですごく上がったと感じています。以前だったら、たとえば、講演先で子どもたちに「車いすマラソンを知っている人はいますか?」と聞いてもほぼ手が上がらなかったんですよね。でも、東京マラソンがブランド化されて、メディアで大きく中継され、国際的な選手たちが招聘されることによって、多くの人の目に触れるようになりました。今では「車いすってすごくスピードが速いよね」という子どもたちの声が耳に入るようになってきたくらいです。

走ることが、「誰かのため」「社会のため」になる

早野忠昭氏 画像

走ることでできる社会貢献。「Run for something」の体現を重視する早野氏

東京マラソンには、1口10万円以上を寄附してエントリーする「チャリティランナー」という参加方法があります。

早野:前回大会では寄附金はじめチャリティランナーで7億2000万円を超える金額が集まりました。何に使われているかというと、難病の子どもたちや世界の難民、障害者スポーツ協会などさまざまな団体に寄附されています。しかも、寄附先は自分で選択できるんですよ。たとえば、困っている子どもたちに寄附をしたら、その子どもたちの想いを背負って走ることになるし、走ることで社会貢献ができる。「Run for something」の体現がここにあるんですよね。

以前、集まったお金で寄附した子ども用のレーサー(競技用車いす)を触ってもらうというイベントを開催したのですが、普段車いすに乗って生活している子どもたちが「かっこいい!」「早く私にも代わって!」と言ってすごく楽しんでくれている光景を目の当たりにしました。「スポーツは素晴らしい」と改めて感じてすごく涙が溢れました。そうした社会貢献をミッションとして、私たちはこれからもやっていかなければならないと感じましたね。

車いすマラソン 画像

選手が使用するレーサーは非常に高価なだけに、貸し出しなどの制度が広がるとより門戸は開かれる

車いすの部に参加している人の中には、土田さんをはじめとしたパラリンピアンだけでなく、車いすの市民ランナーもいると思います。車いすマラソンを始めるにあたって、レーサーの調達はハードルが高いと聞いたこともあります。

土田:レーサーは個人所有のものであり、非常に高価です。そのため、選手自身が強くなってスポンサードされていないとなかなか手に入れづらいのが現状ではあります。「景品でレーサーがもらえる」というモチベーションが上がる大会も過去にはあったんですけど、最近はなかなかそういう大会はないですね。

ただ、自分のレーサーじゃなくても出場すること自体はできます。私も初めて出場した大分国際車いすマラソンは、先輩にレーサーを借りてエントリーしたんですよ。そこでマラソンに魅力を感じて、お金をためて「自分のレーサーを買いたい」という気持ちになったのを覚えています。そういった意味では、東京マラソンも「車いすの方にとってもっと気軽にチャレンジできる環境が整えば」とも思いますね。

早野:今の土田さんのお話を聞いて思ったんですけども、車いすの子どもたちが出てみたいレースに寄附金などのお金を回したり、東京マラソンで貸し出しができるようにレーサーを何台かそろえたりするのはいいアイデアなのではないかと感じました。土田さん、一緒に企画しませんか?

土田:すごくいい企画!ありがたいです。たくさん手が上がりそうじゃないですか。なんだかワクワクしますね。

東京マラソンを健常者・障害者が分け隔てなく1つになるきっかけに

車いすマラソン 画像

石原元都知事がかつて夢見た「東京マラソンを世界一にする」という構想は、大会を経ることに実現に近づいている

写真 フォート・キシモト

東京マラソンに対して今後思い描いている計画や構想はありますか。

早野:いろいろな意味で東京マラソンを「世界一にしたい」です。もちろん、トップランナーたちの世界記録や日本記録を生み出すのも1つのミッション。同時に、一般の方が走るきっかけとなる大会にしたいですね。以前、東京マラソンの企画で女優の室井滋さんと対談したことがあるんですよ。室井さんは中学で陸上部でしたが、マラソンは未経験。「私でいいんですか?普通のおばちゃんですけどいいんですか?」と何度も聞かれました。でも、大変失礼ですけど、「普通のおばちゃんがマラソンに挑戦するためにはどうすればいいか」という内容の話がしたかったんですよね。

そしたら室井さん、対談のオファーがきっかけで走り始めるようになったらしいんですよ。「走っているとセリフも覚えやすいし、朝も気持ちよく起きられるようになった」と話していて、「まさにこういうことだ!」と思いましたね。障害者と健常者という分け方ではなくて、健常者の中にもいろんな人がいる。誰かが走るきっかけになりたいし、広げなきゃいけないのはそこだと思っています。

土田:確かに障害の有無みたいなところで振り分けられてしまうというのは多くあったんですけれども、健常者にもいろんな人がいるように、障害者にもいろんな人がいる。そういう意味で、それが1つになることは考え方としてすごく素晴らしいですよね。自分もその一員としてやれるのは、すごく選手としてもやりがいがあります。

車いすマラソン 画像

前人未到の東京マラソン10度目の優勝を目指す土田選手。一番にフィニッシュする姿がまた見られるのか

写真 フォート・キシモト

土田さんは、東京マラソンで10回目の優勝が期待されますね。

土田:それは選手ですから、優勝は当然狙っています。今の力を出し切ることと、先を見据えた走りをしたいと思っています。昨夏の東京での世界の大舞台では、車いすマラソンとトライアスロンの日本代表として出場しましたが、やっぱりマラソンに特化してやりたいという気持ちが芽生えて、次のパリを目指す決意をしたんですよ。

私にとっては出場条件をクリアする過程において、東京マラソンがとても重要な大会だと思っています。あと2年半ですが、しっかり取り組んでいきたいです。

早野:土田さん、期待していますよ。

土田:ありがとうございます。競技レベルが上がって以前とは状況が変わってきているので、私は常に挑戦者だと感じています。でも東京マラソンのコースは綺麗ですし、道幅もあるので見通しよくて走りやすいんですよね。だから走るのがすごく楽しみです。海外のレースだと、アスファルトが粗くて非常に難しい部分があるのですが、東京はストレスなく走れるというのが醍醐味かなと思いますね。

東京マラソンの仕掛け人と選手、双方の目線でのご意見は本当に貴重でした。

早野:東京マラソンは10月に「レガシーハーフ」というハーフマラソンを開催します。 そこにも車いすの部がありますので、土田さんとはどんどんいろんな話を相談させていただきたいですね。「東京マラソンは楽しいよね」「練習はしんどいけど、終わった後のビールが楽しみ」という会話が広がる世界に、これからも挑戦していきたいと思います。

土田:早野さんは、「ランナーの夢を形にしてくださる方」だと改めて感じました。選手目線で一緒にお話させていただけるのはすごくありがたいですし、みんなが1つになる世界を目指して、私も頑張っていきたいと思います。

3月6日を「もう一度、東京がひとつになる日。」に――。
多くの方々の支援と想いによって、「東京マラソン2021」が開催されます。セイコーは「東京マラソン2021」のオフィシャルタイマーです。

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