文 C-NAPS編集部
技説明 沢田聡子
イラスト 森彰子
インタビュアー 久下真以子
写真 フォート・キシモト
近年のフィギュアスケートでは多くのトップ選手が4回転ジャンプを跳ぶなど、高難度化が進んでいます。もちろん、美しく、力強いジャンプは高得点を目指すうえで欠かせませんが、それだけでは勝てないのもまたフィギュアスケートの特徴と言えます。なぜならフィギュアスケートは、技のすごさにくわえて芸術性を重視する競技でもあるからです。
ではフィギュアスケートにあまりくわしくない初心者の方は、ジャンプ以外のどんな点に着目すべきでしょうか。本記事では、プロフィギュアスケーターで国際大会の解説も務める荒川静香さんに、ジャンプ以外で注目のポイントやイナバウアーの秘話について語ってもらっています。
プログラム全体を通して判断される「演技構成点」に注目
フィギュアスケートは、技術点(トータルエレメンツスコア)と演技構成点(プログラムコンポーネンツスコア)の合計から減点要素を引く形で採点します。ジャンプを筆頭に技の難易度に応じた基礎点と、技の出来によって決まるGOE(出来栄え)の合計で決まる技術点は分かりやすいものの、演技構成点についてはくわしくご存知でない方もいるでしょう。
演技構成点とはプログラム全体を評価する得点です。音楽の世界観に合った演技ができているか、その世界観を表現するに足るスキルがあるのかなどを主に評価します。得点を構成する項目はスケーティングスキル・要素のつなぎ・演技・構成・音楽の解釈の5つであり、ファイブコンポーネンツとも呼ばれています。各項目は0.25点刻みの10点満点です。
ちなみに演技構成点は単純な合計ではなく、技術点と近い得点になるよう係数をかけた点になります。「ジャンプや技だけでは勝てないのがフィギュアスケートの本質。」と言われるのは、技術点にくわえて、この演技構成点が重要であることに起因します。
演技構成点の5項目(ファイブコンポーネンツ)の特徴
写真 フォート・キシモト
演技構成点はジャンプなどの大技の出来などとは異なり、表現力や芸術性の面を重視して評価される得点と言えます。ではファイブコンポーネンツと呼ばれる演技構成点の5項目の詳細を紹介します。
荒川静香さんが打ち明ける『イナバウアー』のエピソード
荒川さんといえば『イナバウアー』というイメージを持つ方も多いでしょう。まさに彼女の個性とも言える技ですが、これも要素つなぎの一種です。今回は特別に『イナバウアー』の誕生秘話を荒川さんに教えていただきました。
繋ぎの技には選手の個性が表現されると聞きますが、荒川さんの代名詞である『イナバウアー』がそうですよね。プログラムにどのように組み込んだのでしょうか?
荒川「実はもともとイナバウアーを入れようと思って作り始めたプログラムではありませんでした。当時、振付と指導を担当してくれたニコライ・モロゾフコーチの意見を取り入れたんですよね。プログラム構成においていかに得点を引き上げられるかを計算したうえで、プログラムを作ってくれました。」
モロゾフコーチの提案だったんですね。何か印象的なエピソードはありますか?
荒川「私自身はジャンプに行く直前ですし、最後のジャンプで点数を落としたくなかったので“イナバウアーをするよりも助走で息を整えたほうがいい”と提案したんですよ。そうしたら“何を言っているんだ。ここは静香の特徴をちゃんと組み込むために3秒作ったところだ“と説得されたんです(笑)。フィギュアスケートは技術的な要素と芸術的な要素があるのだから、そこはイナバウアーをやってジャンプもきっちり決めれば大丈夫というのがコーチの考えでした。」
モロゾフコーチの狙い通りの結果になったんですね。荒川さんのイナバウアーは、世界にフィギュアスケートの素晴らしさを伝える素敵なワンシーンとなりましたね。
荒川「当時、自分の中ではイナバウアーにそこまで重きを置いてなかったんですよ。でも見ていただいた人たちの記憶に残ることができたことをすごく嬉しく思っています。たった3秒間なんですが、会場の盛り上がりもすごかったですし、その空気感を体験できました。演技中は会場の空気を感じるほどの余裕はありませんでしたが、唯一イナバウアーをやっている数秒間だけは感じることができました。本当に3秒間という一瞬だったんですが、いつもより少し時間が長く感じられましたね。私にとってそれだけ特別な瞬間でした。」
世界の大舞台でのイナバウアー披露に至るまでのとても素敵なエピソードでしたね。それでは最後にジャンプ以外の技についても説明します。
ジャンプ以外の技~スピン・ステップ・要素のつなぎ~
フィギュアスケートの演技を構成するのは、ジャンプだけではありません。荒川さんのイナバウアーに代表される要素のつなぎはもちろん、その他にもスピンやステップなどの技があります。ジャンプなどの分かりやすい高難度の技も魅力ですが、選手1人ひとりの個性が詰まった細かな技にも注目してみるとより観戦を楽しめるはずです。
技①:スピン
スピンの基本姿勢は3種類です。直立した姿勢で回るアップライト系スピン、座った姿勢で回るシット系スピン、上半身と足を氷の面に対して平行にしたまま回るキャメル系スピンです。基本姿勢から変化した多様な形が存在します。たとえば、手でブレードを持ち、足をうしろから頭上に持ち上げて回るビールマンスピンは、アップライトの変形に該当します。
技②:ステップ
ステップには、5段階のレベルで評価されるステップシークエンスと、GOEのみで評価されるコレオグラフィックシークエンスがあります。ステップシークエンスはエッジを深く傾けていることや加減速がなされていること、コレオグラフィックシークエンスは創造的でオリジナリティがあることや氷面を十分に利用していることが求められます。
技③:要素のつなぎ
技自体に基礎点はありませんが、演技構成点の『要素のつなぎ』の項目で評価されます。荒川静香さんが披露した『レイバック・イナバウアー』の他にも、イーグルやバレエジャンプなどがあります。プログラムのクライマックスで披露することで見る者の印象に強く残る場合もあるため、選手のトレードマークにもなっています。
フィギュアスケートは1人ひとりの個性が凝縮された競技
技の華麗さや迫力が評価される競技はたくさんありますが、フィギュアスケートのように演技構成に代表される表現力や芸術性がここまで重要視される競技は珍しいと言えるでしょう。フィギュアスケートは得点を競うスポーツでありながら、1人ひとりの個性を重視する華麗なショーでもあります。それぞれの選手の個性を理解し、氷上でどんな演技を披露して自分を表現してくれるのかを堪能する――。フィギュアスケートには他のスポーツとは異なる楽しみ方があります。
セイコーが行うフィギュアスケート支援
セイコーでは、選手たちが氷上に舞う華麗な競技・フィギュアスケートの支援も行っています。精密な採点が求められるフィギュアスケートの大会運営を「フィギュアスケート競技システム」でサポート。
演技の美しさを競うフィギュアスケートのスコアを正確に計測することで、競技貢献を果たしています。
プロスケーター
荒川静香
1981年12月29日東京都生まれ。小学校に入学してから本格的にフィギュアスケートに取り組むと、3年生で3回転ジャンプをマスター。天才少女と呼ばれた。94~96年には全日本ジュニアフィギュア選手権で3連覇を果たした。97年にジュニアからシニアへと移行すると、全日本選手権で初優勝。翌98年には長野五輪へ出場を果たした。2006年トリノ五輪では、アジア人としてフィギュアスケート女子シングル初の金メダルを獲得。2006年5月にプロ宣言し、本人プロデュースのアイスショー「フレンズオンアイス」、国内および海外のアイスショーを中心に活動。日本スケート連盟副会長を務めるほか、テレビ、イベント出演、スケート解説、オリンピックキャスターとして活躍している。