SEIKO  HEART BEAT Magazine 感動の「時」を届けるスポーツメディア

文 久下真以子
写真 阿部健太郎
場所 Urban Base Camp 新宿

世界の大舞台の熱狂に沸いた2021年の夏。初めて採用された生身の人間が壁を登るスポーツクライミングが多くの話題を呼んだ。日本人選手の活躍が際立ったが、その中でも最大の注目は野口啓代の引退だった。

“クライミング界の女王”と呼ばれ、15年以上も第一線で活躍してきた野口の集大成に、大きな感動を覚えた方もいるだろう。引退後の野口は、今後スポーツクライミングとどう関わっていくのか。新たなステージに立つ想いを聞いた。

想像できなかった“クライミングフィーバー”を実感

野口啓代選手 写真

クライミング界に巻き起こったフィーバー。世界の大舞台の影響力の大きさに野口も驚いたようだ

写真 阿部健太郎

東京で初採用された世界の大舞台での活況。そして、世界3位の反響は、想像以上のものだった。

「ありがたいことに、メディア出演や取材がたくさんあって、大会後も忙しい日々が続いています。メダルを獲得した時は、本当にいろいろな方から連絡をいただきました。私にだけではなく、家族にもたくさん来たようです。世界が注目する大舞台でメダルを獲得することは、W杯や世界選手権とは“こんなに違うんだ”ということを実感させられましたね。」

11歳でスポーツクライミングに出会い、これまでW杯年間総合優勝4回、通算優勝21勝。第一人者として、”クライミング界の女王”と呼ばれる存在になった。そんな野口がすべてを捧げた現役最後の舞台。「四六時中ずっとクライミングのことを考えていた。」と語るように練習中はもちろん、オフの時間も頭からクライミングが離れることはなかった。

野口啓代選手 写真

笑顔でクライミング愛について語る野口。引退してからは雰囲気が少し柔らかくなったと言われるという。            

写真 阿部健太郎

誰よりも強いクライミング愛を持つ野口が、全身全霊で臨んだ最初で最後の晴れ舞台。世界3位という結果はもちろんだが、それ以上に巻き起こった”クライミングフィーバー”に喜びと驚きを隠せない様子だった。

「私が始めた20年前は本当にマイナー競技でしたね。今ではクライミングを趣味として楽しむ方は増えましたが、選手としてトップを目指す層の人口はまだまだ多くはないんですよ。だから、自分が”日本人として世界で結果を残すことで普及につなげたい”という想いで取り組みました。」

トップ選手たちの活躍によってもたらされるのは、競技人気だけではない。観た人が新しく始めるきっかけを作ることこそが重要なのだ。その点、日本人選手が活躍したスポーツクライミングでは、新規の動きが顕著だったという。

「クライミングジム自体は、近年は趣味で通う人が増えていました。ただ、コロナ禍の影響で新規入会者数が落ち込んでしまったんです。それが大会やメディア出演の影響でまた増えたと聞きました。特に嬉しかったのが、新しく始める子どもたちが増えたこと。”競技を頑張ってきて良かった”と胸が熱くなりましたね。」

スポーツクライミングにおける時間感覚の違い

野口啓代選手 写真

調子が良くゾーンに入った時は、時間の流れがゆっくりに感じるという

写真 窪田美和子

スポーツクライミングは、相手選手と登る速さを競う「スピード」、4分間でクリアした壁の数を競う「ボルダリング」、6分間での到達高度を競う「リード」の計3種目の競技。複合では3種目の総合得点で順位が決まる。「ボルダリング」と「リード」では、出場直前に「オブザベーション(下見)」の時間が数分間与えられ、どのルートで登るのかをイメージし、戦略を練る。

「どんなに身体の調子を仕上げたとしても、登るルートが頭に入っていないと力を発揮できないんですよね。また、実際に想定したルートで登ってみて”違うな”となったら、瞬時にBプラン、Cプランに切り替える。そういう意味では、見た目以上に頭と身体の両方を使うのがスポーツクライミングという競技なんです。」

野口の長所は指先の強さであり、ホールド(突起物)をつかむ保持力だ。ボルダリングやリードでは、短時間でいかに体のバランスをキープしながら動いていけるかが勝負のカギとなる。

「その日の調子によって、時間感覚は異なりますね。調子が悪い時はあっという間に終わってしまいますが、調子の良い時はすごく時間の経過がゆっくりに感じるんです。ゾーンに入っていて、自分の動きが1つ1つ鮮明に見えているというか。時間は平等なはずなのに、本当に不思議ですよね。」

野口啓代選手 写真

指先だけで全身を支えられる保持力は野口の最大の特徴だ

写真 窪田美和子

一方、高さ15mの壁を登る「スピード」の世界記録は、男子では5秒20(2021年5月更新)、女子で6秒84(2021年8月更新)。あまりの速さに、観ている側も一瞬たりとも目を離せない。

「スピードに関しては、登っている間は何も考えていないですね。速さを競う種目でルートが決まっているので、身体が覚えているんです。普段練習してきたことを本番で出すだけなんですよ。」とそれぞれの種目における時間の概念を説明してくれた。

”時間管理”といえば、練習や試合以外でも、プレー分析や準備、食事や睡眠などが重要なアスリート。引退してからはもちろん、向き合い方が変わった。

「引退してからは、雰囲気が柔らかくなったとよく言われます(笑)。自宅に壁があるので、今は時間に追われずのんびり登っていますね。あとは忙しくてなかなか行けなかった、ロッククライミングにも行きたいですね。職業病ですが、建造物や木、壁を見つけたら”あれは登れそうだな”と考えちゃいますね。学校の外壁とかは登りやすいと思います。窓枠やベランダとか、足場になるところがしっかりあるので(笑)。」

女王として常に重圧を背負ってきた野口だが、引退後は余裕のある時間の使い方を実践できているようだ。

「クライミングを当たり前に。」という切なる願い

野口啓代選手 写真

クライミングフィーバーを一過性の流行りに終わらせないことが重要だと野口は語る

写真 阿部健太郎

引退後にSNSを通して野口はとあるメッセージを発信した。その内容は“クライミングへの感謝と引退後の恩返し”への想いだった。それを体現する最初の舞台となったのは、2021年9月にロシアで行われた世界選手権。選手として出場していた世界選手権を、初めて応援する立場で会場に降り立った。

「とても楽しかったです!実は純粋にクライミングを見るのも大好きなんですよ。出場する選手たちはかつての仲間ばかりなので、応援にも熱が入りました。男子ではユース年代から一緒に頑張ってきた藤井快選手が初優勝して、すごく嬉しくて感動しましたね。これからはメディアを通して魅力をもっともっと積極的に発信することでも、クライミングに関わっていきたいです。」

魅力発信の先に目指すのは、競技人口の増加。そのためには、現在のフィーバーを一過性のブームに終わらせないことが重要だ。

野口啓代選手 写真

“クライミングが当たり前”の文化を作るのが引退後の野口の役目であり、競技に対しての恩返しだ。

写真 阿部健太郎

「子どもたちにもっとクライミングの魅力を伝えていきたいです。たとえば、学校の部活にクライミング部ができたら、面白そうですよね。将来の金メダリスト誕生に何らかの形で関わっていきたいです。」

解説者としてなのか、はたまた指導者などの別の関わり方なのか。今後についてはまだわからない。ただ、そのクライミング愛は飽くなきものだ。

「“する”“伝える”に加えて今後は、“観る文化”としての定着を目指します。たとえば、野球やサッカーだったら、仕事終わりや週末に“みんなで観に行こうよ!”となるけど、クライミングはまだまだそうではありません。
現地観戦や中継を通して、応援するファンがもっともっと増えてほしいですね。スポーツクライミングが日々の生活において“当たり前の存在”になることが、私の願いなんです。」

これからも野口は大好きなクライミングに、恩返しをし続けるだろう。

野口啓代

プロフリークライマー
野口啓代

1989年5月30日生まれ。小学5年生の時に家族旅行先のグアムでフリークライミングに出会う。翌年行われた全日本ユース選手権で優勝し、瞬く間に頭角を現す。その後も国内外の大会で輝かしい成績を残し、2008年には日本人としてボルダリングワールドカップで初優勝。W杯年間総合優勝4回、通算優勝21勝の実績を誇る。2021年の東京五輪では銅メダルを獲得し、現役を引退した。


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