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文 大西マリコ
写真 落合直哉

2年に一度開催される陸上競技の世界一を決める「世界陸上競技選手権大会(世界陸上)」。セイコーが17大会連続でオフィシャルタイマーを務める2022年大会が、いよいよ7月16日(※日本標準時)に開幕を迎える。開催地は“陸上の聖地”とも言われるアメリカ・オレゴン州ユージーン。世界のトップアスリートたちが集う陸上の祭典は、10日間にわたり熱戦を繰り広げる。

その晴れ舞台での活躍が期待されながらも、ケガのために出場を断念した男がいる。男子100m日本記録保持者の山縣亮太だ。「どこかでまとまった時間での休みが必要だった。」と語る山縣は、2022年シーズンを調整期間とすることを決断。2023年での復活を目指してケガの回復に努めている。今回は調整を続ける“日本最速の男”に世界陸上の見どころを聞いた。選手視点だからこその観戦ポイントに加えて、自身の復帰への想い、Team Seikoでの活動についても語ってもらった。

山縣流!世界陸上をより楽しむための注目ポイント

山縣さん 写真

ケガのため出場を断念した世界陸上について、頭脳派・山縣の視点で注目ポイントを語る

写真 落合直哉

世界陸上の開幕が目前に迫っています。陸上競技における世界最高峰の大会ですが、選手にとってはどんな位置づけでしょうか?

世界のトップアスリートが集うので、国内大会と比較するとまるでレベルが違います。100mの場合は国内大会では予選・準決勝・決勝とラウンドを重ねるごとに調子を上げられるように調整しますが、世界陸上は予選からある程度の力を出さないと次のラウンドには進めません。

具体的なタイムでは、“10秒1台”を切るくらいの力で1本目から走る必要があります。準決勝や決勝での走りを見据えるのであれば、1本目は余力を残した状態でも“10秒1台”を切れるところまで調子を上げることが重要です。そういった意味でも緊張感のある大会だと思います。

2年に一度の開催サイクルは、選手としてはどんなモチベーションで臨んでいるのでしょうか?

毎年あるわけではないところに特別感がありますね。世界の大舞台は4年に一度ですが、1年の中でも調子が上がったり下がったりする陸上競技において、4年間好調を維持し続けたうえでモチベーションを保つのは非常に大変です。そういう意味では、2年に1回のペースで開催される世界陸上は、選手にとってすごくありがたいサイクルですね。「世界に挑戦する」というモチベーションを維持する大きなきっかけになっている選手も多いと思います。

山縣さん 写真

世界陸上を楽しむポイントは選手の特徴をつかむこと。そのためには予選からレース展開が見逃せない

写真 落合直哉

大会期間中はテレビやインターネットで観戦を楽しむ方が多いと思いますが、世界陸上の観戦ポイントについて教えてください。

100mの種目に限っても、さまざまなタイプの選手がいるのが魅力ですね。ロケットスタートで先頭に飛び出す選手もいれば、中間疾走での加速に伸びがある選手もいますし、ラストのトップスピードで一気に抜き去る選手もいます。そうした選手1人ひとりのレースパターンを予選の段階で注目しておいて、決勝を走る前に「誰が勝つかな」「何秒で走るかな」と予想するのはちょっと玄人的な楽しみ方だと思います。

自分の場合は、トップアスリートがどんな体つきで、どんな体の動かし方をしているのかを注意深く観察しますね。世界陸上に出場する選手は皆、お手本とすべき存在なので自分の走りに活かすヒントを常に探しています。その点では他種目ですが、3000m障害の三浦龍司選手や、走り幅跳びの橋岡優輝選手の動きにも注目しています。

選手の細かい動きに注目するのはなかなかマニアックですが、特徴を知るとより見えてくるものがありますよね。陸上競技にあまり詳しくない人でも楽しめる注目ポイントはありますか?

100mなどの短距離走であれば、「スタートに着く前」の表情や仕草に注目してください。選手の個性や性格がすごく出る場面です。リラックスしてテンションを上げて入ってくるタイプの選手もいれば、独り言をぶつぶつ囁いて自分の世界に入っている選手もいます。個性が見えることで、さらにその選手への興味が湧くかもしれません。

ちなみに裏話ですが、スタートラインに立った時にカメラが回って来るじゃないですか。実は「カメラの前で何をするか」を選手同士で意外と話し合っているんですよ(笑)。所属のロゴを見せたり、お決まりのポーズを取ったりするなど型が決まっている選手もいますが、「この選手はカメラの前でどんなポーズをとるのかな?」と、そういう部分も楽しみにしていただけると面白いと思います。

自分も一度だけそうしたパフォーマンスをしたことがあったのですが、友人から「お前のキャラに合わないからやめておけ」と言われました。それから僕がパフォーマンスを披露する機会はなくなりましたね(笑)。

スタートにつく山縣さん 写真

スタートにつく際はクールをまっとうするのが山縣流。選手それぞれで表情や仕草が違うのが面白いところだ

写真 フォート・キシモト

山縣選手は今大会を欠場することになりましたが、選手視点で注目している選手はいますか?

日本人であれば、若くて勢いのある坂井隆一郎選手や柳田大輝選手に注目しています。100mと4×100mリレーで内定している坂井選手は、6月26日に行われた布勢スプリントで見事に10秒02と自己ベストを更新。参加標準記録(10秒05)を突破して出場を勝ち取っただけに、世界でどんな走りをするのかに注目したいですね。

坂井選手の特徴は何と言っても“高速ピッチ”です。100mでは、一歩で進める距離が大きい「ストライド型」、足の回転を速くする「ピッチ型」の2つに選手の特徴を分類できます。日本人の多くはピッチ型ですが、その中でも坂井選手のピッチは飛びぬけて速く、日本選手権では1秒あたり5.42歩だったそうです。僕が2021年の布勢スプリントで自己ベスト(9秒95)を出した時のピッチが5歩弱だったので、いかに足の回転が速いかがお分かりだと思います。得意のスタートに加えて、中盤以降もトップスピードを維持できるかが鍵ですね。

4×100mリレーに内定した柳田選手は、まだ大学生になったばかりの19歳。テンポ良くのびのびと走るのが持ち味なので、初となる世界陸上の舞台でどんな走りを見せてくれるのか、どんな成長を遂げるのか――。とても楽しみにしています。

100mの決勝に勝ち上がりそうな選手の中での注目選手も教えてください。

金メダル争いで考えると、アメリカのフレッド・カーリー選手ですね。現在、すごく調子が良い選手で、世界陸上への代表選考を兼ねた全米選手権で9秒76をマークしています。元々400mの選手で100m歴は浅いのですが、どんどん調子を上げてきているので、「どこまでタイムを更新できるのか」が気になりますね。

後は2011年世界陸上の男子100m金メダリストであり、今もなお第一線で活躍しているジャマイカのヨハン・ブレーク選手です。最近は全盛期に比べると良いタイムが出ていなかったのですが、代表選考を兼ねたジャマイカ選手権では9秒85で優勝。上り調子ですね。彼は32歳で、僕も30歳。「年上の選手がどんなパフォーマンスを見せるのか」に注目しています。

逆境こそ力に――。リハビリに専念した2022年シーズン

山縣さん 写真

ケガをじっくり治すため、自身の体ときちんと向き合うため。山縣は2022年シーズンを調整期間に位置づけた

写真 落合直哉

山縣選手自身のことについて聞かせてください。昨年10月に右膝の手術を行い、2022年シーズンはリハビリに専念することを発表しましたが、現在はどんなメニューをこなしていますか?

練習は3時間程度で、時間自体はリハビリ前も今もほとんど変わりませんね。ただ、練習メニューはまったく違います。ケガをする前は1本を集中して走って30分休んでもう1本走って……という形でのトレーニングをしていました。今は出力を高くして負荷のかかることはせずに、自分が有効活用できていなかった筋肉を使う「慣れない動き」を実践するトレーニングに時間を割いています。

僕は体を横にひねる動きや回旋系の動きがあまり得意ではありません。陸上競技では前に向かって走りますが、基本的に体は回旋の動きの連動によって前方向の推進力を生み出します。柔軟性を高めたり、回旋の動きの質を高めたり、左右差をなくしたりするために細かいエクササイズを徹底しています。現状でできない動きや変えなければいけない動きにフォーカスを当てて、ひたすら3時間行っていますね。

日常の過ごし方や精神面など、練習以外にも変化したことはありましたか?

今までできなかった動きが1つできるようになると、「すごく成長しているな」「前に進めているな」と感じるようになりました。すごく楽しい感覚なんですよ。調整期間を設けてしっかり体を作り変えることを意識しているので、緩く長く集中を持続させるというイメージを常に持っています。焦りがないので今は毎日が充実していますね。“これまで使っていなかった感覚を研ぎ澄ます”という意味では、プライベートでは植物を育てたり、ピアノを弾いたりもしています。ピアノは趣味であり、トレーニングにもなっているんですよ。頭と体をコントロールする感覚があって、楽しみながらも良い刺激になっていますね。

山縣さん 写真

2022年シーズンは、ケガを治して新しい自分に生まれ変わるため、成長するためのチャンスと捉えている

写真 落合直哉

アスリートにとって、1年間リハビリに専念するのは相当な決断だったかと思いますが、不安はありましたか?

それがまったく不安はなかったですね。むしろ、「脚が治りきっていない」「技術も変わっていない」という状況で走り続けることのほうが不安でした。ケガをすることは悪いことばかりではないんです。以前から成長するためには何かを変えなければと思っていたのですが、ケガによって「何を変えなければいけないかが分かった」という側面もありました。ケガによって自分の問題点が明らかになったので、「それを変えることで成長できるチャンスになる」と思っています。

当初は2022年4月からレースに復帰するつもりで2021年の10月に手術を受けましたが、いざ手術してみるとケガの回復には時間が足りませんでした。競技を始めて20年間の癖が染みついている部分があったので、新しい自分に生まれ変わるためにも、2022年1月くらいに思い切って今シーズンはリハビリに専念することを決めました。

逆境も力に変える。さすが「ミスター逆境」の異名を持つだけありますね。ファンのみなさんは来シーズン以降の完全復活を期待していると思いますが、今後についてはどんな未来を描いていますか?

絶対に成し遂げたいのが自己ベスト(日本記録)の更新ですね。タイムでいうと9秒8台を出したいと思っています。アジア記録は中国の蘇炳添選手の9秒83であり、非常にハードルは高いと言えますが、手の届かない記録だとは思っていません。明確なターゲットとなるので、そこに向けてとにかく突っ走っていきたいです。

後は2024年にパリで行われる世界の大舞台。出場が叶えば4度目の挑戦ですが、「決勝に進出する」「準決勝で9秒台を出す」という目標を達成できていません。成長した姿を見せて、ファイナルに進出するという夢を実現したいと思います。

そのためにも、まずケガを根本から治して、復帰後に「走りがものすごく変わったね」と、陸上競技にくわしくない人にとっても分かるくらいの変化を遂げられるよう、時間をかけて走りを改造していきたいです!

山縣さん 写真

山縣は自身の走りを改造することで、アジア記録や世界の大舞台でのファイナル進出に挑む

写真 落合直哉

競技の垣根を越え、共に高みを目指す「Team Seiko」の存在

Team Seiko 写真

山縣を中心に総勢9名となったTeam Seikoは、さまざまな競技の一線級が集まった少数精鋭の集団だ

所属する「Team Seiko」についても聞かせてください。4月に大橋悠依選手、デーデー・ブルーノ選手が加わり、総勢9名になりました。山縣選手にとって「Team Seiko」はどんな存在ですか?

同じ短距離のデーデー選手が加入したことは、自分にとっても良い刺激になっています。また、陸上競技に限らず各スポーツを引っ張る選手が集まっていて、切磋琢磨できる刺激的な存在です。このメンバーで世界の大舞台などで共に戦えたら、本当に最高ですよね。

会社からは自分たちが競技をしやすい環境を常にサポートしてもらっていると感じています。現在、僕はリハビリに専念していますが、この現状と復帰までに必要な時間に関して常に深い理解を示していただいています。競技活動を長い目で見てサポートし、並走してくれるそんな存在です。アスリートは「結果を出さなければ」と、どうしても焦ってしまう面がありますが、“アスリートファースト”の対応を本当に心強いと思っています。

出演された新CFでは、夜のグラウンドで黙々とトレーニングを行い、自分自身に向き合っている表情が印象的でした。完成したCFを見ていかがでしたか?

すごくカッコ良く仕上げていただいたなと思っています!アスリートのリアルな息づかいや集中している表情、繊細な世界観を表現してもらって感動しました。僕はケガの影響もあって走っているシーンはありませんが、悠々と歩いている感じが「未来に向けて着実に歩みを進めている」雰囲気があって、すごく嬉しかったです。

SEIKO企業CF「Timing 陸上・競泳篇」60秒

SEIKO企業CF「Timing 陸上・競泳篇」60秒

「Team Seiko」初期メンバーで、リーダー的存在の山縣選手ですが、チームのメンバーとやってみたいこと、成し遂げたいことがあれば教えてください。

競技としては、「Team Seiko」のみんなが陸上競技や競泳、トランポリン、フェンシングとぞれぞれの領域で活躍することが第一です。プライベートではBBQとかをしてより仲を深めたいですね(笑)。みなさん、一線級のアスリートなので忙しいのですが、懇親会のような形で肩肘張らずに絆を深められる機会があったらなと思っています。近いうちにぜひ実現させたいです!

山縣さん 写真

「Team Seiko」のリーダー的存在として、日本最速の男として、山縣はこれからも走り続ける

写真 落合直哉

山縣亮太 写真

RYOTA YAMAGATA

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