歌舞伎俳優
市川海老蔵時問時答

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人としての時間が、すべての基本。

海老蔵さんにとっての「やさしい時間」とは、どのような時間ですか?

子供たちや家族と一緒に過ごす時間。今コロナ禍ですからね。今まででは考えられない日常になりました。以前は、昼の 1 時とかに私が家にいること自体が珍しいというか、皆無でした。子供と土日を過ごすこともあまりありませんでした。もう今では、「土日を家族と過ごせないならば仕事辞めようかな」と思うほど、家族との時間を大事にしています。

家で過ごす時間が増えたことで、どのような変化を感じますか?

すごく充実しています。やはり仕事量が間違っていたなと気がつきました。逆に言うと、仕事したくてもできない方も多いわけですから、そこらへんは難しいバランスだとは思います。私の場合は、12 ヶ月のうちほとんど休まずに舞台と仕事をしてしまっていたので。「あれ、なんのために仕事していたのだろう?」と思うようになりました。市川團十郎家、歌舞伎を背負っているという意味で歌舞伎を残していくために仕事をしていたという意識の中で、「いやー、働き過ぎていたよな」というところも正直あります。12 ヶ月のうち 12 ヶ月歌舞伎をしていることが歌舞伎を残すことなのかというと、違うなというジャッジになりました。今は年に 3-4 ヶ月歌舞伎をしていることが、歌舞伎として、歌舞伎俳優として成立しているわけですから。何も、わざわざ自分を酷使して、クオリティを下げてまでして、12 ヶ月やらなくてもいいじゃないか、と思うようになりました。継続して舞台に出るということは、体調のことも然り、自分の中の情熱的なことも然り、さまざまなもののポテンシャルを維持することが難しくなる。やはりきちんと自分のやりたいことをやれるように、そして、お客さまに楽しんでもらえるようなものを的確に提供するために必要なことをある程度していかないといけない。人としての時間、芸能の人としての時間ではなく、いちヒューマンとしての時間をきっちり過ごすことが、ある意味やさしい時間。それが確立できると、仕事に行ってもやさしい時間に変わる。

市川海老蔵

やはりプライベートがやさしい時間になると、仕事もいい意味でやさしい時間になれる。毎日舞台をやっていると常に舞台をやることだけしか考えていないから、刺々しくなってしまう。戦闘的だし、攻撃的になる。いちアーティストが 1 作品をつくるとき、たとえば絵を書いたりする瞬間に、そういう攻撃性は必要だとは思います。でも、歌舞伎俳優が毎月毎日舞台出ていることで、その攻撃性が人間性を変えてしまうことにもなる。本来の自分ではないわけです。ということは、舞台に立つことがマイナスなことになってしまいます。豊かな状況の中で豊かな芝居をし、より攻撃的な芝居をする場合に攻撃的な演じ方をすればいいだけの話であって、普段から攻撃的になる必要は全くないわけです。そこら辺は、やはり、このパンデミックの環境から学んでいます。

代々受け継がれてきた、「挑戦」する DNA。

NPO 団体「Earth & Human」での環境保全活動など、歌舞伎以外のフィールドでもご活動されている海老蔵さんですが、今後もそのような新しい試みにも一層力を入れていくのでしょうか?

私は、地球自体の問題に対して、10 年位前から何かしたいと考えていました。歌舞伎俳優は、例えば大震災が起こったときに、その場に一人で行って何かみんなを元気づけるようなことができるかというと、できません。鳴り物さんや狂言方さん、演出方を皆連れて、少なくても 40-50 人連れていかないと、歌舞伎はできないわけです。例えばミュージシャンの場合は、ギター 1 つ持っていけば歌うことができる。それが歌舞伎俳優はできないため、そこにジレンマを感じていました。

市川海老蔵

一人で何かできる事は無いのかと考えていたところに、デジタルとの融合というアイデアが出てきました。今回、「Earth & Human」の立ち上げで、環境保全とデジタルの融合と伝統文化が、たまたまそこで一緒になりました。歌舞伎は、伝統文化として、先輩から教わる、父から教わる、家の芸をきちんと継承していく、というのがここ 70 年、80 年のシステムです。それ以前の明治や大正時代は、活歴物と言い、九代目市川團十郎などが新しい挑戦をしていました。そのちょっと前までは、古典的なことをしていながらも、「今」を生きている俳優たちが多かった。つまりみんなと共有しているという状況。「ああ、團十郎は團十郎だよね」「ああ、こんなことやっているね、応援しようぜ」と。テレビもなければ映画もない中で、歌舞伎俳優がスターでした。昔は、新しいことをどんどん追求するグループでした。それがどんどん、どんどん「伝統文化」化していく。勧進帳とか、助六とか、鳴神とか、家の芸すなわち伝統文化はきちんと継承しています。でも、新しいことも必要なわけです。昔の團十郎、九代目までは新しいことをやっていました。ということは、新しいことへの挑戦というのも團十郎家の DNA に含まれているはずです。古典をやっていくことも DNA。近年の團十郎の DNA が、古典をやっていくという DNA。本来は、斬新なことに挑戦して、世の中を驚かせるという DNA が、團十郎 DNA の根幹なわけです。ということは、私はそれ(新しい挑戦)をやる。

地球全体に流れる、新しい「時間」の流れ。

市川海老蔵

市川家が築いてきた歌舞伎文化の悠久の時と、「今」に流れる時間。その二つの時間に生きる海老蔵さんは、これからの時代の「流れ」をどのように捉えていますか?

今も歌舞伎のことを考えていますが、歌舞伎よりも何かしなくてはいけないことがあるというのを、本能的に感じています。なんていうのか、大きな流れが動いている気がします。地球全体でドカーンと。所詮、日本の個が考えていることなんて、小さなことです。それよりも、「人類全体的に大きな流れに乗っておかないといけないよね」というのは、あると思います。たぶん、私は、それを本能的に感じているタイプなのだと思います。歌舞伎もやりますが、昔の歌舞伎への情熱ではなく、その中間地点にいる中で、歌舞伎というものを、どのように変化しつつ、継承していくかということを自然の波の中で考えているという感覚です。不思議。何か感じ取るのだと思いますし、たぶん、いろいろ変わると思います。

市川海老蔵
(撮影:Satoko Imazu)
※本内容は音声でお聴きいただくことも可能です。文章では話の内容をよりわかりやすくするために言葉の調整や補足をした箇所があります。音声と文章、どちらもお楽しみいただければと思います。

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プロフィール

市川海老蔵
市川海老蔵 歌舞伎俳優

十二世市川團十郎の⻑男として生まれる。1983年歌舞伎座『源氏物語』の“春宮”で初お目見得。1985年歌舞伎座『外郎売』の“貴甘坊”を勤め、七代目市川新之助を名乗り初舞台。2004年歌舞伎座にて十一代目市川海老蔵を襲名。同年10月パリ国立シャイヨー宮劇場で襲名披露。スケールの大きな演技は日本のみならず世界で高く評価されている。

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