製硯師
青栁貴史時問時答

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自分の体が開く、石との対話の時間。

まず「やさしい時間」と聞いて、どのような時間を思い浮かべますか?

リラックスしているとはまたちょっと違うと思うんですけど、例えば、僕だったら工房で石を彫っている時間とか磨いている時間が、すごく自分の体がオープンになっているのがわかるんですよね、石との対話の中で。

青栁貴史

石に没入するきっかけは何だったのでしょうか?また、没入している時間とはどのような時間なのでしょうか?

美しい石ほど没入はしますけれど、石はみんな美しいのは当たり前なんですよね。硯の産地に行って、山の中に手を差し入れて、そこから自分の手の中で産声を聞いた石を持って帰って来る体験をしてから、やはり石への距離感が近くなったというのもあります。石は分離してしまったから石ころになっていますけれど、その前は山ですし、山はやっぱり大地だし、地球ですよね。登山に行って目の前の峰々を見て美しいなと思うように、人間は自然美に対してやはり美しいって感じる心があります。僕も石に対してはそういった自然美のようなところで共通性を見出しています。作業台の上に石を置いて、この石をどうしようかと考えている時、彫っている時、ほかにもいろいろな作業をしますけれど、全工程を通して石を自然景観として見ながら会話をして、どういう風に硯にしていくのかを対話しているんじゃないかと思うんですよね。それが没入をしている時間です。

硯作りの中で大切にされているポイントを教えてください。

千年残るものを作ろうと思って僕たちはこの硯を作っていますけれど、千年残るためのものは、やはり千年残る理由があって、その条件を作らないといけないんですね。それは、持ち手の人に寄り添うってことも必要ですし、その人の生活に「ああいつ見てもいいな、使っても良いな」というように、生活の一部になって人の心に寄り添うものを作っていくことが大事だと思います。例えば、硯は墨を磨るためだけの道具だと思われがちですけど、僕は主人の心が住む石造の家だと思っているんです。人の心を受け止めてくれる受け皿だと思っていて、千年残る建築物を作るような気持ちで作ろうというのが僕の硯への向き合い方です。この石をどうするか考えていると、石が硯になっていくまでの過程が、自分の頭の中に出来上がっていきます。あとは石を何度も何度も見続けていくうちに、彫り進めていって少し形が変わっていって内部が露出してきた時、こんな表情もあるよ、こんな形もどうかなといった石からの応答を待っているんですよね。なので、完成形の設計図ありきの制作ではなくて、石との対話の中でできる硯っていうのは、自然界の声から生まれます。人にやさしい硯は、石たちとやりとりした上で一緒につくりあげていった形もあっていいんじゃないかなと思うんですね。

青栁貴史

人生を逆算して、石を彫る。

石自体が 1 億年、1 億 5 千年前のものですし、硯作りにも、2〜3年程度はかかると伺っています。青栁さんにとって、時間とはどのようなものだと捉えていらっしゃいますか?

僕も 42 になりましたけど、よく思うのは何事も終わりを決めて取り組もうと思っているんです。時間っていうのはやっぱり無限にあるわけではないので。人にとって、必ずどこかでこの仕事ができなくなる時がやってきます。僕の今の製硯人生において、鑿を元気にとり続けられる時間、細かい彫刻をするとか、旅をして採石をするとなると体の持つ様々な力がかかるので、製硯師としての職業寿命とピークは過去の製硯家を振り返って見ても、60 歳くらいなんですね。そこまであと 20 年くらいだと考えてみると、あと何面、僕が千年残るものを作れるかっていうことを考えるんですね。そうすると、概ね 100 面はもうできない。僕の作り方だと 70 面くらいが限界だと思うんです。これからの 70 面をどう自分の人生を使って生きていくか、仕事の辞め時をちゃんと最初から考えていくということですね。これが僕の時間感覚だと思うんです。自分の製硯人生の終わりも大体は想定して制作プランを立てたいですし、自分の後継者や弟子を技術的に育成する時間っていうものだけではなくて、人を造る時間も大事なので、やはり終わりっていう時間を決めて、取り組むのが僕の今の、何を作るにしても大事にしている考え方ですね。有限を意識した方が石にも時間にも丁寧になれると思うんです。

お話を聞いている中で青栁さんの独自のリズムや時間の感覚があるのではないかと感じました。

この彫り終えて出た石粉だって、みんな1億年以上前の粉です。1ミリ彫るのに 30 分かけたとして、1時間で、数千年。そんな石、”地球”を彫っているというのを、ある時意識し始めました。人は理から外れてしまった無理をすると体を壊したりします。例えばただ早く強く彫るなど。時間は自然界に動いている平等なもので人もその一部です。やっぱり何事も無理がない方がいいんですね。1 億歳の石を人間が彫るわけですから自然な時間の範囲で取り組む方が良いのです。

青栁貴史

彫りながら、石からの応答を待っている。

石と向かい合う時はどのようなことを考えていらっしゃいますか?

やっている時ってしばしば思うんですけれども、何を意識しているのかというとそれは一点で、「当たっているかどうか」というだけなんですよね。刃先が石に当たっていて力を入れれば石表面が剥がれますけれど、剥がれた先の奥に応答してくる音があるんですね。石の声です。それは目も大事ですし耳も大事ですし、指の感触も大事です。その応答というものは僕が何かをした時に出てくるものなので、絶えず観察している時間が必要なんですね。当たっているかどうかは刃先だけではないです、考え方もそうです。当たっているか当たっていないか、的を得ているかというのは、僕がアプローチしようとしている思考や力、そういったものがきちんと対象のものごとに対して当たっているか。働きかけているか。今作ろうとしているものがその先にあるオーダーをくださるクライアントの方の要望にちゃんと当たって行っているかどうか。それらに心技体が適切に当たっていれば造形も自然と整っていくのが、我々の技術じゃないかなと思っています。

青栁貴史
(撮影:Aya Kawachi)
※本内容は音声でお聴きいただくことも可能です。文章では話の内容をよりわかりやすくするために言葉の調整や補足をした箇所があります。音声と文章、どちらもお楽しみいただければと思います。

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プロフィール

青栁貴史
青栁貴史 製硯師

浅草で約90年続く書道用具店「宝研堂」の4代目。16歳の頃から、硯職人の祖父と父に師事し硯作りを始める。日本唯一の製硯技術の後継者として、砕石からデザイン、加工、製作や修理、文化財復元などを行う硯のプロフェッショナル。硯作りに使う石を求めて日本中の山へ足を運ぶほどのこだわりを持つ。2018年には歌舞伎役者の市川猿之助氏から「家宝になる硯」のオーダを受けた。大東文化大学文学部書道学科非常勤講師。著書に『硯の中の地球を歩く』(左右社)。

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